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井戸川射子『ここはとても速い川』(毎日読書メモ(384))

中原中也賞を受賞している詩人の井戸川射子いこさんの初の小説集『ここはとても速い川』(講談社)、野間文芸新人賞受賞。

「ここはとても速い川」「膨張」の2作品収録。ことばを大切に、丁寧に綴られているのが感じられ、大切に読む。
「ここはとても速い川」は、児童養護施設に暮らす小学生の少年が、一緒に暮らす年下の少年と過ごす日々を時系列で描いていく。児童養護施設というと有川浩『明日の子供たち』(幻冬舎文庫)みたいな、制度的な課題とか問題意識とかが意識されるが、この作品では、児童養護施設の暮らしにくさとか辛さとかは描いていない。でも、いつか肉親と暮らせる日を、いつも夢見ているところに切ないリアリティがある。また、実習生としてやってくる外部者に対する冷静な視線が胸をえぐる。
主人公しゅうの独特な関西弁の一人称が最初はちょっと読みにくいが、それが徐々に独自の世界を構築していく。一緒に淀川まで亀を見に行っていたひじりは、父親に引き取られて施設から出て行ったが、集は一人で亀の様子を見に行く、川の流れのように、人生は静かに進んでいく、そんな淡い光のさしてくる小説だった。

「膨張」は、アドレスホッパーと呼ばれる、定住する住所を持たず、ネットカフェやホテルなどを泊まり歩いて暮らす人々の物語。住民票は実家に置いたままで、実家の建て替えにあたって、荷物の整理をするように言われて一旦帰った時に、たまたまアドレスホッパーのパーティーで知り合った親子を実家に泊めてあげることになり、そこで事件が起きる。
語り手のあいり(これも一人称小説)は、付き合っている千里の影響でアドレスホッパーになった塾講師。いつもリュックに全財産入れて、色々な場所をさまよっている。家に置いてある荷物で処分していいもの残しておいてほしいものを選別して、と言われて部屋の中を見ていて、かつての宝箱を見つけたシーンが、まるで自分が宝箱を見つけた時みたいな感じでキラキラ感とシンパシーで胸がいっぱいになる。

(前略)母が昔よく着ていた紫色のダウンの下に大きなトートバッグがあった。キットソンじゃん、と昔流行ったブランドの名前を呼びながら引っ張り出す。チャックを開くとそうだ、これは私の宝物入れだ。小さい時から集めていた、大切過ぎて使えなかった物たちだ。取り出してみる、先生に卒業式で貰ったレノマのハンカチ、雛人形の描いてあるオルゴール、の中の、蘭を金でコーティングしたブローチ、キッチンペーパーにくるまった香水瓶、WAKOの革の小銭入れ、に入った長野オリンピックなどの記念五百円玉四枚と旧五百円玉、ニナリッチの香水、祖父が列車の中でくれた扇子、日本郵政公社設立記念の、金地に課長の描かれた切手などが雑然と詰め込んであり、底には頼りない布が敷いてあった。それは初めて買ってもらったブラジャーで、何でこんなん入ってるの、と吹き出しながら広げる」

p.156

探していた子どもを見つけた時に、あいりはそこで留まることが出来なくなり、自分の膨張を感じながら、小説は終わる。その、とらえどころのないグルグル感は、人によって評価の分かれるところかな、と思うが、選んだ生き方が結局自分をどこにも連れて行ってくれなかった寄る辺のなさが、読み進めるにつれ身に迫ってくる。それは結論を幸福と不幸に二分するのとは全然違う、曖昧な感覚だった。

この人がこの先どういう作品世界を構築していくのか、見守っていきたいなと思った。

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