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どんな人間になりたいか

先日、28歳の誕生日を迎えた。良い機会なので、今後どんな人間になりたいのかを考えてみたいと思う。

昨年の今頃は、躁と鬱の変動が激しかった。薬の調整も思うようにいかず、副作用に悶える日々。生きたくないのに、治療をするという矛盾に苦しんだ。暴れ狂う病は、自分も家族もボロボロにした。医師に何度も入院を勧められたが、医師の前で喚き散らし、入院を断固拒否した。あの時のように、強制入院をさせられなかったことだけが救いだった。

息をするだけでヒリヒリと痛む身体と共に迎えた、昨年の誕生日。あれから一年が経ち、見違えるほどに体調は良くなった。思うように行かずとも辞めなかった闘病生活が、私に未来をもたらした。

双極性障害を診断されてから4年半。まだ働けない、一人で過ごせない日も多いけれど、少しずつ本来の自分が戻ってきているような気がしている。そして、健康だった頃には分からなかった 人の心の奥深さを、前よりも感じることができるようになったのではないかと思う。もちろん、人の心は決して計り知れないのだけど。

「今日死んでも後悔がないように、やりたいことをやれ」とよく言うが、私は明日生きることを前提に今日を生きたい。明日に続く今日。明日も生きていいから今日を生き延びるのだ。人生の目標は「死ぬまで生きること」と掲げたいと思う。

今後どんな人間になりたいか。今はまだ、自分が働く姿を想像できない。体調が良くなってきたとはいえ、少しの出来事で崩壊してしまう身体だ。自分の生活を一人で成り立たせることは当分無理だろう。でもそれでいいと思う。私には幸福なことに家族がいる。何でも受け入れてくれる家族。この家族に目一杯甘えて、生きること、感謝することで返していきたい。プライドは とうに無くした。無くすしかなかったから。夢は諦める他なかった。いくつもの淡い夢。その夢を具体的にしていけたらと思う。

来年の誕生日には、今と見違えるほどの回復を遂げているのではないかと、期待してしまう自分がいる。その時が来たら、自然とどんな人間になりたいかという問いに答えが出ているような気がする。今は、今後について考えを巡らせられるようになったこと自体が、褒め称えるべき成長なのだ。上がったり下がったりを繰り返しながら、緩やかにではあるが着実に、安定に近づいている「今」に満足していい。焦らず、人と比べず、自分自身に誇りを持っていい。どんな人間になりたいかは、この先の未来、知らぬ間にポンっと産まれてくるものなのだろう。今はその時を気長に待つだけだ。

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