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山岳部大全

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編集責任 小菅聡一郎・発行者 田上幸太『山岳部大全』(1996)の2024年改訂版です。
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記事一覧

1974 昭和49年【山岳部大全#7】

1974 昭和49年【山岳部大全#7】

8月   ニクソン辞任
12月    田中角栄辞任 列島改造の失敗 一桁の支持率

   この年、 イヌカイ先生が転任されヤナギシタ先生がオリエンテーリング同好会に専念されることになったのでスズキ先生が新たに加わるなど、顧問の先生に若干の異動がありました。 この前の年もこの次の年もそうなので、この年の新歓も合流山行の形が取られたと思われます (強引な解釈で申し訳ありません、 ページの都合だと思って

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『山岳部大全』(1996)について。

『山岳部大全』(1996)について。

国分寺燕稜会の原点、または萌芽と言えるのが『山岳部大全』(1996)です。
『山岳部大全』(1996)は本会の副代表であるコスガ(24回生)が編集責任、代表のKota(23回生)が発行者となり、1996年に国分寺高校山岳部四半世紀の活動記録と、各世代の部員や顧問の先生より寄稿された文章やイラストをまとめた文集です。

    文集を編むという期間限定の活動でしたが、過去行われた懇親会形式の同窓会を

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はじめに 【山岳部大全#1】

はじめに 【山岳部大全#1】

 はじめに

 まず、この「山岳部大全」の発行にご協力いただいたすべての方々に対して、遅ればせながらここに完成のご報告を申し上げます。そしてあらためてその甚大なご支援のほどに感謝を申し上げます。
 この「山岳部大全」は都立国分寺高校山岳部が本格的に活動を開始した 1971年から数えて今年1996年が25年目に当たることを記念して、その歴史と卒業生現役生並びに顧問の先生方の近況等が綴られた手紙をまと

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1969 昭和44年【山岳部大全#2】

1969 昭和44年【山岳部大全#2】

国分寺高校開校
1月 東大安田講堂に機動隊突入
7月 アポロ11号月面着陸に成功

    国分寺高校が開校した1969年とは、その前年から本格化していた大学紛争がいよいよ高校にまで飛びしはじめた頃でした。上野高校や学芸大附属では大学生の影響を受けた生徒達が校長師や職員室を封鎖するという事件もおこりました。国分寺高校は学校のあり方が問われはじめたそんな時代に新設された実験的な面を持つ学校でした。「

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1970 昭和45年【山岳部大全#3】

1970 昭和45年【山岳部大全#3】

植村直巳エベレスト登頂
3月 よど号ハイジャック事件
11月 三島由紀夫割腹自殺

この45年度という年は恐らく山岳部史上一番わからない年です。というより、この年はワンゲルだったのか山岳部だったのかも分からないのです。初代にして「万年顧問」タカハラ先生はこの年について「山岳部の前身…ワンダーフォーゲル部(45年度)」という書き方で45年度はワンゲルだったと書いています。タカハラ先生の「山岳部の歴史

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1971 昭和46年【山岳部大全#4】

1971 昭和46年【山岳部大全#4】

  8月 ニクソンショック ドルの金兌換を停止
10月 国連、中華人民共和国を招請 台湾を追放

   国分寺高校山岳部の実質的なスタートはこの年タカハラ先生が赴任されて顧問を引き受けてくださったことに遡ります。はたしてトロイの木馬か出雲の国譲りか、3年生(1回生)から山岳部の主導権を譲られた(詳細は未だ不明)2年生(2回生)によって今に続く山岳部の雰囲気というものが作られていったようです。部長は

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1972 昭和47年【山岳部大全#5】

1972 昭和47年【山岳部大全#5】

2月   連合赤軍浅間山荘事件(19日)
          ニクソン訪中
5月   沖縄返還
7月   田中角栄内閣成立   列島改造始まる
9月   日中共同声明

 この年山岳部に初めての女子部員が入部しました。ニシザワさんとトヤマさん達だと思われます。ニシザワさんは入部を決めたあたりのことを部誌に書いていますが、オリエンテーションの様子などは今とほとんど変わらないようです。これは推測ですが

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1973 昭和48年【山岳部大全#6】

1973 昭和48年【山岳部大全#6】

1月   ヴェトナム和平協定成立    アメリカ撤退
10月   第4次中東戦争勃発
            オイルショック

 この年もパイオニア精神あふるる1年でした。部長のナカガワさんは生徒会長もやった方で、山岳部の食事をおいしくした人と言われています。まず新歓では合流山行の形式を取り、山のゴミ拾いを兼ねました。次は6月に沢行を行いました。つまり沢登りです。山岳部史上唯一の冒険の結果、山岳部

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