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わたしと大倭/矢追日聖

私は、形は浄土宗僧侶。
一般家庭から浄土宗僧侶になったものである。

他のところで説明してきたように、
十五歳の頃にノートに5000枚自己の内に湧き上がるものを記て仏教と一致したとか、
三歳の頃から過去世の記憶があって、僧侶としての使命を気狂いか真実か自覚したとか、
説明してきた通りの理由である。

妄想かもしれないが、
釈尊がいつも側にあって、過去世共にいた心地で幼児期を生きていた。
何故かキリストも傍にあって、何の因果か妄想か知るところではない。

そんなことと共にあったものが、もう一つ。
「大倭」なるものである。

実家が何かの新興宗教に傾倒していたとかいうことはないのであるが、
この一見世間並みの新興宗教にしか見えないような「大倭教」なるものが
私の身近にもう一つあった。
これは祖母が縁あって出入りすることになったことから始まり、
うちの祖父母から縁をもつことになったところである。

ここで一つ面白いのは、
釈迦とキリストと大倭と、
私の中では始めからなんの矛盾もなく
(もっといえばイスラム教などは姿こそないもののそれらも含めて)
一つのようなものとして認識されていたということである。

たかだか三歳から五歳頃の幼児であるが、
そのようにはっきり認識していた。
そのように、聞く人からすれば、
全て別々のものに聞こえることの方が多いかと思うが、
私においては始めからはっきりと一つのものだという確信があって、
そのように認識されていたものである。

宗教というものが、もし真実であるならば、
かつ、多くの宗教が真実であるとするならば、
真実は一つであって、複数に異なることはなく、
「多くの宗教は別々のものではなく、一つのものでしかない」
ということがはっきりあったのである。
言語化して知られたようなことではなく、理屈を無言のうちに秘めて、
はじめからこれがわかっていたと言える。

こんなことを言っても、
多くの世間人には狂人だと思われるのがおちであろうから、
読者の読みたいように読んでもらって構わないものである。
わたしはガリレオガリレイのように、
真実を完全に確信、いな知っているが故に、
ここにおいては全くのブレが存在しないので
お目出たいともいえよう。

そんなこんなで、
私の身近には「大倭教」なる、今は世に知られていない
マイナーな宗教があったのである。

古来の日本神道

大倭神宮

この「大倭教」とは何かと簡単に説明することにしよう。
「大倭教」とはわかりやすくは日本神道の一派だと思っていただいて構わない。
「大倭教」の言い分を聞けば、日本神道の根源といった方が正確であるが。

先に、大事なことを言っておくと、
これは終戦の日に、宗教法人として形とすることにされたものであり、
時代の制度に否応なく従って「宗教法人」としただけのものであって、
その実は純粋古来なるままの神道
というだけのものである。
そもそも宗教法人なるものは明治以降の西洋化の中で、
新たな法治国家の新たな制度において無理に作られたものであって、
各寺院は各寺院として、各神社は各神社として宗教法人となることを
国家の法との折り合いの中で進められたようなものである。
その後宗教が新たに興るということが多発し、
現代に手垢のつききった「宗教法人」なるイメージがこびりついてしまっているが、単に寺院も神社も「宗教法人」であって、国家の制度によって要請された型式というだけにすぎない。

「大倭教」などというものはない
「大倭教」というものは、
「大倭教」という名前すらよく思わず、
致し方なく宗教法人として在るという立場のものであって、
例えば「信者などは存在しない」という他の宗教法人とは一線を画した立場を主張し、
とにかく致し方なく存在する、純粋素朴な古来のままの宗教であるということを断っておきたいものである。

終戦時に制度に従って法人化したが、
古代からそのまま奈良の古代日本の地に伝えられてきただけのものであり、
新しく興ったようなものではなく、むしろ今の日本神道以前から存在するものを改めて伝え直したものに過ぎない、ということも先に断っておくものである。
この新興宗教が沢山登場した時代において、あまりに紛らわしいところがあり、実に世間に正しく伝えづらい宗教だと常々悩むところのものである。

そのような宗教であるということを先にご理解いただいた上で、
その内容をさらに説明しておこう。

簡単に入口としては「神道」だということになる。
この奥深くに潜れば、実は仏教でもあり、全ての神教でもある、
というところまで行ってしまうものであって、
実際には単に神道といえば最終的には異なる
ということも先に断っておきたい。
その神髄は全てつながっており、実には一つである。

ただわかりやすく入口として理解するには、「神道」であるということにしておく。

神道の深奥

そこで神道といえば、多くの日本人は詳しく知っておらず、
何となく神社に参るといった程度のものであって、
今見るような神社の神道や、
今見るような神社で一応採用されているところの日本神話、
などをイメージすることと思う。

ところが、もう一歩勉強している者は、
・神道というものは、実はいくつも種類があることを知っていたり、
・その根拠ともなる日本神話が実はたかだか西暦700年頃の書物(『日本書紀』『古事記』のいわゆる『記紀』)のものであって、
 ・それ以前に別の書物があったこと、
 ・そもそも別の内容の神話もあることなどを知られていよう。
・もっと言えば、今の日本神話は、ある時期に宮崎県(高千穂)からやってきた神武天皇の王朝による神話であって、それ以前に大和にあった系統があったり、大国主の国譲りという国を譲った系統が「出雲大社(教)」として今の日本神道とは少し別に存在するなどの事情を知られていよう。

そのようなことから、今の日本神話は元来からのものであるかは議論の分かれるところである、といったことが普通に展開されているという事情を知られていようかと思う。

全くこの通りであって、
簡潔に言えば神武天皇が大和に入ってくる以前に、
大和には大和の元の天皇朝があって、
大和すなわち奈良県には、
そちらの神話や史伝が語り継がれて残っていたりするのである。
今の日本神話はいわば「勝者の歴史」のようなものであって、
大和には大和の古来からの神話や史伝が残り続けているのである。
その一つが「大倭」という場所であって、
古来からの神話史伝を語り継ぎ、元の神域を祀り継いできたというのである。

余談:抱きうる疑問

ここで読者で理知性が優れているものがあれば、
「敗者であるならばそのようなものは宗教的真実ではないものでしかないのではないか」とか
「なぜ神武天皇の系統に塗り替えられてしまったのか」「神武天皇の系統の神道は間違いなのか」とか
「なぜこの時代になって、そのような以前の宗教を伝え直すなどということになるのか、一度裏に沈んだようなものであるならば伝え直す価値などないのではないか」といったような疑問まで走るかもしれないが、
これは実に優れた疑問であって、これらにはしっかり理由が語られるものであると先に断っておく。
私もこの点において以前は、この時代に育っていく過程で、
この時代の理知性を発揮して疑問に思ったものであるが、
この辺りも問題なく説明がなされているものであって、
今となってはこの辺りのことも理知的にも理解するところである。

この神話史伝を伝え直すために、わざわざ宗教法人化して残されたものが
「大倭教」のひとまず簡単な説明である。

富雄(大倭)の言い伝え=古来の日本神道

そこでさらに説明を深くする。

神武天皇に金鵄が輝き、ナガスネヒコが降伏したとされる

日本神話をある程度知っている方であれば伝わることと思うが、
神武天皇が東征してくる(大和にやってくる)とき、
大和には「ナガスネヒコ」と呼ばれる首長がいて、
神武天皇らは随分と苦戦したことが知られている。
その苦戦の果て、金色の光が生じるという現象があって(金色の鵄ともされる)、
ナガスネヒコらが降伏して、神武天皇が大和の地に即位したということになっている。
このとき、ナガスネヒコの血統から娘を出し、
神武天皇は高千穂から連れてきた妻と離縁して、
元の王朝と結婚するという形で初代天皇が即位したものである。

このナガスネヒコの血統はその後、
天皇の補佐役として回っていったり、
全国へ散らばっていったりした。
その天皇の補佐役に回った血統として有名なのが物部氏である。
東北に至ったものが、後の蝦夷であり、兄のアビヒコの血統が後の奥州安倍氏であり、
実は安倍元総理の先祖である。

このナガスネという名は「邑の名である」と記されており、
ヒコとは「日の子」といった語源で「王」を表わすものであったから、
「ナガスネヒコ」という名は「ナガスネ邑の王」という敬称なのであるが、
このナガスネ邑は、金鵄が出たことから、「トミ(とんび)邑」と名が変わっていったことが記されている。
その「トミ邑」は、生駒山東麓の「登美ヶ丘」「富雄」などとして今に名を残しているものである。
(詳しくはこちらの記事「日本神話の真実」にて)

その「トミ邑」にはナガスネヒコの直系が残り続け、
「トミ氏(登美氏、迹見氏)」として、ひっそりと残り続けた。
これが歴史の表舞台に名を残しているのは、
蘇我氏と物部氏の闘争のときに、
物部守屋を射抜いた人物として「トミのイチイ」なる人物名である。

この血統がトミ邑=富雄に残り続け、
地域の大地主として存続したようであり、
これが「大倭」の邑であり、
このトミ家がその功績から「矢を負う=矢追氏」として残り続けた「矢追氏」である。
この矢追氏は、
大和の最も古い神域を代々守り続け、祀り続けてきた。
ナガスネ、トミなどというのは後の名称であり、
この地域のことを、本来「大倭」というのだという。
祝詞や日本神話に登場する日本の美称であるが、
その本体は、富雄の辺りであり、
すべての親元(故郷)、大親元から「おおやまと」と呼ばれた地であり、
後に漢字をふったものが「大倭」であるというのである。

その「大倭」の地において、
迹見氏から矢追氏と名を変えながら、
地元の大地主家として残り続けてきた矢追氏は
太古から変わらぬ純粋素朴なる神道を引き継いできたものであり、
これは全く形式だけのものではなく、古代人のままの内実を実践したものであり、
かえって現代には訝しがられるような霊験などが当然のものであって、
生き生きとした宗教として継がれ続けてきたものであった。

矢追日聖(法主)

そこから大正時代に
飛びぬけて祭祀をなす者として「矢追日聖」という人が生まれて、
その極めて現実的な生き方、現実的な宗教の在り方を示しながら、
極めて深い宗教哲理を顕して、神道の実際を復古して、
致し方なく「大倭教」という法人を引っさげながら、
これを形として表わしなおしたものである。

その宗教哲理は実に理性的なものに貫かれており、
いい加減な堕落した宗教性を一切含まず、
読む人が読めばなんと理性的にも読める内容であろうかと思われるような内容である。
そこでは、なぜ神道が古来からあって、仏教などの他の宗教があって、
あるいは、なぜ神武天皇がやってきたか、本来の神道が埋没してきたか、
なぜ今示しなおされるのか、といったことが実によく説明されている。
本人は説明が下手であるから後によく説明されることを望むといったことも述べており、
もしかすれば普通に読めばそのようなことを的確に理解することは難しいかもしれないが、
わたしは理知的なものを半分に強く持ちながら、それを読むときスムーズに理解したものである。

そのような大倭なる場所が古くから存続し、
いつかこれが世界のメッカとして認識される遠い未来を待って、
ひっそりと存在しているのである。

私は、この大倭なる場所と切っても切り離せない関係である。
これがまだ時代的に理解されないことをよくよく理解して、
小さい頃から内面において随分と押し込めてきたが、
私の仕事と心得て、そろそろ表へ放っていくことにした。

はじめに、全ての宗教は一つであるということを記したが、
釈迦、キリスト、大国主、大倭などと様々なものが登場して、
かえってそれとは遠ざかったのではないかと思われる方もいるかと思うが、
わたしにはそのカラクリをよく判られるところである。


これが、今の時代に理解されがたいことは
私もよくわかっているから、その控えたいとも思うのであるが、
一応、わたしを狂人としてよく理解される一部の狂人のために、
ご本人の著作にも一度だけ登場するのを確認できるから示しておくと、
・日聖は釈迦の後身であるということである。
・キリストはその子である。
イスラム教でも最後の審判ではキリストが正しい教えを説くことになっているから衝突しない。
そして神仏習合からいえば日本の初代天皇である大国主=釈迦である。
これ以上は、控えておくにする。

わたしは、これがよく判るから、
幼児期にそうした情景を見ていたのであろう。
このようなことだけを言えば、訝しさも随分と生まれるかもしれないが、
ここには実に深い仏教哲理などが、貫いて存在する。
決してうわべだけで言っているのではなく、
この理知性を徹して説明がなされるものである。
故にこのことが真実ということには一点の曇りもないのであるが、
この時代においては、これがどうも説明しづらい。

科学が追い付く日:神社での感光

そこで私も随分と悩んできた。
言葉に出来ないような気持の渦がここにはある。
いろんなことを悟って、ただ黙らざるを得ない。
わたしの内面で知るところは、実際話さず終わっていくであろう。
南岳大師が、天台大師を初めてあったときに、
「この境地はわたしと汝だけがわかる境地である」といったことがよく判る。

そんな中でも、人に話せることを一つだけ示しておこう。
後になって、掘り起こされる日が来ることを待ちわびている。
それが、宗教的なものに科学が衝突して感知するときがくるという話である。

法主さんはその著作の中で何度も「科学がいつか宗教においつく」
もっと具体的に言えば「科学がいつか神秘的なものを感知したりするときがくる」といったことを述べており
そうした「たましい」とされるようなものは「電磁波」のようなものであって、
「光」としてカメラなどに感光するということを述べている。
そこでご自身も行く先々で、法主が祀る際に様々な光が映り込んだ写真が撮られている。

現代人の唯物徹底主義者からすれば、そんなことは何かの故障などであって、
必ずそうした原因があるはずだとして受け入れないものと思うし、
わたしも実際何度もそうなのではないかと思ったりもしたものである。
そのように私も散々、一応この時代の人々に寄り添って疑ってみようとしてきた。

そんなこともあったのであるが、2023年のあるとき、
私自身がこの科学による衝突=感光を現代の機器で体験してしまったという出来事があった。
理屈の上のことだけではなく、実証を得て、疑いなど滅してしまった。

それがこの動画である。
誕生日、大倭に宿泊して翌日、
大神神社の若宮社にて大倭式の祭祀をしたあと、
同伴者が撮影したときに感光したものである。

そのときのことは忘れ得ないが、
祭祀を終えて頭を上げたとき、同伴者がiPhoneを構え始めたとき、
カメラを起動した瞬間から画面に稲妻走るバリバリといった音なき音を立てながら、
「白い電光」のようなものが映っていたのである。
同伴者がそれを見て目を丸くしながら撮影開始のボタンを押し、
そのまま24秒間だけ撮り続けたものである。
もし祭祀中に撮影すればずっと映り込んでいたのかもしれない。
詳しい話は本題ではないのでまたの機会としたいが、このようなことがあった。

伝わらなくても

今の時代に、正しい宗教の真相をいくら説いたところで、
ほとんど伝わらないであろうことが身に染みてわかる。
僧侶としての格好をもって、
その実に浅きところだけを階段のように人々に説いて、
現実生活になんとか役立ててもらうようなことしかできないように思う。

ところが、その深奥には、
さらに深い深い真相があって、
今の時代の人々では到底理解しがたいような真相がある
ということだけは、書き残しておきたいのである。
法華経も華厳経もその最深奥は覗きがたいものである。

わたしは、何故か、
表向きの人間としては、それなりにポンコツでもあるし、
愚劣なところも持ち合わせているものであるが、
こうしたことを知っているところのものである。
普通に修行をこの身でなし続けた先にしか、
深いことは分かり得ないと思っているような理解では
このようなことは不可思議でならないと思うが、
世界はもっと複雑怪奇で、実は人の理解できぬほどに純である。

わたしは、これをいつか人々が成長しきって、
宗教的なことを再発見するときに向かって、
その階段を示し続けながら、
実際に生きる人々を一人でも多く、
身近なところから育て上げていく、
そのための真理を伝えていく使命であるようである。

今は伝わらないことを重々承知の上で書き記しておくと

一つの三千大千世界は久遠本仏の造成せらるる処である。
久遠本仏を見方によってヤハウェとも天之御中主神ともいい、
この三千大千世界を生み出したるいわば親である。
宗教は子育てである、これは人や家庭によって説き方が異なる。
仏が引退の見本であり、神が繁栄の見本であり、実は同体異相である。
部活を生み出したる監督が、片面では引退者、片面では部活活動者であるが如し。

この地球の生命的中心地として、日本語で「おおおやもと」なる処がある。
これが「おおやまと」であり、世界の実は中心である。本門の霊山である。
久遠本仏は神としての姿と、仏としての姿を共に見せるものであり、
神として見せたのが大国主、仏として見せたのが釈迦である。
キリストはこの子らの代表者、長男であり、仏教では弥勒である。
神教は即仏教であり、弥勒下生という完成へ向かって成長させる子育てである。
次の弥勒が出てくるまでは、誰も仏と成るものではないが故に神教としてあるものであり、
よく考えれば、これは仏教の在家菩薩道と内容はさほど異ならない。
自覚するとせずとを問わず、衆生はみな弥勒下生へ向かって育っている。

そんな中にあって、親はときどき見本を現しに生まれ、
あるいは親の友もときどき菩薩として現れる。
これが釈尊や聖徳太子や各祖師であり、
あるいはキリストであり、ムハンマドであり、クリシュナなどである。

実は日本は中心地であり陽であり、弥勒の下生するところであり、東の果てのよき国である。
また一方で大陸などの他方世界は、精神的には陰であり、物質的には陽であり、
この陽と陰とは、雌雄の遺伝子が二重螺旋構造をもって絡み合うように、
互いに陽陰のものをもって絡み合って、平等にあるものである。
そのうえで日本が実は精神的には陽であり中心であり、霊的に中心であって、
実には仏教の本土であり、ユダヤの本土であり、弥勒の下生する処である。
釈迦がインドに生まれたのは、子は外に立つ前に母の腹で生まれるように、
陰の地にて生まれただけのことに過ぎない。

衆生は現代は、急成長する子が反抗期を起こすが如く、
物質的な急成長によって親を理解できず反抗期にあるだけに過ぎない。
子が育ちきれば大人に追い付くことによって反抗期を終えるように、
科学が発展しきって宗教的な領域にぶつかることによって、
いつか宗教を再発見しこの反抗期が終わる。
その日がそう遠くないところに、私は生まれてきて、
法主のあとを担って、真実を陰ながら伝えつつ、
世の人を現実的に向上へ、浅い真理をもって導くものである。

というのが、わたしの本当に知るところであって、
内面に抱えながら決して人々には強制したりしない、
ガリレオガリレイが地動説を確信していたが如くに
確信しながら時ではないことをも知って、
地下水の如く示す
ものである。

疑いたければとにかく疑いぬけばよいのである。
真実ならば、地動説の如くはっきりと表へ現れてくる。
他の説を、あたかも日が昇れば星が見えなくなるように、押し下げて。

顕幽不二還元帰一
現し身は よし朽つるとも 永久に
結ぶ心の 変わるものかは (日聖)


上皇陛下(当時は皇太子殿下)と日聖法主


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圓寂が、社会の精神性に寄与することを願って、さまざま深い思慮を発信し、活動することを楽しみにしながら…

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