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多和田葉子『星に仄めかされて』(講談社)

2018年の暮れに、多和田葉子『地球にちりばめられて』を読んで、とても面白かったことをここに書いた。そして、その続編として、『星に仄めかされて』が刊行された。嬉しく読む。

(ネタバレありますので未読の方は注意)

前作に出てきた登場人物たちが、一章ずつモノローグを担当するが、その前に、新しい登場人物であるムンンのモノローグがあり、また最終章でムンンが語ってこの本は終わる。この本は終わるが、小説の中の彼らは、HirukoとSusanooの国を探しに出るということが仄めかされる。この本は途中の物語だ。途中として、『地球にちりばめられて』で語り尽くせなかった部分を丁寧になぞる。久しぶりに出会ったHirukoは、クヌートは、アカッシュは、ナヌークは、ノラは、クヌートの母ニールセン夫人は、Susanooは、それぞれに自分の体系を持って、色々な形で言語化して、一人また一人とムンンのいる、そして物語の中にいるようで取り込まれていないベルマーのいる、コペンハーゲンに集まってくる。ナヌークの旅、ノラとアカッシュの旅を、地図でなぞりながら読んだ。コペンハーゲンの情景描写は排されているが、コペンハーゲンへの旅は妙にくっきりしている。前作であきらかに主人公として扱われていたHirukoは本作では妙に退いたポジションにあるが、Susanooによって、自分の生まれ育った環境の思い出をこじあけられる。二人とも、神話の中に生きているようだ。

クヌートと母の親子関係とか、父親の喪失にも神話的な要素がある。そして彼らは一体どんな言語で話し合っているのか。Hirukoが作りつつあるパンスカを誰もが語るわけではないだろうが、理解はしているのか。

コペンハーゲンへの旅の中に思ってもいなかった伏線があり、それがまるで神話のように物語の次の段階への扉を開いたことに驚かされる。そこまでは、『地球に散りばめられて』を受けて補強する、一種のスピンオフにすら見えていた物語が全く違った様相を呈してきた。

勝手に、HirukoとSusanooのかつていた場所は「遠くにありて思うもの」として、探さないまま抽象化されるのだと思っていた。しかし、違った。自作で消えてしまった場所はどのように姿を見せるのか、また続巻を楽しみに待ちたい。

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