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#113 村上春樹道
漠然と耳にしたり興味はあるなあって頭のどこかでは思っているけれど、手を伸ばして傍におくというところまでに至らない。
そういうことってあるよね。私はある。あるあるだ。
村上春樹。
知らない人はいないんじゃない、と思うほどに有名。「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」。読んだことがないのに作品名はいくつか知っているし。作品が発表されたとき、テレビでハルキストが列をつくっているのも見たし。
読んだことがないのに、勝手にとても高尚な、むずかしい文章が書いてある気がする。本だって分厚いものが多い。
気になる。気になるし本屋さんでもいつも目に入るのに敬遠していた。ハルキムラカミのこと。
そんな中、この前買った本の間に、村上春樹のエッセイ本の広告が挟まっていた。
へえ、ハルキムラカミはエッセイも書くんだ。なんか、たぶん、はるか遠くて理解ができない日常を送っている気がする、、なんにも知らないけど、、。でも、エッセイなら私も読めるかな。そろそろ村上春樹にお近づきになりたいな、、。
なんて思って、彼のエッセイ本「村上ラヂオ」を購入した。(ラジオじゃなくて、ラヂオなのがいいよね)
おもしろい。
村上春樹って、こんなにくだけた感じなの?私の中では太宰的というか(太宰治先生のことも深くは知りません)寡黙で、あまり表には出ず、聡明で、恥ずかしかったこと、とか絶対におもしろおかしくは語らないイメージだった。
こんなふうに、ゆたかに陽気に寄り添ってくれる感じなわけ?!と驚きと喜び、その他わくわくなどの感情が止まらない。文章を読んで、にやけることって限られているのだが、ああ、にやけてしまった。
たとえば、「きんぴらミュージック」。まずきんぴらミュージックという言葉の組み合わせが好きすぎて、昨日はきんぴらミュージックのことしか考えられなかった。
きんぴらミュージックとは、料理するときには、その料理にあった音楽をかけたいですよね、たとえばおじさんの僕がきんぴらごぼうをつくるときの音楽はこれですというお話だ。
また、写真に映るのが苦手で極力避けてきた、でも動物といると自然と笑顔になれるよ、というお話では、カメラを向けられるとカチコチになってしまうことを「死後硬直の予行演習のようになってしまう」と表現していた。死後硬直の予行演習。不謹慎だが、リズムの良さが半端ではない。
正直、わからない気持ちや未知の体験の扉を開くという意味でのエッセイのおもしろさみたいなものを得られたら良いな、と読む前は思っていたのだが、
寄り添い度がすごい。わかるわかる。外国のお話など、わからない経験についても、わかるように記されている。読むことで、私にも追体験させてくれる。
村上春樹の日常への感度の高さと語彙の豊富さが、とんでもない。そのとんでもなさが、世界の村上春樹というより親しみの村上春樹方向へと向いていて、更にとんでもない。
まだ読んでいる途中なのに、これを無性に書きたくなってしまうほどに、とんでもないのだ。
今日もお風呂で続きを読もう。