【世界1 大嫌いで、世界1 大好きなママへ】

私は27歳の
えのまやです!

高校3年生17歳の時にダブルスクールで
芸能スクールに通い始めました。
18歳で高校と芸能スクールを卒業。大学に進学
学業と並行して芸能活動。
アイドル活動やモデル
映画・ドラマに出演(セリフあり)

大学1年生で
国内旅行業務取扱管理者資格の勉強で
ダブルスクールに通いたくさん勉強し、
模試では合格点取れなかったが

当日はうまくいき無事合格!
(合格率35.8%)

大学2年生
一人暮らしをするも
【双極性障害・躁鬱病】

と診断され
3ヶ月病院に入院した

何もない閉鎖病棟にも1人で入れられていた。私はたくさん笑う
前向きで明るい性格だ。
でもたくさん泣いたりもしたよ。入院して辛いはずなのに
毎日面会に来るママは
私の笑顔に救われたと言っていた。

全然辛くなかった
私は辛いはずの入院生活でさえ楽しんでいた
楽しもうと考えて過ごしていた。
例えば、コップがピンク色
可愛い♡ラッキー
ピンク大好きだから嬉しい!!

ご飯が朝昼晩美味しい😋
そう思って
入院生活の中でも
喜びや楽しみを見つけてきた。

入院した3ヶ月は
大好きな
遊助のライブにも行けず
当時付き合っていた彼氏とも会えず
友達とも会えず
今までにない苦しさだったのだとは思うけど
今ではそんなこと
辛い記憶は薄れて忘れていくのである。


私の人生
やりたいことやってきて
女優・タレント・モデル・アイドルの
夢は叶えてきて
楽しい。

でもまだまだ楽しみたい
楽しみ続けるのである

それでは
私の生まれる前の
ママとパパの話からはじめていこう。ママは郵便配達員の母、
40代で病気になり働けなくなった父の娘
6つ上に姉がいる
次女として生まれてきた。パパは
幼い頃に両親が離婚
スナックのママでもある
歌の上手な母親に育てられた。
1つ上の兄がいる 
次男
昔から悪さばかりしてきた八王子のヤンキー
しかも
超がつくほどのヤンキー
元暴走族だった!

2人の出会いは高校生。
共通の友人の紹介だった。妊娠がわかり20歳で結婚しかし、妊娠2ヶ月目の検診で、
胞状奇胎だと発覚。
病院に行くと子宮を取るしかないと言われたが
ママはどうしても子どもが欲しかったから
その病院から逃げた。

病院を3箇所周り

【抗がん剤治療】をうける

髪の毛は抜けたタバコとお酒をやめた。
2年後に私の妊娠の発覚生まれてくるまで
食べ物には気をつけストレスないよう生活しそしてやっと生まれたのが
私であった。可愛くて可愛いくて仕方ないとても愛されて愛情たっぷり育てられてきた
私えのまや。3年後に弟が生まれる。弟が小5
私が中2の時に
両親が離婚。
弟の面倒をみて
わがままは言えない。
しっかりしなきゃいけない。
ママを助けてあげなくちゃ。
そんな私は
21歳のある日の夜ママが運転する車の中助手席で
言ってはいけない言葉

【死ねー!!】

っと泣きながらママに言ってしまった。
ママの姉の旦那さん
私の従姉妹のお父さんは
従姉妹が生後6ヶ月の時にガンで
亡くなってしまっていた。
【ママが死ねばいいのね】

ママは泣きながら
アクセル全開でスピードを出し前の車に近づく【やめてー!!】

私は必死に叫んだ。【死ねるわけないでしょ。Sさん(ママの姉の旦那さん)が亡くなってるのに死ねるわけないでしょ!】

ブレーキかけた。はぁはぁ。
ホットした。
泣きながら。
良かった、Sさんごめんね。見守ってくれてありがとう。
なんで死ねなんて言ったのか後悔ごめんなさい。しかしママのこと世界1大嫌いになったのはこの日だけである。ママのこと世界1大好きなのだ!
死ねと言ってしまったほど
苦しくて
追い詰められて

どうしようもなく涙が溢れ出していた
この瞬間の前に私に何があったのか?21年間
何が苦しかったのか

色々な夢を叶えてきた私は

本を出版することが新たな夢である。
【世界1大嫌いで
世界1大好きなママへ】
を必ず出版する!


皆さま応援よろしくお願い致します!!


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