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三浦しをん『墨のゆらめき』(毎日読書メモ(531))

三浦しをん『墨のゆらめき』(新潮社)を読んだ。すっかり職業小説の達人となった三浦しをん、今回の職業はホテルマンと書道家である。
筆耕、という言葉を知ったのは、社会人になって数年目、陶磁器の展示会を開催するにあたって、展示品の品名を和紙の札に筆耕士さんに書いてもらうよう依頼したときだった。その時に、結婚式の招待状や席札などを書いているのも筆耕士さんであることを知った。更にリアルに筆耕士の仕事を感じたのは(これはワンオブゼムで、すべての筆耕士がこんなという訳ではないが)三谷幸喜の映画「THE 有頂天ホテル」でオダギリジョーが演じた右近役を見た時。
新宿にある、小さいけれど伝統のあるホテル、三日月ホテル(たびーゆけーばみかーづきー、の千葉のホテルとは違うけど、どうしても頭に千葉のホテル三日月がちらつき、ギャップが)のホテルマン続力つづきちからは、ホテルと契約のある筆耕士遠野薫の元を訪ねる。ホテルの上顧客から、亡くなった夫を偲ぶ会の案内状を送る際のあて名をこの人に書いてほしい、と、文字サンプル集の中から選ばれた書道家遠田薫は、事務の手違いで、電話番号も住所もわからなくなっていて、メールアドレスだけでコンタクトをしていたが、依頼物を持っていくために、メールで教えられたままに、下高井戸から東急世田谷線(玉電)に沿って進む。
力の想像力の斜め上を行く自由な薫、書道教室で子どもたちに教える様子。その生徒の一人が、薫に手紙の代筆を依頼し、居合わせた力が知恵を絞って、手紙の文面を考える。

わたしの祖母はかつて書道教室をやっていた。夏休みに祖父母の家に泊まりに行くと、ビニールじゅうたんが敷かれた和室(墨をこぼしたとき対策だね)に布団を敷いて寝ていた。
実家には祖母が書いた掛け軸なども飾られていた。絵もものして、季節の風物の絵と何か文章の組み合わさった掛け軸や色紙が色々あった。
そんな祖母の孫なのに、わたしは絵も下手だし、字も下手。授業のノートを友達に貸すと読めないところがあったよと言われたり。
でも、手紙を書くのは大好きだった。今のようにネットがあって、掲示板とかパソコン通信とかで自分の文章を読んでもらう→ホームページを開設する、ブログを運営する→SNSでどれだけでも文章や写真をたれ流せる、という時代になる前は、自分が書いた文章は、雑誌やラジオに投稿して採用される、文学賞に応募して入賞する、同人誌を作って発表する、という以外は、手紙を書いて、特定の一名に読んでもらう以外なかった。現在、SNS等に文章を書くのに費やしている時間やエネルギーを、昔は紙の日記帳に書くか、誰かに手紙を書くことに費やしていたのである。最初は離れて住む祖父母に(そして書道教師の祖母からは達筆の返信が来た)、そして転校する同級生に、自分自身が引っ越して、前に住んでいたところにいる友達に、そのうち、毎日顔を合わせている同級生や先輩後輩にも手紙を書くようになる。わたしほど手紙を書くことにエネルギーを傾けていない人の方が当然多いが、仕方なく書いた(のだろうなぁ)返事を受け取ると狂喜乱舞して、またその何倍もの量の返信を書いたり。
という訳で、手紙が出てくる小説も好きである。
例えば、村上春樹の短編「バート・バカラックはお好き?」(『カンガルー日和』所収)みたいに、仕事で手紙を書いていた人の話とか、とても興味深い。個人に向けて書くものである手紙にも普遍的な面白さがあるんだろうかと考えたり。

脱線が長くなった。遠田書道教室に通ってきている小学生が、遠くに行ってしまう友人に向けて「ズッ友だよ」ということをもう少し感動的に伝えたい、と代書を薫に依頼する。薫はその小学生が書いたかのような文字をさらっと書いて見せるが、内容は何故か力が考えることに。その際に力が宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の一節を効果的に使っていて、読みながらうなる。わたしもこんな手紙を受け取ってみたいぞ!

本の中ではもう1件代筆のエピソードが語られ、その合間に、力のホテルでの仕事ぶり(小規模ホテルなので、固定された担当だけでなく、色んな業務に絡んでいる、という設定になっていて、ホテルの仕事について理解を深められる)、薫の生い立ちについての謎とき、力の帰省エピソードと共に、力の人柄がどのように形成されてきたかを語る。それぞれのエピソードは断片的だが、薫と力の間に、友情のような何かが醸成されていく過程にじわじわする。
なのに、薫が急に力、そして三日月ホテルから離れていく。その事情を確認しに、力が遠田書道教室にやってきて、薫に書いてもらった漢詩の一節を引用し「お前が去った春の山で、俺はいったい誰と遊べばいいのか」と、語る。力は引用能力が高いなー。
小説はどこにも行けない現在で終わるけれど、読者にはお前の去らない春の山が見える。

自由自在に字が書ける人になりたかったなー(え、それが感想?)。
そして、相手の心に届く手紙を書きたいし、貰いたい(それって本の感想として願うことではないような気もするけれど)。

表紙のshikafucoの彫刻オブジェが不思議な質感で、謎めいた魅力。

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