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Disciplineとは【なぜ中高生のコーチングをするのか?】

アメリカ人のパートナーとダンススクールならぬ「ダンスアカデミー」を経営してきて、今年、教育事業としての多角化を計画しております。

ここではその理由について説明しようと思います。


前置き:夫の「ダンス×人材育成」を見て私も火がついた

既に2,3年前から発信している
noteで書いている通り
海外出身の人がスクール主として行っている育成は、日本式とは全然違うなと改めて思い知らされている今日この頃。

日本の公立の学校で育ち
勉強は割と好きで頑張って
国立大学に入学し、新卒で新聞記者になった私。

外国人と結婚したものの、やっぱり価値観はどこか日本人的で。

今思えば、自戒を込めてですが、
この資本主義かつ低価格・高品質サービスな日本で「経営」というものをし出すと
私も発想やサービスがすごく日本的になって
お客様発想に傾倒し
夫の良さを潰しかけていたなと
反省もしております。

そして、この1年はいろんな考え方・価値観・役割分担・人間関係・所属するコミュニティを徹底的に見直しました。

そこで改めて見えてきた価値観のひとつは
私も人材育成が好き。
とても情熱をもつ分野だということ。

そこでパートナーとは違う形で
“自分の”人材育成事業を
思案・計画しているところです。

その計画のなかで、今流行りの(笑)
コーチングの発想を10代から取り入れようと
思っているわけです。

約1年間、コーチングを勉強しながら気づいたことは
パートナーの人材育成手法は「ティーチング:教える」ではなく「コーチング:導く」であるということ。

まさに私のお手本となる人材育成を実践している人がそばにいるじゃないか!ということでした。


個性を育てる海外メソッドと早期に仕上げる日本メソッド

さて前置きがめっちゃ長くなりましたが…

パートナーのダンスアカデミーでは、本当に個性が生きたダンサーがたくさん育っています。

個性を尊重し、自主性を重んじ
生徒の選択に委ねる。
まさに海外的な発想。

型を、答えを、アドバイスを詰め込むインプット重視の日本的な教授法とは全然違います。

だからこそ、関係性をうまく築いたら個が育つ。成長する。結果もゆっくりついてくる。

個性が育つ、は本当にTHE 海外。
(昨今インターナショナルスクールが人気の理由のひとつでしょう)

一方で、個性が育っても
その個性で結果を出していく!
という段階に入るとワケが違ってきます。

この「結果を出す」というのは教育熱心な日本や、早期教育の得意分野。

ダンスの世界で言えば、日本のキッズダンサーは世界でも稀に見るほどうまい子が多い!わけです。

おそらく他の分野でもそういう事例はあるはず。
卓球、フィギュアスケート、柔道、空手、スケボーなどなど。

(話がしょっちゅう外れそうになりますが)
私はパートナーが上手に
一人ひとりの個性を育てた後、
どのようにそれを成果や結果に繋いでいくのかを
ハラハラドキドキして見ていました。

個性を確立した先にあるDiscipline

個性は育っても
基礎や型、答えを重視する「基準社会」で
どのように結果を出すのか?
この辺の課題感はしょっちゅう議論していました。

そこでパートナーから出てくるようになった言葉は“Discipline”
日本語にすると、規律、修行、鍛錬、しつけ、懲罰。

(心の声)まあ、なんと日本的な言葉!ここまで伸び伸び、のびのびと育てておきながら、ここからは修行しろとしつけるの?それ一気に、海外感なくなるじゃん?やれるの?(心の声終わり)

しかし…一方の夫は口では「ここからはDisciplineが必要」というのに

毎日●●のメニューを30分やれ
毎日●●を40分やれ

と方針程度に示しはしても、生徒に厳しく言わないのです。

規律、修行、鍛錬と言いつつも実際は厳しく監督するわけでもなく。。。

一体、英語でいっている
Disciplineとはなんぞや?と
私はよくわからなくなっていきました。
肌感覚で理解できなかったのです。

(そして一部の保護者から「先生は甘い」「優しい」「もっと厳しく指導して」と形容される始末w)

ふーむ。

アメリカ人のパートナーが言う“Discipline”と
日本語の「修行・鍛錬・しつけ」には
何かズレがあるようだ。

そう、ぼやっと考えてだいたい3年目。
やっと最近わかりました。

自己決定か?環境か? 鍛錬のスタート地点が違う

英語でいうDisciplineは
「自主的に設定した規律、自らやると決めた鍛錬」の意味合いが強い。

一方で、Discipline が日本語に訳されると
「修行、懲罰という意味合いも
含んでしまうように
強制的な環境もしくは
力の作用によっておこなう鍛錬」
の意味合いが出ているような気がします。

好きなことを自己決定として選び
それを鍛錬するのも全て自分。
だって自分が選択した道だから。
全て自分主体の選択、行動。その先の結果。
鍛錬ができなければ、それっぽっちってこと。

アメリカ人の夫からすると、Disciplineはそんな感覚です。

だからじっくり時間をかけて自己を深めて
選択し
選択に深みと自信があるからこそ
鍛錬できる忍耐強さも生まれる

そこに伴走するのがコーチング。
だってコーチングは「すべて行き先は本人のなかにある」の発想だから。

なんでも「楽しい」と言う子どもの本意を見極める

さぁ、ここで考えたいと思います。
教育熱心な私たちこそ、自らを問い直さないといけないのです。

いい未来に導きたい、結果を出して欲しいとの思いが溢れるあまり
子どもの環境を、進路を
大人が選択して与えてしまっていないか。
子ども自身が選択する余地を残せているか。

海外的なDisciplineを実現するには
その基盤となる選択が、子どもの心の奥底からの決断・決意・本意である必要があります。

ぶっちゃけ言いますが、大抵の子どもたちは
なんでも「楽しい」と言う言葉で
自分のしていることを表現し
感想を述べます(記者として取材を重ねた経験談)。

子どもは賢いです。求められている答えを察します。

でも、その「楽しい」には奥深さや意味合いが五万とある。グラデーションで濃淡がはっきりしている。

子どもが生きる道に関しては、
その「楽しい」の奥底を見極めたい。

私は「子どもが楽しいと言ってるので」と話す親御さんの言葉にこそ
それは本当に子どもの言葉であり、選択なのか?というアンテナスイッチを入れて聞いてしまう癖がつきました。

個性を尊重して教育環境・進路・習い事を選ぼうと
周りに合わせて教育環境・進路・習い事を選ぼうと
結局、最終的にはどちらにせよ規律・鍛錬が必要。

だからこそ、その選択が
本人の心底の意志=能動的主体的な選択か
本人に与えられた受動的な環境や選択か

そこを徹底的に見極め、焦ることなく
導けるかどうか。

そこに「コーチング」の発想が大事になるんじゃないかなと思っています。

そして、私が深くやりたいのはその先。

一度選択したものでも、年を経るにつれ
挫折したり諦めたりしそうになる外部要因が増えていく。

THE 諦め感の高い日本社会。

(100歩譲って社会に対しての諦念が強くても、自分の人生を諦めたら精神的にも経済的にも社会的にも困難がふってきます)

だから私は「コーチング」で伴走して
自分で困難を交わす、やりのける方法を体験してもらいたいなと思いました。

私の意思こそ、主体的選択の阻害要因になるとリスクも自覚しつつ

10代のうちに、「克服できた体験」「成功体験」を身につける、に寄り添う。

10代の学生にとって、Disciplineを経験として身につけ、「自分の行動で解決した」体験をすることが人生の基盤になる。

そう信じて、新たな教育事業を描いています。

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