変な子と言われてきた私
私は昔からよく「変だね」と言われてきた。
いや、変にしてたのかもしれない。
小学一年生、私だけ真っピンクのメゾピアノのフリフリの服を着ていた。
真っ先に目の敵にされた私は、背の順の後ろの子にどつかれ、ぶりっ子と言われた。
確かに可愛いと言われたかったし、当時は自分のことを可愛いと思っていたからあながち間違いではないが、とにかくクラスメイトのほとんどからぶりっ子扱いされた。
小学二年生、ぶりっ子と言われないためにどうしたらいいか考えた。
そこで思いついたのは、ぶりっ子じゃない人、になることだった。
とりあえずみんなに合わせ、みんなと同じように行動して過ごした。
つまらなかった。
小学三年生、みんなに合わせることに飽きた私は1人で行動するようになった。
さらに、みんなと一緒、が極端に嫌いになった。
だから、春夏秋冬どれが好き?という質問にクラスで1人だけ秋を選んだし、赤青黄緑どれが好き?という質問にクラスで1人だけ緑を選んだ。
その時からだ「変だね」と言われるようになったのは。
でも、みんなと同じじゃなくても自分が好きなものを好きと主張できることが私は誇らしかった。
先程、みんなと一緒が嫌いになったと書いたが、嫌いなのもあるけれど、そもそもみんなとは少しズレていた。
だから『変』なのだろうが、全然それでよかった。
それからというもの、中学になっても高校になっても、今になっても「変だね」と言われている。
勿論今は多少変と言われないよう気をつけてはいるが、躁鬱の関係でずっと私が私らしくいることもできなくて、結局変になってしまっているようだ。
変な子と言われてきた私だが、今になって言われる言葉がある。
それは、「自分があっていいね」
小学三年生から変な子として生きてきた私は、
大人になった途端、個性があって自立していていいと褒められるようになったのだ。
学校という狭い狭い居場所では『変』にしかならない個性も、いつか広い世界にでればそれは自分として、個性として認められる。
ようやく大人になって知ることができた。
そんなこと知りもしなかった小学三年生の私に、とびっきり感謝したい。
そのままで良いんだよ、と伝えたい。