毎日読書メモ(139)『結婚の奴』(能町みね子)
気になっていた、能町みね子『結婚の奴』(平凡社)を読んでみた。
世界の恋愛至上主義的な風潮に馴染まない人はそれなりに沢山いると思う。でも、人を好きになってその延長として家庭を持って、という道筋に疑問を抱かずに生きていく人が多くいる中で、叛旗をひるがえす、というか、ひるがえしてもどうにもならないんだが、一言言わずにはおれないよ、という感じの本。
恋愛感情が今一つわからない、というのと、セックスはしてみたくなくもないが、そんなに必要性もない、というのと、一人暮らしは気楽というよりは何も構わなくなってしまう状態になっていることへの危機感とか、「結婚」という制度に落とし込むことで、解決できることがあるのではないか、というワークショップのような本だった。
恋愛感情を抱く可能性のない相手、という条件で選ばれたのがゲイの漫画家のサムソン高橋。結婚という名前の同居をしてみようという提案に彼も乗り、何も詰めないうちにまずトークイベントで公表。多忙なスケジュールを縫って、サムソンの自宅の改装計画、お試しでのお泊り(但し別の部屋で寝る、セックスはアウトオブ眼中)、旅行。過程の合間に能町みね子の過去の遍歴や自己分析がみっちりと書かれる。能町みね子が性転換者であることは、恋愛感情の有無とは関係ないと思われ、実際そのことについての言及は全くない。現在は戸籍上も女性になっているし、婚姻届けを出すことも可能であり、能町自身はそこまで踏み込みたいと思っていたようだが、お互いの意識のすり合わせの結果として、制度上の入籍はしておらず、同居のみ。
恋愛してそれが成就することは、大きな歓喜をもたらすかもしれないが、それが長期的に見て幸せとは限らない。そういう感情が廃絶されたところで、自分の生活を満たされたものにすることは可能か、作者は自分独自の思考回路でそれを追求する。
結果として、一般的にみられる恋愛感情に対して攻撃的批判的になっている面が結構強く出ている。自分は自分、他人は他人、と割り切ることが出来ない複雑な心境が、ある意味正直に吐露されている。その過程を描く各章のタイトルが、その時代のはやりもの(ジェラートピケとかイームズチェアとかエクセシオールとかサダハルアオキとかポプテピピックとか)であるところも違和感なく面白い。
雨宮まみとの交流と別れ、そして『お家賃ですけど』の加寿子さんとの再会のシーンが切ない。
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