千早茜『男ともだち』(毎日読書メモ(468))
直木賞受賞おめでとうございます! 『しろがねの葉』(新潮社)で第168回直木賞を受賞した千早茜の『男ともだち』(文藝春秋、現在は文春文庫)を読んだ。『男ともだち』は第150回直木賞の候補作だった。それから9年もたって、2回目の候補で直木賞を受賞したのだなぁ。
千早茜の作品を読むのは2作目。前に『あとかた』(感想ここ)を読んだ時にも感じたのだが、別に登場人物が自分に近い、という感じはないのに、波長が合うような心持がする。
主人公の神名は、家を離れて京都の大学に進み(故郷のことは殆ど語られず、どこなのかもわからない。肉親との接触は全くない)、大学の専攻とは関係ない、絵を描く仕事を目指し、就職せず、非常勤の仕事で糊口をしのぎながら作品発表の機会を持ち、自費出版した絵本が話題になったのをきっかけにイラストの仕事が増え、専業のイラストレーターになる。付き合っている彼氏と同棲しているが、外に愛人もいる。同居する彰人は規則正しい生活を好む勤め人だが、神名の自由人的な生き方を許容して、あまり生活に立ち入ってこないが、それは、愛情なのか、無関心への入り口なのか。そして、依頼された仕事をこなす日々に、これは自分が描きたいと思っているものとは違う、という違和感を感じているときに、急に、大学時代に仲良くしていた男友達のハセオから連絡が来るようになる。
大学時代、ハセオの下宿に半分住んでいるような状態で、ハセオに甘え、暮らしていた神名だが、ハセオは恋人ではなく「男ともだち」である。付き合っていない、性欲も持たない。ハセオも自分もそれぞれに別に恋人や愛人的な付き合いの異性を何人も持っていて、サークルの仲間も神名とハセオがつき合っているとは思わない。不思議な関係。
しばらく途絶えていた接触が復活することに、ちょっと不安を感じていたが、二人の距離感は昔と変わらない。ハセオには何でも言えるし、べたべたしない距離感で救いの手を差し出してもらえる。
恋人や愛人との関係はいつか終わっていくが、男ともだちは永遠に男ともだちだ。その関係性は寝たら変わるのか? 寝ないことは関係性を大事に保つことなのか? 保留状態を先延ばしにしているだけなのか?
20代終わりの日々を、自分のキャリアとは何なのかと考え、もがき、男との関係にも新たな展開が見え、程よい距離を保って自分を分析してくれる何人かのかけがえのない友も持つ。輪の中心の神名がいちばん揺れているようで、でも、自分のことは自分で決めるという強い意志が彼女をよりよい場所に運ぶ。
価値観とか、わたしには思いもつかないところが沢山あったが、でも、それは不快ではなく、彼女の論理を読み進めると共感が強まっていく。彼女の友達になれればいいのにな、と思う。
自営のクリエーターの生活の様子を垣間見るのも興味深く、舞台が京都で、そんなに観光名所を紹介したりはしていなくても、東京ではない場所の暮らしが感じられる。
淡々と神名の暮らしを時系列で追っているだけのようなのに、物語の構成がとてもきっちりしていて、読後感がすがすがしい。わたしはこの作者が好きなんだろうな、と感じる。
また別の作品も読んでみよう。