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『ある行旅死亡人の物語』(毎日読書メモ(553))

全然毎日でなくなっている読書メモです。読書のペースも落ちているけれど、それでも月に10冊くらいは読んでいるのですが、感想を書くペースが追い付かない。読み終わって、感想書けてない本が山積みです。

共同通信社大阪社会部・武田惇志 伊藤亜衣『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)を読んだ。なんで共同通信社記者の書いた本を毎日新聞出版で?、とちらっと思ったが、勿論、新聞記者の書いた本が他の出版社から刊行される事例は沢山あって、たまたまそれが、別の新聞社の関連出版社である、ということもあるのだろう。
書店の店頭でも長く平積みされているし、毎日新聞のウェブサイトでも紹介される機会が結構あり、長く気になっていた本をようやく読んだ。地味なきっかけから、謎だらけの、身元不明人の死について、結果的に、警察より探偵事務所よりずっと掘り下げて、死亡者の身元を割り出した、という、リアルな謎解きの物語。

まずは、新聞社の中の「遊軍」記者という立ち位置の解説。「記者クラブという持ち場を持たず、自分でネタを探して自由に動く記者を指すマスコミの業界用語」(p.8)、大きな事故・事件があれば、その取材に駆り出されるバッファ的存在。記者クラブに所属すれば、そこで警察とか官公庁が発表してくれるマターを記事に起こしていけるが、遊軍は何を書くかまで自分で考えなくてはいけない。新聞記事として意義がある、とデスクが認めてくれないと、紙面にあがることもない。

行旅死亡人こうりょしぼうにんとは、身元不明で引き取り手のいない死亡者のこと(法律用語)で、官報に、身長、服装、発見状況などの簡単な情報が掲載される。行き倒れ、孤独死、自殺などの死亡者が多く、事件性があるものはそんなに多くないが、情報が断片的なので、ミステリアスに見える案件もある。
武田記者が見つけた案件は、兵庫県尼崎市の居住していたアパートでこときれているのが発見された、75歳くらいの女性についての公告で、「身長約133㎝、中肉、右手指すべて欠損、現金34,821,350円」である。中肉で、身長133㎝? 右手の指がすべてない? 現金3400万円? 突っ込みどころ満載のこの公告、どこの新聞社も記事にしていない模様であることを確認し、武田記者は取材を始める。
当初、尼崎市長が公告を出していた案件(令和2年7月)だったが、記者が尼崎市に問い合わせを出した令和3(2021)年6月時点では、この女性については、財産があったこともあり、市は家庭裁判所に相続財産管理人を申し立て、弁護士が管理する案件となっていた。
その弁護士が連絡をくれて、未だ身元不明のこの女性についての情報を開示してくれたので、武田記者は、同僚の伊藤記者と共に女性の身元捜しを始める。
死者は田中千津子という名前の年金手帳を持ち、同名義の銀行通帳(公共料金の引き落とし用)も持っている。しかし、住民票もなく、同じアパートに40年近く居住し、健康保険証もなく(保険外の診療をしている闇っぽい歯科医院で歯の治療を受けた記録があった)年金も受け取っていない。40年前にアパートの契約をしたのは、田中という名字の男性だったが、契約をした大家さんは既に亡く、現在の大家であるその妻(90代、同じ建物内に住んでいる)は、田中千津子さんはずっと一人で住んでいる、と言っている。指の欠損は製缶工場でアルバイトをしていたときの労災事故によるものだが、住民票がなく、本籍地も不明で労災の保険金も受け取っていない。労災病院にカルテは残っているが、本人から労災はいらない、と言われ、そこで話は切れている。当時のカルテに、本人が広島出身と言っている、というメモがあったのと、部屋にあったごくわずかの所持品の中に、かわった名字の印鑑があったこと(広島に多い名字)くらいしか手がかりはない。
くも膜下出血で自室で倒れていたので、事件性がなく、警察も、広島市役所に問い合わせまではしたが、踏み込んだ捜査依頼をしていないので、詳しい情報は出ず。弁護士も、少しでも手がかりを、ということでプロの探偵を雇い、女性の行動範囲を調査などしたが、人との交流の気配もなく、親族があるのか、アパートの契約者である男性は存在するのか、何もわからずじまい。

詰んでる状態に見えるが、武田記者は同僚の伊藤記者に声をかけ、他の仕事と並行して、この行旅死亡人の調査を進める。弁護士の元でアルバムを見せてもらい、本人及びアパート契約者の男性とおぼしき人の写真(本書中でも数葉紹介されている)を見る。誰だかわからない子どもの写真もあった(この子どもの身元が判明する後半は驚きの連続であった)。イラストレーター高妍ガオ・イェンが描いた表紙に、ぬいぐるみの手を取った女性の後ろ姿が描かれているが、この犬のぬいぐるみは自宅に残され、長くいつくしまれた形跡が残っていた。
2人の記者は、田中千津子さんの住んでいたアパートを訪れ、大家さんに話も聞く。いつも手元を隠していて、何十年も同じ建物で暮らし、毎月現金で家賃を受け取っていた大家さんも、彼女の右手の指が欠損していることを知らなかった。身近な人にも何も情報を与えない暮らし。
労災事故にあった会社もすでになく、男性が勤め先として書いた会社は存在はしているが、取材しても、それらしき男性が勤務していた記録はない(その取材の緻密さに驚く)。
次に、田中千津子さんの旧姓と思われる名字の調査。珍しい名字とはいえ、広島にはそれなりの数がいて、同じ名字でも全員が親戚という訳でもない状況の中、身元の分かった人に当たってみて(この時点で、記事になることが決まっている訳ではないので、取材旅行も自費、或いは広島方面で別件の取材があったらそれと組み合わせて)、地道な繰り返しの中で、自分の親族かも、という人が現れる。そして、年金手帳に書いてあった年齢が虚偽らしいということも判明する。

本の後半は、広島で、親族や幼馴染など、千津子さんゆかりの人間への取材の様子が描かれる。警察も探偵も見つけられなかった縁が、一旦末端を見つけたところからするするっと広がっていく様子に驚く。もうなくなってしまった製缶工場についても、関係者を見つけ、事故のことを覚えている人を見つけ出す。新聞記者は探偵よりもすごい! 広島で、若かったころの千津子さんの写真を見せてもらい、当時働いていた会社の様子なども知る。小説でもありえない位の偶然と縁が、少しずつ千津子さん像をクリアにしていく。

何故彼女は戸籍を消し、人と交流することもなく(一緒にいた男性はどこへ消えたのか)、3000万円以上の現金を、セキュリティ万全とはいえないアパートの一室に置き、暮らしていたのか。
小説ではないので、その謎は解けていない。
孤独死をする人だけでなく、社会的に孤立して、孤独にさいなまれている人が増加しているこの現代の中、自分で孤独を選んだとしか思えない生き方をしていた人がいた。

それはまるで、真空のように透徹した孤独である。必要最低限のつながりを保持しただけで、姓を変え、制度からは切り離され、社会から自らの存在を消去したのだ。

p.205

何かのきっかけで、望まないまま孤独になっていく人もいるが、このように、孤独を志向して、それを貫いて死んだ(本当にそうなのかはわからないが、そのように見える)人もいる。大きな驚きだった。

そして、記者たちの取材の結果、身元が判明し、尼崎市で預かっていた遺骨は、親族の墓所におさめられることとなった。本人が望んでいたことではないのかもしれないが、記者の足取りを追いかけてきた読者の多くは、小さく安堵の息をついたのではないだろうか。


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