『プロジェクト・ヘイル・メアリー』、読んだ人と語り合いたい1冊!(毎日読書メモ(266))
アンディー・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』上下(小野田和子訳、早川書房)、『火星の人』(ハヤカワ文庫SF)でぐっとわたしの心を掴んだ作者の新作、うーん、単行本2冊か、迷うな―、と思っていたところに、池澤春菜が肩を押した。
新聞の新刊紹介のコーナーでこう書かれてしまったら、もう、観念して単行本買うしかない(『火星の人』は図書館で順番待ちして読んだのに、文庫本1冊だったのに)(あ、『火星の人』はわたしが読んだときは1冊だった。その後映画「オデッセイ」公開時に、上下巻の文庫として新版が刊行された)。
この紹介文も頭からシャットアウトし、真っ白な気持ちで読む。あああああ、この、語りたいのに語れないと書かれたその気持ちがそのままわたしにも乗り移る。だってだって!(以下無言)
主人公は、まぁちょっと『火星の人』の主人公マークに似ている。主人公は必ずしもオプティミスティックな性格でもないが、物語のトーンはオプティミスティック。そりゃそうじゃなかったら、下巻まで合計600ページ以上、話が続かない。『火星の人』はある意味シンプルな物語だ。事故で一人火星に取り残された主人公が、人間残留を前提としていない基地で、助けが来るまでサヴァイヴする物語で、ある意味、最後に助けられる、という結論がなければ小説にならない。どうやって生き延びるか、が小説の主題だ(映画「南極物語」か? タロとジロは生きていた!)。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は全然違って...(以下無言)。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』も映画になるらしい。映画になるとなったら、物語を隠しておくことなんてできなくなるかもしれないから、こういう、何も知らないまっさらな状態で、キャストの顔さえ思い浮かばずに読めたことは本当に幸せ。
表紙を見れば一目瞭然、これが宇宙SFであることは、読もうと思った人にはわかるだろう。そして、本を開くと<ヘイル・メアリー号>と書かれたロケットの図が見開きで描かれているので、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」がロケット<ヘイル・メアリー号>に関するプロジェクトであることもまぁわかる。しかし、ロケットの先端部分に「ビートルズ」と書かれていて、献辞に「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴに」と書かれているのはどういうこと?
そもそも、主人公が何も覚えていない状態で覚醒するところから物語が始まり、彼は自分がどこにいるかも、自分の名前すら覚えていない。なのに、物の長さを測るときの脳内基準はフィートやヤードであることで、自分がアメリカ人なのではないかと推測する、トリビアルな知識は残っている。手元にあるストップウォッチやメジャーを使って、遠心力や重力の計算も、本能的に出来てしまう。自分の名前は憶えていないのに…何者?
物語は、<ヘイル・メアリー号>の「今」と、今に至る経緯を時系列で思い出して行く「過去」を代わりばんこに語りながら進む。僕は一気にすべてを思い出さない。読者と一緒に、自分がそこにいる経緯を徐々に思い出して行く過程は、すべてが明らかになるととても哀しい。「きみの顔に洩れがある」。でも、感傷にふける暇などなく、「今」はダイナミックで、奇想天外で、手に汗を握る。
あまりにも絶望的な状況を、総動員された知識と才覚で、主人公(たち)は乗り切っていく。この細い細い糸はいつ切れてもおかしくないが、切れない。それは小説だから。読者は、切れないということはわかった上で、次々と襲いかかる出来事に圧倒される。上巻を読み終えても、下巻を半分読んでも、4分の3読んでも、着地点が見えない驚き。
そして、想定外の結末。勿論大団円だが、たぶん、この本を読み始めた時には読者だれも想像できなかったであろう大団円だ。「僕」にとっての大きな幸いが最後のページに明るい光をさしかけている。
書けないありとあらゆる細部、そもそも物語の根幹を全く書けないでいるもどかしさ。読了している人と語り合いたい! だって、...も、...も、...も...。テキストで読んだだけでは理解出来なかった情景を誰か絵に描いて説明してほしい!
という訳で、一人でも多くの人に読んでもらいたい、読んだ人と語り合いたい。読書は個人的な行為で、普段色々感想文を書いていても、積極的に他者にこれを読んでほしい、とまでは思わないが、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は読んで貰わないことには語れない。皆さん是非是非! 池澤さんみたいに、無言で手を振りながら、同士を待つ。
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