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津村記久子『水車小屋のネネ』(毎日読書メモ(498))

昨夜、津村記久子『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版)を読了。全485ページを実質2日間で一気読み。幸せな読書の余韻に浸っていたら、今朝の新聞に、今年度の谷崎潤一郎賞は『水車小屋のネネ』に決まった、と書かれていた。おめでとう! しかし、中央公論新社の谷崎潤一郎賞のページに行ってみたら、まだ更新されていない(昨年度の吉本ばなな『ミトンとふびん』がいちばん上に書いてあるぞ)(2023/8/22情報)。幻だったかと思ったが、中央公論.jpには出ていた。

毎日新聞の連載小説だったので、毎日新聞のニュースサイトにも大きく出ている。

2021年7月1日から2022年7月8日までほぼ1年毎日新聞に連載された小説に加筆修正。小説は、1981年の章(178ページ)、1991年の章(122ページ)、2001年の章(88ページ)、2011年の章(82ページ)、2021年の章(8ページ)から成り、山下理佐、山下律の姉妹と、ヨウムのネネの人生(と鳥生)を40年にわたって描く。新聞小説の挿絵を描いてた北澤平祐のイラストが多く挿入されているのもいい感じ。

理佐と律は10歳違いの姉妹。両親が離婚し、母と3人で暮らしてきたが、母に恋人ができ、その恋人の事業に出資するために家の貯金を使ってしまい、理佐が合格した短大の入学金が支払われていないことが、支払期限の5日後に短大からかかってきた電話で判明し、理佐は母との人生に絶望する。殆ど接点を持たずに暮らしてきた妹が、母の恋人に邪険にされていることも知った理佐は「ここにいてはいけない」というやむにやまれぬ思いで、食住にあまりお金のかからない仕事を探し、特急電車に乗って、そば屋の職員の面接を受けに行く。仕事内容は、そば屋の仕事と「鳥の世話じゃっかん」。面接の日に会えなかった鳥と、実際に転居してから出会うのだが、それが、そば粉を挽く水車小屋で、石臼の番をしている、ヨウム(オウム目インコ科の鳥類で、アフリカ西海岸の森林地帯に分布する大型インコ)だった。
18歳の理佐、8歳の律、10年前の小鳥だった時代に水車小屋に来て、そば屋の先代のおじいさんに可愛がられて育ったネネ。ヨウムの寿命は約50年と言われ(だから小説の終わりでもまだ生きている)、人間の3歳児程度の知能を持つ、と言われている(今ネットで見たら5歳児、と書いてある解説もあった)。ものまねも上手だし、でもただ、その場で聞いた言葉をそのまま繰り返す訳ではなく、相手との対話がある程度成立しているし、場も読んでいる。
(長生きの鳥、というと、中島京子『オリーブの実るころ』所収の「ガリップ」という作品に出てくるコハクチョウを思い出す)

18歳で高校を卒業して、そば屋に住み込みではないけれど、親族のやっている安いアパートを貸してもらい、仕事時間中はまかないを食べられるけれど、そこに8歳の妹がついてくる。高校時代もずっとアルバイトをしてこつこつと貯めてきたお金は、姉妹が新居で使うふとんを2組買っただけで大半がふっとんでしまったのだ(だじゃれになってしまった)。1980年代に就職した自分の給与を思い出すと、1980年代はじめの地方都市の飲食店で高卒の女の子が貰える給与なんてたかが知れていることは想像にかたくない。毎月給与の中から少しずつお金を貯めて、まず小型の冷蔵庫を買う。そして夏までに扇風機を買う(テレビと洗濯機は幸い置いてあったものをただで譲ってもらえた)。住民票を移して、律は地元の小学校に通う。社会保険とか健康保険とかどうなっているんだろう? 小説の中で2人は大病もしないし怪我もしてない(小説にお医者様は出てこない)。でも、何をするにしても綱渡りであることは、理佐自身がいちばんわかっていて、律も気づいている。未成年の女の子2人暮らしの危険を考え、いつも戸締りや学校帰りの道で人につけられたりしていないか細心の注意を払う。平穏な田舎町の物語なのに大きな冒険譚だ。
母とその恋人との対決を経て、一層成長する2人。少しずつ広がるコミュニティ。

日々は続くが、物語は1981年の長い導入のあと、一気に1991年に飛ぶ。それぞれの章で、理佐が、律が、ネネが聴いたり歌ったりする音楽が出てきて、そこはかとなく時代を感じさせる。ニルヴァーナとか、理佐がレッチリ嫌いとか。
姉妹と一緒に(というか姉妹が来る前からずっと)ネネの世話をしてくれていた画家の杉子さんが亡くなり、杉子さんの住んでいた家に、就労支援の一環として住まわせてもらうことになった聡がやってくる。1991年の章は、家族に問題を抱え、もう家族はないもの、と思ってこの町にやってきた聡の再生の物語でもあった。ネネの世話を手伝うようになり、また、そば屋で蕎麦打ちを習ったりもする。律の就職、理佐の転職。そば屋の環境の変化。静かな大河小説のような展開。

2001年の章は、律と、あるきっかけで水車小屋に出入りするようになった中学3年生の研司の物語。母一人子一人の家庭で、母が失職と同時に精神的不調をきたし、どのように母との関係性を結べばいいかわからなくなり、自分の進路についても何も考えられずにいた研司が、最初に現れたときの人助けと、その後、周囲の人と一緒に行った救命行為で、社会の中で生きる、ということを自覚するようになる過程が読者の心に沁み、律や、周囲の人々に、勉強をするための道筋をつけてもらい(ネネには掛け算や歴史や英語を教わってるし!)、進路を見出すラストがとても明るい。

2011年は東日本大震災の年。最後まで明示されないこの小説の舞台の町は、東北ではないようだが、ある程度の揺れを感じ、不安になるような場所。停電とか物資不足とか、原発不安のようなことは語られず、社会人になっている研司が復興支援のために東北への異動を希望し、旅立つことを中心に、理佐や律や聡に起こった変化、周囲の人たちの生活が静かに描かれる。その中心にはいつもネネ。

2021年のネネは、動画の中で「貧窮問答歌」を暗唱する鳥。とうとう、石臼の番からは引退したが、律がかわりに置いたタイマーが気に食わず、タイマーが鳴るとつついて攻撃したりしている。コロナ禍のことは最低限。だって8ページしかないし。水車小屋で挽いたそば粉のお蕎麦も、ガレットも、実に魅力的で食べてみたくなる。

2001年の章で、小学3年生だった律の担任だった藤沢先生が「誰かに親切にしなきゃ、人生は長くて退屈なものですよ」が言う。このフレーズは、毎日新聞出版の書籍紹介ページにも引用されているし、本の帯にも大書されている、大切なキーワードだ。
それぞれの章で、周囲の人をハラハラさせてきた若者たちが、ただ、人の善意にすがるという訳ではなく、共に生き、支え合う、という形で、成長し、自立し、自らの道を見つけていく。読み始めは、理佐と律の40年間の物語だと思っていたが、読み終わると、それは、(よいところの上澄みをとっているからきれいごとに見えてしまうが)、誰もが無理のない形での「親切」を提示することで、風通しがよく、ホッとできる共生社会を作ることが出来るのだ、と伝えてくれる、本当に愛しい物語であった。
その中心にはいつもネネ。

津村さん、今回もすてきな物語をありがとうございました。

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