右手首骨折! 近況&毎日読書メモ(540)『あなたの燃える左手で』
4月20日にランニング中に転倒して右手首を骨折した記録その11。
手術痕は少しずつつながってきた感じ。何故か一直線の傷の真ん中あたりがつながって細くなってきて、両端がまだ開いている感じ(特に手のひらに近い側の開きが大きい)。中でつまんである部分、まだ糸が溶けてくる気配はなく、片側5つずつ、10個のつままれた跡が盛り上がっていて、普段の生活の中で、この盛り上がっている部分が当たる感じでひりっと痛いことがある。それだけ普段のわたしの生活習慣が雑になってきているということか。
週1回ずつ整形外科のリハビリに通い、都度療法士さんが手首の辺りをなでさすり、こわばりなどを確認。指のグーパーで指が筋肉痛みたいになっている、と言ったら、やはり痛いところまでするのは良くないようで、左手で腕を下から持ち上げるように握り(傷の部分よりちょっと下まで)それで指のグーパーをするように勧められる。なるほど、腕をちょっとホールドしているだけで、指先の動きも少し楽になる。これも手当だ。手って素晴らしい。
今日3週間ぶりの整形外科で医師の検診。手首の動きの戻りがちょっと遅いという印象を持っているようだった。手首を前後に動かして可動域を増やす練習をするときは、腕からの筋を、中指の先までまっすぐにすることを意識するように言われ(実際は中心線が薬指側に傾いている)、あとは何かを掴んだような動きを親指側手前に傾けるように動かすことを言われる。自宅でやるリハビリはどうしても自己流で弱めになっているが、もっと手首を動かして行かないといけないな。
見た目は普通の人になったので、久しぶりに会う人にけがの話をするときは傷を見せているが、考えてみると、手首骨折という根本の原因による傷ではないじゃん。手首を骨折する→確実に固定する手段としての手首プレート、で、傷はプレートを入れた結果だから。
同じ時期に手首骨折された方が2人いらっしゃるが(手首骨折ってそんなにありふれたものなのか! いや、ありふれたとまでは…)どちらも利き手ではないため、手術はされてなくて、ギプスでの固定も、こう暖かい~暑いと、結構大変そうでああった。傷はおそろしげだが、利き手がまっすぐ固定されるには、やはりプレートかな。プレートは、ボルトで骨に穴をあけて固定されているが、ボルトの先が神経に当たったりしませんように。
相変わらず重たい荷物は持てないが、一瞬何かを持ったりは出来るようになった。牛乳の1リットルパック、持ち上げられるが、片手で注ぐのは困難、という程度の強度。電車に乗っている時もおそるおそる、右手で吊革を持ってみたり(急ブレーキとかあったらヤバそう)。あと、出来なくもないが苦手な行為は、ドアノブに鍵を差し入れて回す、シャンプー等のポンプを押す、でも左手でポンプ押して右手で受けると、おや、相変わらず頭部全体に手が届かないなあ。事務作業だと、ホチキスで紙を留めるのがちょっといや。はさみは普通に使えるようになってきたが、硬い紙、枚数の多いのは苦手。包丁も、キュウリの小口切りとかはいいけど、小玉スイカやメロンをすぱっと2つに切るのは結構苦手(それはもしや手首骨折前からかも、という疑惑もあるが)。カボチャは手首骨折後、買ってない。
手首の話を縷々書き連ねていたら、友達が、朝比奈秋『あなたの燃える左手で』(河出書房新社)という小説があると教えてくれたので、読んでみた。作者は医師として働きながら小説を書いている人で、『植物少女』で三島由紀夫賞を受賞、この『あなたの燃える左手で』で泉鏡花文学賞、野間文芸新人賞を受賞している。現在、『サンショウウオの四十九日』が芥川賞候補になっている。
『あなたの燃える左手で』は主な舞台がハンガリーの第二の都市デブレツェン、そしてウクライナ。冒頭のウクライナでの衝撃的なシーンがあるため、時系列は意識的にぼかされている。
日本人だが、ヨーロッパで育ち、ハンガリーで医学教育を受け、ハンガリーの病院で看護師となったアサトは、大学の同級生だったハンナと結婚し、ウクライナを主軸に働くハンナと、別居婚をしている。とある事情で左手を失ったアサトは、手の移植に熟達した医師ゾルタンにより、左手の移植を受けることとなる。その葛藤。自分のものでない左手が自分の中に同居する違和感。自分のものでない記憶が、意識の中に流入し、左手に自分を乗っ取られる恐怖を感じる。移植前、左手がない状態に慣れようとしていた時期の、家族や親族との語らい。このまま、義手をつけて、一生送っていくものと覚悟していたところに、半ば強制的に植え付けられた左手を自分の一部と感じられない心の動きが不穏な国際情勢と呼応する。
この本を読むまで、ハンガリーとウクライナが国境を接していることとか、かつてオーストリア・ハンガリー帝国の一部であった地域(ザカルパッチャ州)が、第一次世界大戦敗戦をきっかけにウクライナの領土となり(元々ウクライナ人の多く住む地域であったのだが)、ハンガリーの中には、ウクライナに対する反抗心が強いことなど、全然知らなかった。ハンガリーはオーストリアと国境を接していて、共産圏だった時代ですら、どちらかというと西欧に近い国なのだと思っていたのだが、すぐそこにウクライナがあったのか。
地図を何回も開いて眺めながら、本を読み進めた。
アサトとハンナの夫婦愛、アサトと新しい左手のぶつかり合い、ハンガリー人が日本人やウクライナ人に対してどのような感情を抱くかといった、幾つかの視点が、小説の重要な骨組みとなっている。
元々、わたし自身が、左手で何が出来るか、右手で何が出来るようになってきたか、というのを、両方の手を擬人化して対話させながら担当を決めていた様子を書いていたのが、この小説に通ずるものがあるとして紹介されたので、元々自分に属していた右手と左手ですら、無意識に会話をしているのに、人種の違う人の手(ネタバレになるが、この左手の持ち主は左利きだったので、両方の手が利き手としての矜持を持っている)が、自分が元々所属していたのではない身体の中で何を言おうとするのか、それに対してアサトはどのような拒否感を持つのか、その目に見えない闘いにゾワゾワする。
神経をつなぐ、というその繊細な作業を言語化できるのは、作者が医師だからこそなのか。今、骨折した手首と言うボトルネックを持って、元々神経が切れていた訳ではない中(でもじゃあどうして重たいものを持ったりできないんだろうということが、自分ではよくわからない)、前腕より本体側と手が、どのように結びついて、どのように分断しているのか、生理的に理解できないまま、脳が命令した動きを、右手も必死につとめてくれているのだが、他者だった手が、自分の脳の指令に従いたくないという気持ちになるのはある意味当然なのか? 手に心はあるのか?
考えれば考えるほどわからなくなる。
そして、ウクライナに平和を願いつつ、ハンガリー人の感情にも思いを致す、そういうきっかけになった読書であった。
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