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【838回】死海のほとり

遠藤周作「死海のほとり」

テヘランから来たという一群の巡礼団の男女が鳴きたてる鳥のように喋っている。彼等のうす汚れた荷物をポーターが運搬車に載せて運んで行く。草色の軍服を着て銃を肩にかけたイスラエル兵士が、ガムを噛みながら柱に靠れていた。

(p413)



昭和48年に刊行された本作では、イランとイスラエルは行き来ができたのだ。
約50年経過した今では、両国は一発即発の状況といえる。

ガザに侵攻する、レバノンを爆撃する。自分たちを止める者は、すべて敵である。そのような振る舞いをするイスラエルと、本作に登場するイスラエルは地続きなのだ。


人間がもう二度と孤独で無いために自分の死が役立つだろうか。

(p308)


死へ向かうイエスの独白には、恐怖の色がうかがえる。
聖書にある通り、死して、復活したイエスは、人々のそばに。苦しみも悲しみも共に受け入れてくれる、同伴者となった。

世界中で、暴力を使い人々にも。
理不尽な暴力で苦しみを与えられている人々にも。
イエスは同伴してくれているのだろうか。

今のイスラエルと、イエスが生存していた頃のイスラエルは別の国だと思っても、同じ土地に存在しているもの。イエスに戦争を止める力は無い。ただ、暴力を受け続ける人々を解放する奇跡はないものかと、強く瞼を閉じるばかりである。

おそらく、20年前に読んでいたら、パレスチナもガザもよく知らない若造だった自分は、単純に「エルサレムに行きたいな」と感想を述べただけであろう。

イスラエルの歴史を学び、現在の理不尽な暴力を眺めているからこそ、読み終えたという喜びを手放しで感じる気持ちは、蓋で押しつぶされたように、閉じ込めてしまうのだ。悔しさと悲しみでいっぱいだ。

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