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完璧主義について考える
こんにちは。Enokizakaです。前回の初投稿の記事は想像以上の反響を頂き、驚きとともに嬉しさでいっぱいです。ありがとうございます!
ただ、1つ自分の中で反省すべき点があります。それは投稿までに時間をかけすぎたこと。もっと早く公開できたのに、ああでもないこうでもないと推敲に推敲を重ねたわけです。
別に仕事じゃないし書くことを強いられているわけでもないので、納得するまで考えて、時間をかけまくって投稿すること自体は何も悪いことではありません。ただ、自分の直したい癖が出たな〜と思ったのです。
というわけで、今回考えるテーマは「完璧主義」についてです。
1.完璧主義とは?
完璧主義(者)の特徴を改めて調べてみると「万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格の人」「とりあえずやってみるができない人」「周りの頑張らない人が許せない人」…等々が出てきます。
完璧主義者の自覚がある私自身は大体上記の特徴に当てはまっています。書いていて思ったのですが、改めて説明する必要もない「完璧主義」というワードについて定義のようなものから一応確認する辺りからして完璧主義者っぽいですよね。早く本題に入りましょう。
2.完璧主義の負の側面
構成上、負の側面から紹介したほうが味がいい(将棋用語)のでまずはマイナス面から。
2.1 意思決定や行動を起こすのに時間をかけすぎる
完璧主義者である私が最も直したいところです。
完璧主義者は意思決定や行動に時間を先延ばしにする傾向があります。その理由は端的に言ってしまえば、行動を起こさない限り失敗せずに済むから。完璧を求めるが故に、意思決定や行動の前に「もっと情報収集・準備に力を入れたい」と考え、時間をかけるわけです。
意思決定や行動に時間がかかること自体も「優柔不断」「要領が悪い」などと非難されそうで問題ですが、個人的にもっと問題だと思うのは、時間をかけたからといって、ほとんどの場合は精度が上がらない、つまり本人が思う「完璧」に近付かないということ。
冒頭でも書いたように、私は前回の記事でnote初投稿だからと気合が入った面もありますが、完成度の高さにこだわるあまり、投稿まで時間をかけすぎました。気合入れて書いたのに反応薄かったらどうしよう…という思いも少しはあったかもしれません。
余談として、私は将棋が好きでいわゆる観る将(観る将棋ファン)なんですが、将棋界にも「長考に好手なし」という格言があります。
長く考えたからといって、いい手が指せるわけではない。むしろ、長く考えているのは迷っているケースが多いからで、創造的に考えていることは少ない。
ここで熱く語ると脱線してしまうので、興味のある方は記事を読んでみてください。
2.2 二分法的思考に陥る
完璧主義の負の側面の2つ目。二分法的思考とは「成功か失敗」「0か100」「善と悪」のように、物事を二項対立で捉える考え方です。
完璧主義者が意思決定や行動に時間がかかるのは行動を起こさない限り失敗せずに済むからと書きましたが、言い換えればこの二分法的思考からです。完璧な記事を書くか、何も書かないか。100点の記事でなければ0点。
二分法的思考の問題点として、1つ目は完璧が不可能なら、何もしないほうがいいという思考が生まれてしまうこと。部屋を完璧に掃除するのは不可能だから掃除しなくていいや…とかですね。(自戒を込めて)
2つ目は自尊心を台無しにするということ。なぜなら、99%の完成度でも失敗と見なしてしまうため、自分は失敗しているという思いが常につきまとうからです。欲求不満の慢性化によって、うつ病やアルコール依存症となるケースすらあります。
2.3 人間関係に支障をきたす
完璧主義の負の側面の3つ目。完璧主義は様々な面から人間関係に支障をきたす恐れがあります。
例えば、自分というものの存在の完璧さを追求するが故に、周囲の批判に非常に敏感なので、自意識過剰で常に身構えてしまう。しかも、完璧主義者は往々にして相手にも完璧を求めるので相手を受け入れられずに不満を抱きやすい。つまり、自分に厳しく他人に厳しい人なんですね。
マトリクスで考えると①です。人間関係(他人から好かれるか否か)という点だけで考えると、④の自分に優しく他人に厳しい攻撃型の人よりは多少ましかもしれませんが、それでも人間関係になんらかの支障をきたしそうです。
3.完璧主義の正の側面
以上のように、よくないもの、脱却すべきものという文脈で使われがちな「完璧主義」ですが、プラスの面もあります。
3.1 仕事の精度が高い
完璧主義者は自分を厳しく律して完璧を追求する生き物なので質の高い成果を出すことができます。少しのミスが命に関わるような手術だったり、鉄道や航空といった交通機関の運行などは完璧が求められる仕事ですよね。
私もテレビの生放送に携わっているので、人の命に関わるほどではありませんが、ミスが許されない仕事ではあります。自分の完璧主義的な側面が役に立っているなと思う場面も思い返してみれば多々ある気がします。
3.2 自己管理能力が高い
完璧主義者は基本的に自分に厳しくストイックな姿勢を貫くので自己管理能力が高い傾向があります。体調管理、時間管理、生活習慣の管理、自主的な目標設定・目的意識等々。
私自身の話をまたすると早朝の番組に携わるようになり、朝6時半出社の生活が始まってからもう3年になるんですが一度も遅刻したことはないです。休日も睡眠のサイクルを崩さないために早起きしてます。
飲み会の誘いがあってもスタートが遅い場合は「明日朝早いから…」という理由で断ります。コロナ禍となってからはそもそも感染のリスクが高いシーンは全て避けて生活しています。この辺りは完璧主義のなせる業ですかね。
3.3 周囲からの信頼が厚い
負の側面の2.3で見たように、完璧主義者は自分に厳しく他人にも厳しいので人間関係に支障をきたす恐れがあります。しかし、その一貫した姿勢から仕事においては信用されるでしょう。責任感が強く、最後まで妥協しないという特徴もあるので上の立場に立つ人も多いです。
4.完璧主義とどう付き合うか
ここまで見てきたように、完璧主義は悪い面ばかりというわけでもなさそうです。では、私も含め完璧主義者の自覚がある人は完璧主義とどう付き合っていくべきでしょうか?
単純に考えれば、負の側面を最小限に抑えて正の側面だけを発揮させるというのがよさそうです。ですので、どうやったら負の側面を潰せるかを1つ1つ改めて考えていきます。
4.1 とりあえず始めてみて、柔軟に修正する
1つ目の負の側面「意思決定や行動を起こすのに時間をかけすぎる」をどのように克服するかですが、完璧な条件設定などないのだと自覚し、とりあえず始めてみて、持続的に修正を施すことだと思います。私は最近、意識的にこの考えのもとで行動しています。
ちょっと想像してみてほしい。あなたは今、フランクフルト発ニューヨーク行きの飛行機に乗っているところだ。「飛行中、機体が予定されたルート上を飛んでいる」のは飛行時間全体のどのくらいの割合だと思うだろうか?
飛行時間全体の90%?80%?それとも70%?正解は、なんと0%だ。
−「Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法」より
要するに、物事が全て計画通りに運ぶことなどまずないので、重要なのはスタートではなく離陸直後からの修正技術のほうだということですね。
私たち、特に完全主義者は最初の条件設定ばかりを重視し、修正の意義を軽んじすぎています。それはどんな些細な修正も「計画が間違っていたことの証拠」のように思えるからです。
特に現代はVUCAの時代ともいわれるように、あらゆる環境が目まぐるしく変化し、予測困難な時代となっています。どうせほとんどの場合で修正を余儀なくされるので、準備などの条件設定に時間をかけすぎるのはやめましょう。何事もある条件設定のもとでスタートさせ、それが進んでいく過程で駄目だとわかったことはそのつど修正を加えていくことが重要になります。
何かに取りかかる前に、それを完璧にしようとして膨大な時間を費やしている人があまりにも多い。完璧でなくてもいいから取りかかり、あとで修正すればいいのだ。 ーポール・アーデン(イギリスの広告クリエーター)
4.2 二分法的思考からの脱却
二分法的思考は完全に捨て去らなければならないものというわけではありませんが、常にこの思考でいると2.2で見たような弊害が生じます。
では、どうするべきかというと、「問いの立て方を変える」ことかなと思います。具体的には、先ほどの掃除の例でいうと「自分の部屋は奇麗か汚いか?」という二項対立的な問いではなく、「どのようにすれば少しでも自分の部屋を奇麗にすることができるか?奇麗な部分を維持し、汚い部分をなくせるか?」という問いに変えるといった具合です。
「自分の部屋は奇麗か汚いか?」という問いだと、面倒臭がり屋な私の場合は「汚い」→「完璧に奇麗にするのはとても無理だ」→「掃除しないでいいや」という思考回路になります。これが極端化したのがゴミ屋敷の住人ですね。逆に「汚い」→「完璧に奇麗にしてやろう」となればいいですが、それはそれで潔癖症のような病的なレベルにまでなる人もいるでしょう。
それに比べ、後者のような問いであれば、奇麗にする=掃除という行動を前提にしているので何もしないということが起こりません。また、「少しでも」という言葉に見られるように、完璧さも追求していないので行動に移すハードルも低いですし、「少しでも」奇麗になった場合は成功体験となって自尊心が高まること請け合いです。
あるいは「減点方式ではなく加点方式で考える」。足りないものよりも今あるものに目を向けるということですね。テストで99点を取ったなら足りない1点を嘆くのではなく、99点を取ったという事実にポジティブな面を見出す。仕事で全体として失敗の烙印を押されても、うまくできて成功した部分にもしっかり目を向ける。このような見方ができれば、自尊心を台無しにすることもないでしょう。
4.3 「まっ、いいか」を口癖にする
2.3で見たように、自分に厳しく他人に厳しい完璧主義者は人間関係に支障をきたしがち。「まっ、いいか」という言葉を口癖にすれば、「多少うまくいってなくてもいいか」と思えるようになり、その「厳しさ」が緩和されるでしょう。私も最近は内心で「まっ、いいか」と思うことが多く、いい意味でいい加減になってきたな、自分と感じています。
5.終わりに
以上のように、私も含め完璧主義者の自覚がある方は完璧主義の負の側面を最小限に抑えつつ、正の側面を発揮する、言い換えれば場面によって完璧主義のオンオフを切り替えることが大切です(そんなの完璧主義と呼べるのか?と完璧主義者から抗議の声が上がりそうですが)。あえて部分的完璧主義と呼びましょうか。これを目指したいところです。
前回の記事よりだいぶ長くなってしまいましたが、書こうと思い立ってから投稿するまでの時間はだいぶ短くなりました。完璧主義について完璧な考察ができたか?と問われれば、もちろんノー。出来としては60点くらいでしょうか。でもいいのです。完璧な記事なんて存在しないのだから。
<参考・引用文献>