#38 いま、取り組んでいること
「現代詩手帖」の6月号を読んだ。
今年の「現代詩手帖」の装幀はとてもかっこいい。全部買っているわけではないのだけれども、どれもクールな味わいがある。そして、今月号は水沢なおさんの詩集『美しいからだよ』の表紙を手がけた「みなはむ」さんの絵が表紙になっている。かわいらしい絵が印象的で、カフェで読んでいるととても映える。
なかなか現代詩は読まれる機会が少ないのだけれど、こういうポップな装幀でかつてのCDのジャケ買いのように、多くの人に手にとってもらえるようになるといいと思っている。
詩は、いわば「言葉」の藝術なのでいくらでもネット上で複製可能なのだが、ぼくは詩集は一個の作品だと考えている。やはり、ネット上の丸っこいゴシック体に変換された言葉よりも、本のなか、あるいは物質のうえで、手触りやにおいや、さまざまな書体や、色味などとあいまった、複合的な文字情報にこそ唯一性がある。
そういう意味で、ネット社会のなかでこそ、物質の価値も高まっていくと思う。だから、詩集はこれまで以上の装幀の努力によって、物質的価値を高めていく必要があるように感じている。
「現代詩手帖」もそういう点に自覚的なのだろうか。詩の界隈では最大勢力の詩誌であるから、まず詩の読者の絶対数を増やしていくという点でぜひこれからもいい装幀が続いていくといいなあと思っている。
さて、中も見ていくと、今回は「新鋭詩集2020」という特集になっているように、若いと言っては語弊があるかもしれないが、最前線の詩人たちの詩がいくつも載っている。
そのなかで、「浅見恵子」さんの名がある。前回の文学フリマでチラシのようなものを一緒に作った群馬にお住まいの詩人だ。ぼくが文学フリマに出店しはじめた頃に出会って、文学フリマでお見掛けするたびに挨拶をしていた。
いつか、神保町にお越しいただいて、一緒にロシア料理を食べて、詩のことや人生について話したこともあった。数年前に詩集も思潮社から出されて、これもいつかの文学フリマでサインをいただきつつ、似顔絵も描いてもらったことがある。
そういう縁で、昨年の文学フリマでは何か作りましょうということになって「SEASON」というチラシを作った。浅見さん自身、絵を描くことが得意なので、ヴィジュアルにはこだわって、かわいらしいチラシになった。
いまはそのチラシは通販で買っていただいた方に添えたり、古書店の七月堂さんに数部置いてある。ぼくは気に入っている詩を載せたので、いまも日に何度か見返すことがある。
それはともかく、だいたい同時期くらいに活動をしているわけだけれども、浅見さんはどんどんと先を歩いていく。立派な装幀の詩集も出されて、大好きな萩原朔太郎の学会に参加したり、エッセイの連載をしたり、こうして現代詩手帖に掲載されたりと、着実にまえに進んでいる。
そういうお話を聞いたり、目にしたりしていると、未だに詩集の一つも作ることのできていない自分の不甲斐なさに、いつも打ちひしがれる思いがする。おれは何をやっているんだろうなあ。
と、今までなら悲観して終わっていたのだが、最近はそういうわけでもない。ぼくも迷いながらではあるが、少しずつでも詩は書き続けてきた。詩集の構想も練ってみようと、これまで書いたものをすべて印刷してみると、すごい量になった。
最近は、その紙の束をソファに置いている。よく過去の栄光にすがると前に進めないなどと言われるが別にそれらは栄光でもなんでもなく、これから出ていくべき何かだから、それらがこんなにたくさんあるんだということを毎日、目に焼き付けている。
そういうことで、自分も負けていられないなと思うようになったし、これまで思うように書けなかったのは、誰かの詩に近づくことができなかったからで、最後は自分が熱量を持って取り組めるものを書けばいいのだとふっきれるようにもなった。
そこで、今年になって取り組んでいる作品が「岬のヒュペリオン」というものだ。これは、先にあげた浅見さんとのコラボチラシに「窓辺のアユカ」という詩を載せているのだが、その「アユカ」という女性がまた登場する長編詩だ。
なぜそんなことを書きはじめたのかは定かではないが、書きたいものを書こうと思い立って書きはじめたら結果的に「アユカ」が出てきて、しかも現在は7000字程度まで書いてある長編詩となった。
これは詩の形式的に言えば「叙事詩」なのだと思う。小説のようにも思えるが、ぼくはあくまで「詩」として書いている。いわゆる「詩」は割合短めで、みたいな印象はあるが、実際、自由なのだから何をやってもいいわけで、一旦思うがままに好きにやってみようということになった。
以来、夜の深いところで、部屋を真っ暗にして、「アユカ」と出会うのが楽しみになった。しかし、そんなことをしているうちにコロナウイルスがどこかからかやってきて、その物語のなかにも侵入してくることになった。
ぼくは、その先をどう書いていいかわからなくなり、いまは止まっている。ただ、だんだんと先が見えてきたので、そろそろ再開しようと思っているが、こうして長編詩を書くことになったもう一つのものとして、一昨年にハワイに行ったときに書いたものがある。
弟の結婚式に、ハワイまで行って、ほとんどはじめての海外旅行での出来事を詩にしていったら、これもとても長いものになった。実は、これは前回の文学フリマで本にする予定だったのだが、中島敦論の方もあったので手がまわらなかった。
最近、読み返してみるとやはりおもしろいので、これはまず形にしておかねばならないと思った。これまで「岬のヒュペリオン」は二人くらいに途中まで見せたのだが、両人とも続きを熱望してくれている。そういうことであれば、その原点たるハワイ詩をしっかりと完成させて、再び取り組みたいと思う。
詩のかたちにもいろいろとある。短いもの、長いもの、読みやすいもの、読みにくいものとさまざまで、詩がどこかに載ったりするのも、投稿のしやすさや紙面の制約などがあって、やはり人の向き不向きというものがある。
ぼくも可能な限り投稿活動は続けていくつもりだが、戦う場所は、自分が戦いやすい場所でやっていくのがいちばんだと思う。きっと浅見さんと同じような道は辿ることができないけれど、自分なりに行き着く場所に行き着きたいと思う。
ひとまず、7月中にハワイの詩は仕上げて販売できるように。一つ一つ、完成させていくこと。
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