![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/67080757/rectangle_large_type_2_f747ab29ef3666d2c8407b392290f0dd.png?width=1200)
毎日読書メモ(184)『神様』(川上弘美)
2002年3月の日記より、川上弘美『神様』(中公文庫)の感想。
(注・後半に短編のひとつのネタを思いっきり割っていますので、これから読もうと思う人はご注意を)
短編集を読むのも楽しいのだが、1つの作品を読むのに費やすエネルギーが小さいせいか、読んでいるときは面白くても、あとになって思い出せない作品というのが結構ある。読書の無駄遣いしている感じ。
何かの小説の一節を思い出して、ああ、これは誰のなんという話だったっけなー、と思うことが結構ある。
しかし、この『神様』は違った。静かな物語ばかりなのに、訴えかけてくるこのインパクトは何だ?
日常と非日常が入り混じった静かな生活の感じは、あえて言うなら江國香織に似ていなくもないが、やはり違う。
表題昨「神様」、なんだか聞いたことある名前だ、と思ったら、昔、パスカル短篇文学新人賞(第1回)を受賞した作品だった。1994年。パソコン通信界の文学賞の嚆矢だ。
初めて読んだが、こんな作品とは思ってもいなかった。文庫本で僅か10ページの物語の中に、暑い夏の日が描かれている。近所に住むくまと散歩に出て、川で魚とり。「神様」は、最後にくまの話の中で一瞬あらわれ、「わたし」はくまの神様のことを考えながら一日を終える。川上弘美と相性が悪い人にとってはたぶん so what? なだけの物語だろうが、作者がこういうタイトルをつけたということを思うとまた、ずしんと心に響くものがある。
わたしが一番好きだったのは、「星の光は昔の光」という話だ。
主人公が隣りに住む男の子と交流する話だが、シチュエーションは山本文緒『眠れるラプンツェル』ととかと似ているけれど(もっと乱暴なことをいえば、北村薫『リセット』の第2部とか)、それぞれに、泣きどころがちょっと違う。
一緒にどんど焼きを見に行って、「わたし」と「えび男くん」は、こんな会話をかわす。
「あのさ、熱いっていう感じをかたちにすると、どんなかたちになると思う」火をみつめながらえび男くんがふと聞いた。
かたちねえ。かたち。やっぱり日かなあ。
「ぼくはね、熱いっていうのは、手を天に向かって差し上げてる太ったおじいさんみたいなかたちだと思う」
ふうん。それはなんだかおもしろいね。
「別におもしろくもないけどさ。じゃね、寒いっていうかたちは?」
寒い、ね。寒いはね、星みたいなものかなあ。
「ぼくの寒いはね、小さくて青い色の空き瓶だよ」(文庫版118ページより引用)
「あのね。星は、寒いをかたちにしたものじゃないと、ぼくは思うな」と答えた。
ふうん、とわたしが言うと、えび男くんは、
「星はね、あったかいよ」とつぶやいた。
「星の光は昔の光でしょ。昔の光はあったかいよ、きっと」きっと、と言いながら、えび男くんは鼻をくすんと言わせた。(同121~122ページより引用)
ああ、この一節を読んだだけでもこの本を読んだ甲斐があったよ、わたしは。
9つの短編(「マリ・クレール」に掲載されたらしい)がおさめられていて、基本的に独立した作品になっているが、「神様」と「草上の昼食」、「河童玉」と「クリスマス」と「星の光は昔の光」は、連作になっている。
川上弘美は淡々としているので、読むときの気分によって、すごく腑に落ちる時とそうでもない時があるが、今回(って電車の中で読んでいたのだが)はすーっとわたしの中に入ってきた。幸せだ。