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小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』(春秋社)

香港の目抜き通りNathan Roadに建つチョンキンマンション(重慶大厦)は、1960年代に建造されたときには個人住宅を中心としたビルだったが、いつの間にか安宿の集合体となり、バックパッカーの聖地的な位置づけとなり、合わせて下階にショッピングモールが形成され、また、集まってくる各国の観光客の需要に合わせた多国籍料理のレストラン等も多い。
そんなチョンキンマンションを定宿として、長期滞在しつつ、自分の故郷の国との貿易活動に従事していているタンザニア人が沢山いて、元々アフリカの商人の商慣行や商実践を研究していた文化人類学者小川さやかが、香港及び中国本土に仕入れに来ているアフリカ系商人の交易活動にスポットライトを当て、学術論文よりカジュアルな形で紹介しているのが『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』(春秋社)である。

朝日新聞の書評欄でこの本の紹介を読んで、何故? なぜにタンザニア人が香港に仕入れに?、と、頭が一瞬理解してくれなかった。そんなコミュニティが形成されるほど多くのアフリカ系住民が香港にいるのか?
わたしは香港には一度しか行ったことなくて、それも確か昭和の時代のことだったので、今の香港の姿も知らないし、どんな人種構成の人々が街中を歩き回っているのかもわからない。でも、イメージとしては、アジア人が集う場所、と思ってしまっていたが、そんなことはないのであろう。日本から香港より、タンザニアから香港の方がまぁ遠く見えるけれど、アフリカの東海岸から香港というのは気持ちの上ではそんなに遠くないのか。

タンザニアから、天然石を香港に運んで売る。香港からは、例えば中古車(乗用車もバスも)、そしてその補修部品。衣料品や中古携帯電話をタンザニアに運ぶ。
作者は、香港に長期滞在して在外研究を行うにあたり、チョンキンマンションに宿をとり、タンザニア商人たちの商活動について実情を探ろうとする。その中で出会ったのが「チョンキンマンションのボス」を自称するカラマだ。カラマを取っかかりに、作者は様々なタンザニア人たちの生活とか、香港での仕入れ、タンザニアへの輸送、彼らのそれまでの生涯、互助的な助け合いの仕組み、通貨の違うタンザニアと香港の間の決済の方法など、さまざまな視点から、彼らの商活動を読み解いていく。

寝坊して約束をすっぽかし、信用を飛ばしてしまう。スマホで変な動画を見つけては仲間(商活動の相手)に送り付ける。SNSにせっせと情報を書き込む。何か質問してもはぐらかされ、最初はイライラしたりもしていた作者だったが、取引の現場に同行させてもらい、後から本人の解説を聞いたりしているうちに、一見無駄だったり損をしているように見えたりする行動すべてに理由がある、ということを知っていく。スワヒリ語が喋れる日本人(作者のことだ)を連れ歩いて、誰かに対してスワヒリ語で話しかけさせたり、有力者と記念写真を撮ってそれをSNSに投稿したりするのも自分の信用度を上げるための手段だ。困っている人には自分の余力の範囲で手を差し伸べ、自分が困っているときには大声で助けを求める。人を助けるのは見返りを求めてのことではなく、人に裏切られても、それを根に持ったりはしない。過度の信頼とか長期的な信用とかは求めない。刹那的に、その時に出来ることをするし、自分に不足していることがあれば助けを求める。
「彼らは、他者の事情に踏み込まず、メンバー相互の厳密な互酬性や義務を責任を問わず、無数に増殖拡大するネットワーク内の人びとがそれぞれの『ついで』にできることをする『開かれた互酬性』を基盤とすることで、気軽な助け合いを促進し、香港・中国、マカオ、タイ、ドゥバイ、アフリカ諸国にまたがる巨大なセーフティネットを作りあげていたのである」(p.246)
様々な事例の紹介をすらすらと読み進め、彼らがお互いを拘束することの少ない中で経済活動を成立させている状況が腑に落ちる。傍から見ると、絶えずアンテナを張り巡らせ商機を見つけ、利益をあげる活動は気が休まらないように感じるが、一方で生きる実感みたいなものが強く感じられ、とても興味深い。

交換の4つの形態は、「贈与交換」(負い目を持続させる)、「分配」(負い目を曖昧なものにする)、「再分配」(負い目を返済できない無限のものとして永続させる)、「市場交換」(負い目を消去する)であるが、タンザニア人たちの商活動は、輪郭の曖昧なネットワークの中でモノやサービス、チャンスを回し、「閉じられた互酬性」を「開かれた互酬性」に、「贈与交換」を「分配」に調整していく過程で出来上がってきた仕組みが、後追い的に市場交換に活用されている。その曖昧さが面白い。世界の知らない場所で、WTOとか安全輸出管理とかたぶん誰も気にかけないで(本当にそうだかはわからないが)経済が回っている感じが小気味よくもある。

読後感のよさは、あっけらかんとしたカラマのキャラクターに負うところも多そうである。フィールドノートなのに、小説のような豊かな人物造型(いや、作ったというよりは作者の描写力なのだろう)で、本をぐいぐい読ませた。たくましく生きることへの憧れを胸に、ページを閉じた。


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