バブルって何だったのか...いや、そこじゃないんだな...桐野夏生『真珠とダイヤモンド』(毎日読書メモ(504))
桐野夏生『真珠とダイヤモンド』(上下、毎日新聞出版)を一気読み。上巻は金色、下巻は銀色の装丁。Kaminというイラストレーターが描いたモノトーンの女性像をあしらった表紙、装丁は佐藤亜沙美だが、一目で佐藤亜沙美、とわかる、強いフォントの字が大きく配されたこれまでの装丁とちょっと雰囲気が違うな、と思って眺める。
2021年4月~2022年7月に「サンデー毎日」に連載されていた小説を加筆修正。
(核心には触れないようにしていますが、読みようによってはかなりネタバレなので、まっさらな気持ちで本書を読もうと思う方はこの先は読まない方がいいかも)
1986年4月、中堅証券会社、萬三証券福岡支店に新入社員として配属された、短大卒の小島佳那と高卒の伊東水矢子。実家と縁を切るように福岡に出てきて、セールスレディとして窓口で客に金融商品を売る佳那。母子家庭で大学に行くお金を出してもらえず、全校で就職する子が2人しかいないような進学校から、給与が高いという理由で証券会社に就職し、2年貯金して東京の大学に行くと決めて、一般事務の仕事をする水矢子。
生き馬の目を抜くようなバブル前夜の金融業界。美しく勝気だが、無名の短大出で、福岡市内の名門短大出のお局様グループにハブられた佳那と、派閥争いに興味のない水矢子は距離が近づいていく。そこに絡んでくるのが、熊本の無名私大を出て萬三証券に就職した同期の望月。あまりにご無体な営業ノルマに耐えられず、エリート大卒の社員がさっさと辞めて行く中、泥臭く営業トップを目指す望月は、今だったらアスペルガーですか?、と指摘されそうな空気の読めなさと鈍感力で、美貌の佳那のプライベートに入り込み、それを足掛かりに営業成績をぐんぐん上げていくが、そこには最初から後ろ暗い社会勢力の息がかかっていた。
完全な男社会で、大金を動かすのは男性社員だけ。窓口のセールスレディは愛想を振りまいて、来店する小口の客に小規模な商品を勧めるのが関の山で数年のうちに社内結婚要員として寿退社していく。この抗いがたい空気はなんだ。これが1986年の日本だった、というのは、ほぼ同時期に就職して社会人になったわたしにもリアルにわかる。
業界とか生まれ育った環境は違うけれど、佳那も水矢子も、同じ時代の空気を吸って来た同期のような存在だ。2人とも冷静で聡明で、業界知識を活かして手持ちの資金を増やす知恵は持っていた。しかし、途中で佳那の野心は見えなくなり、水矢子の野心は頓挫する。
佳那は東京の国際部に栄転した望月と結婚し、専業主婦になる。水矢子は会社勤めと並行して水商売までして貯めた金で大学を受験するが志望校に受からず、不本意な女子大に入り、上京はするものの鬱屈した気分で過ごす。
株価は上がり、客の金を運用する脇で自分の財産も増やし、贅沢三昧にあけくれる望月と佳那。銀座の家賃月100万のマンションに住み、望月はポルシェを買い、佳那はクロコダイルのケリーとか買い物三昧、望月は佳那が仕事をすることを許さず、しかし自分自身は仕事に忙しく佳那を構わず、佳那は望月の顧客(ヤバい筋)の愛人と仲良くなり、浪費、そしてホスト遊びという方向へ。水矢子はひょんなことから女占い師の家に住み込みで働くことになる。
どちらも、同じ時代を、実家住まいのぱっとしないOLとして過ごしていたわたしとは別世界にいるのに、でも、それはわたしの生きた時代でもあった。深夜の六本木や銀座で1万円札を振りかざしてタクシーを捕まえていた人たち、とか、わたしとは別世界なんだけど、でも、そういう人がいたらしいんだよねぇ、おそらく意外と自分と身近な場所にも。
佳那や水矢子の福岡時代にNTTの株式公開があって、その当時の状況も小説の中に詳細に書かれているが、その狂乱のはしくれみたいなものは、わたしにも感じられたし。
NTT株がブラックマンデーで一気に値下がりした時は、被害を受ける前に売り抜けて逃げおおせた望月だが、その後のバブル崩壊には打つ手がないも同然だった。一気にほころびる望月と佳那の境遇。
望月が東京で見つけたつてもまた悲劇的な運命に襲われる。
そして二人も..。.
血縁とあまりに隔絶して暮らしてきた二人には、お金以外によすがはなかったのか。客観的に、そして、未来から振り返ると、それってもう少し何かやりようがあったのでは、と思えてくる。でも、それが平成初期の日本だったということなのか。
それにしても、絶頂期ですら、幸せの実感、というものが全く感じられない二人の生活。切ない。
地道に手持ち資金を増やしてきた水矢子は生活地盤を固め、幸せを噛みしめる。まるで、佳那と対照的なように。
しかし、時の無慈悲さがじわじわと水矢子のかりそめの幸福をも侵食していく。
物語の冒頭、コロナ下で収入を失った水矢子が、30年ぶりに佳那と出逢い、会話するシーンが描かれる。
その冒頭シーンにすがるように小説を読み進め、最後に、え、この物語は令和の「マッチ売りの少女」だったんかい、と思うラストシーン。昭和末期~平成初期の小説、と思って読んできて、実際に本文の9割9分が過去の物語だったのだが、作者が描いたのは、近作『燕は戻ってこない』や『砂に埋もれる犬』同様、現代の、這い上がれない貧困状態の物語だったとわかり戦慄する。
おそらく、そのうちドラマか映画になるんじゃないかと思うけれど、35年~40年前の世相って、意外と時代考証が難しいかも、と思う。インターネットも、携帯電話もない時代。あんなにお金使いまくりだった望月ですら使っているのはポケベル。佳那には外にいると連絡をつける手段がない。不便さは、不便であることを知らなければ不便ではないんだけれど、戻れないよね..。.
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