![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134177754/rectangle_large_type_2_b3e8fd0079ab8ef237340f8c5c575ee6.jpeg?width=1200)
【読書】「正欲」朝井リョウと「ロリータ」ウラジミール・ナボコフ
「ロリータ」言わずと知れた、ロリコンの語源となった本。カバーの裏表紙がこの本の特徴を余すことなく伝えている。
世界文学最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説であると同時に、
倒錯した恋、朝井リョウの「正欲」を読みながら、倒錯を考える。
倒錯
正常の状態に反した行動傾向,特に社会に非難される性的に特異な行動傾向をさす。
ミステリでありロード・ノヴェルであり、今も論争が続く文学的謎を孕む至高の存在。多様な読みを可能とする「真の古典」の、ときに爆笑を、ときに涙を誘う。
「ロリータ」、今だと新潮社の「ロリータ」が手に入りやすいのだろうな。その場合、是非、「訳者あとがき」から読むことをお勧めする。
登場人物の名がコロコロ変わるし、注釈が多いし、訳が悪いとかではなく読みにくいことこの上ない。しかし、読む価値はある。訳者が言うように注釈は一度読了してから読むこと。この読みにくい長編を今度は注釈を参照しながら読む、は気力が充実していないと難しいが、実現させたい。その際に大切なことは「”クレア”を探せ」。「ロリータ」の副題にしたいくらいだこの「”クレア”を探せ」は。
小児性愛者の深淵を覗きたいと思ってもこの本にその回答はない。人を愛する人の可笑しくも悲しく、哀しい心のうちなら読み取れるのではないだろうか。
「ロリータ」を読了した本読み友人に勧められた「正欲」を「ロリータ」の間に挟みながら読んだ。「正欲」は長男が買った本。朝井リョウは「何者」「何様」を読んでいて、若者特有の言い回しや話の展開に、もうこの作家はいいかな、と思い手に取らずにいたが、丁度我が家に転がっている。「ロリータ」の毒気ざましにすべく読んでみた。
毒気ざまし、いや、「正しい」欲を振りかざす「普通」の圧倒的な暴力に立ちすくむ自分だけの欲を抱える人の姿が切ない、引き込まれる。
子育ては「祈り」だと思っている。
どうか、この子が健やかに育ちますように、
どうか、この子がお友達と上手くやれますよに、
どうか、この子がいわれなき暴力にさらされませんように、
それは、子どもが成人してもたとえ中年のおじさんになっても変わらない祈りである。
だから、もし、自分の子どもが
「寝る前に、毎日思うんだ」
「朝起きたら自分以外の人間になれていますようにって、毎晩思うんだ。性欲が罪に繋がらないならどんな人間だっていい。俺もそういう人間に生まれて、好きな人がどうとかで悩んで、恋人ができて、家族ができて子どもができてってやってみたかったよ。
「自分に正直にとか言われても、その正直な部分が終わってる。俺は根幹がおかしい」
このような気持ちを抱えて日々生きていたら、わたしは一体なんて言葉をかけられたのだろう。
だから、登場人物の二人がお互いへ、
「いなくならないから、って、伝えてください」
と言える人に巡り会えたことに、落涙。
誰かを「いなくならないで」と思えること、
誰かに「いなくならないで」と思われること、
の尊さに思いを馳せる。