【838回】死海のほとり
遠藤周作「死海のほとり」
昭和48年に刊行された本作では、イランとイスラエルは行き来ができたのだ。
約50年経過した今では、両国は一発即発の状況といえる。
ガザに侵攻する、レバノンを爆撃する。自分たちを止める者は、すべて敵である。そのような振る舞いをするイスラエルと、本作に登場するイスラエルは地続きなのだ。
死へ向かうイエスの独白には、恐怖の色がうかがえる。
聖書にある通り、死して、復活したイエスは、人々のそばに。苦しみも悲しみも共に受け入れてくれる、同伴者となった。
世界中で、暴力を使い人々にも。
理不尽な暴力で苦しみを与えられている人々にも。
イエスは同伴してくれているのだろうか。
今のイスラエルと、イエスが生存していた頃のイスラエルは別の国だと思っても、同じ土地に存在しているもの。イエスに戦争を止める力は無い。ただ、暴力を受け続ける人々を解放する奇跡はないものかと、強く瞼を閉じるばかりである。
おそらく、20年前に読んでいたら、パレスチナもガザもよく知らない若造だった自分は、単純に「エルサレムに行きたいな」と感想を述べただけであろう。
イスラエルの歴史を学び、現在の理不尽な暴力を眺めているからこそ、読み終えたという喜びを手放しで感じる気持ちは、蓋で押しつぶされたように、閉じ込めてしまうのだ。悔しさと悲しみでいっぱいだ。