高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』(毎日読書メモ(432))
この夏、『おいしいごはんが食べられますように』で芥川賞を受賞した、高瀬隼子のデビュー作、『犬のかたちをしているもの』(2019年にすばる文学賞受賞)が集英社文庫になったので買って読んでみた。純文学の新人賞によくある、自分と他者の関係を色んな角度から考察する文学、なのだが、当然、「よくある」、では文学賞は取れない。わかりやすい状況説明で、とても非現実的な設定をどんどん書き進める。主人公の戸惑い、動揺、葛藤と、読者は静かに寄り添い、でも、主人公がどういう決断をするかは全く分からない。
【この先ネタバレ】
主人公の薫は、四国出身、東京の大学に進学して、そのまま東京で就職。若くして、卵巣の病気が見つかり、手術して、継続的な治療も続けている。それもあってか、性行為に対して積極的な気持ちが持てず、これまで付き合った男性とも、しばらくはセックスをしていても数ヶ月で「もういい」という気持ちになり、いつしか関係が解消される、という繰り返しだった。
仕事で知り合った郁也は「それでもいい」と、性行為抜きでの薫との付き合いを選び、半同棲的生活が3年続いた。
そこに、郁也との「愛なきセックス」でうっかり妊娠してしまったというミナシロさんという女性が現れる。
郁也に愛情はない。子どもを育てる気はないが、中絶手術で身体が傷つくのは嫌なので出産はする。生まれた子どもは郁也と薫で育ててほしい。
という謎リクエストを出してきたミナシロさんに、戸惑いを覚える薫のそれからが淡々と描かれる。
卵巣の治療はしているが、子どもが出来ない、と医者に言われたわけではない。でも、出産する自分をイメージすることは全く出来ない。子どもが生まれる頃、実家に帰らないようにしておいて、自分が産んだことにしてこの子を育てたらどうだろう、と、ミナシロさんの非現実的な要請を自分の実情になかに落とし込もうとする薫。そこには郁也がどう考えているか、という気持ちが殆ど反映されていない。薫はミナシロさんとどう対峙するか、だけに集中している。
思えば、自分が本当に愛したのは、子どもの頃から飼っていて、大学に入った頃亡くなった犬のロクジロウだけかもしれない、と思う。職場の上司と不倫してその人の子を産み、なお職場に復帰しようとしている先輩から子どもの画像が送られてきたのに、〈かわいいけど、子どもより犬の方がかわいい〉と返信してしまう薫。
リアリティのない設定が、少しずつ、考え続けている薫の中に浸透していく。そして、実際に出産したミナシロさんが、やっぱり子どもは自分で育てることにした、という、常識的な「転」が来る。産んでみたら可愛かったのか? 読んでいるわたしはそんなことはない、と思ってしまうが。腹をいためたらそれが愛情になる、と、ミナシロさんはうっかり思ってしまったのか? そのうっかりは、愛もなく避妊しないセックスをしてしまったときのうっかりと変わらないよ。
語り手をミナシロさんにしたバージョンの物語も読んでみたかったね。
郁也が語り手でも...それはちょっと弱そうだ。
中絶手術による身体のダメージを、出産による身体のダメージと比較することは出来ないが、9ヶ月にわたって、「他者」を体内に抱え続ける、という体験で自分が変わるかもしれない、ということを、妊娠した瞬間のミナシロさんは気づくことが出来なかったのだろう。自分の強さを、意志を、確信しすぎていたのだろう。読んでいる第三者はそう考える。
そして、引き取って育てる方に気持ちが向きかけていた薫も、もっともっと何も見えていなかったと思う。実際に引き取っていたらどうなっていたか? 予想以上に早い破綻が来たことだろう。郁也と自分の関係性すら、どう転ぶか、小説の終わりの部分を読んでも全く見えてこない。
登場人物たちの「それから」、が、様々な方向に向かって伸びていることを感じさせてくれる終わり方。そこにはどの道を行くのが幸福なのか、という比較は存在しない。
読者はただただ、薫に幸せになって貰いたいだけだ。薫に、ロクジロウのような、犬のかたちをしたものがやってきますように。
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