有るのにない家族と、無いのにある家族
だいたい、世の中というのは分かりにくい事ばかりで困る。
たとえばスタバに行くと、怖くて身が凍る。特に「ベンティ」が怖い。かれこれ生活圏にベンティという言葉の存在を認めてこなかったので、その大きさを推測したい場合においてもベンとティが大きさの概念に繋がることはない。
かといってトールは背が高いと言う意味で認識しているので180cmのコーヒーが出てきそう来そうなのが怖い。
レジ前にて、分かりにくいサイズに戸惑い注文出来ずにいる所、結局どちらが自分にベストなのか判断がつかないまま、後ろの客の催促するような目線に背中を押され、崖から落ちるようにベンティを注文するばかりだ。
こうした分かりづらい事が目の前に立ちはだかると、何が嫌かって、データの読み込みに時間がかかってしまい、身動きがとれなくなってしまう性分なのだ。
そうこう考えていると、自然とスタバから遠ざかってしまう。
それらを付加価値として考えついた人間そのものの仕組みも随分わかりづらいものだが、中でもとりわけ、インドの鉄道は分かりにくく、辛いものだった。
さて、今、訳あって時間がない。
もたもたしていると新幹線に乗り遅れるというのに、皆目検討もつかない道路の真ん中で呆然と立ち尽くしている。莫大な量の情報の処理が追いつかず、例の如く、である。
思い返してみると、僕はニューデリー駅からデリーSロイ-ラ駅に行き、そこから新幹線に乗り継ぎたいと考えていた。
昨晩、Google mapで乗り換え方法を調べると電車は13分に1本、そこそこな数ある。線路図にぽっと線が浮かび上がり、このオレンジラインとやらに乗れば18分で到着するという、なるほど。
新幹線はAM8:30発。ホテルからニューデリーの駅までは徒歩5分で行ける。そこに先程のニューデリー駅からデリーSロイーラ駅までの18分を加えて、計23分。新幹線乗り場まではどのくらいか。まあこの国だ。意味不明なことの1つや2つ平気で起きるだろう。小心者ともあり、ずいぶん余裕を見て1時間、いや1時間30分前にはホテルを出る。磐石な予定である。
「念には念を」に念を押し、6時前に起床。枕元に置いてあったスマホを開きアラームを消す。眩しい光。もう一度、Google mapで電車の時間を検索する。
さて困った、Googleの調子が悪い。
確か聞いた事がある。Google本社のあるアメリカと、ここインドは真逆に位置し正反対の時間を過ごすと。そのせいかどうかは寝ぼけているので判断できかねるが、探せども探せども18分で到着する電車が出てこない。
最短で、目的地まで27駅、到着まで59分。さぁ、どうする。
横には嫁、まだ18分で到着すると思ったまま寝ている。こいつは何を考えているんだ。布団を剥ぎ取りブタを躾けるように「今すぐ出るぞ」と体を揺さぶる。「?」と共に目が覚めるのはさすがに可哀想に思えたが、悠長に説明している暇がない。嫁の目が覚めて12分、ホテルを飛び出す。
いつぶりに走ったのだろう。息が上がり太ももの外側にある名前の知らない筋肉が痛い。
オレンジライン、オレンジライン。駅の構内を天井から、壁から隈なく探しているのだが、どこを探してもオレンジ色の案内看板が見当たらない。ここは大国の首都、メイン駅、ニューデリー駅のはず。なぜだ、なぜ分かりにくい。オレンジはどこにあるのだ。
今、僕の真上には「黄色」がある。もちろん自分の目を疑った。顔も洗わずホテルを飛び出たので、まだ目やにの霞が残っている。別の国では僕の知っているオレンジを、黄色っぽくして名前はまだオレンジたらしめている可能性もある。特にインドはカレーの国なので黄色っぽいオレンジなのかもしれない。そう解釈してみたのだが、確実に「yellow」と書いてある。オレンジはどこだ。
もしこの新幹線に乗り遅れてしまった場合、次の新幹線は翌日になる。そうなると向こうで予約したホテルも、その先に予定している国内線の飛行機も全てがお釈迦になってしまう。それだけは避けなければならない。焦りが加速する。
困り果てついには駅員を捕まえ「僕は急いでデリーSロイーラ駅に行きたいんだ」と主張すると「行きなよ」という顔をされる。「そうではない」とごねてやっとイエローラインに乗れば着くと教わる。さっさと言え馬鹿め。
ここでまさかのおれ、疑念がよぎる。「本当か?」思い返せばなにせ詐欺大国、それにこいつはどうにも信用ならない顔をしている。こういう時の悪い予感は当たる。Google mapで調べるとやはりイエローラインでは目的地に付かない。
ため息が出る。でも確かに「行ける」と発音していたし、でも思い返せばGoogleにも前科があるし。判断が揺らぐ。
歯のない駅員とGoogleを天秤にかけ、僕はGoogleを疑うことに決めた。
アラームが鳴り出した出発間際のイエローライン。板挟みに陥るギリギリで飛び乗り、神頼みしながら電光掲示板を見上げる。頼む、デリーSロイーラの文字よあってくれ、頼む。まるでカジノさながら片目を絞り恐る恐る開く。
デリーSロイーラの文字はない。扉がプシューと息を吐き鍵が掛かる。
はい死にました。
疲れた、全て投げ捨ててしまいたい。しかしそれでも諦めるわけにもいかず、せめて向かう方向さえ合っていれば取り返しがつくと思い、GPSを確認しながら山勘で皆目見当も付かない知らない駅を降りた。
地上に出て乗り換え駅に向かおうとしたところ、改札で止められる。先ほどの駅にはなかった厳重なセキュリティチェックが入る。ちんたら遅いベルトコンベアにキャリーバックを通されふ。体中を舐め回すように金属探知機で調べられる。
今のおれにテロを企てる余裕があると思うか。もう、許してくれ。
重くなっていく一方の体から残された微量の力を絞り出し、乗り換え駅までナビの表示通りに歩く。画面上に出ている「station」と、現在位置の青い丸が重なった。
駅が無い。
いよいよ脳の処理が追いつかない。
意味不明なことの1つや2つ、平気で起きるだろうなんていったがとんでもない、何個起きる、なぜだ、何が起きた、どうしてこうなった、ここはどこなんだ、なんなんだこの国は!
結局何から整理したらいいか分からず、通信制限のかかってしまった携帯のようにぴたりと動けなくなり、皆目検討もつかない道路の真ん中で呆然と立ち尽くしているのだ。
次第に現世から焦点がズレていき、口が半開きになる。
「もうずっとここにいよう」
不思議なもので、突然停止すると心が穏やかになりもうどうでもいいという心持ちになる。
日本の常識を振りかざすつもりなど微塵もないが、この国は常に二択の逆をいく。
2歳か3歳か、もうどちらか覚えてないが、親が離婚した。
曖昧な記憶の中では、夜中にトイレに起きたとき、台所における炊飯器側に母、冷蔵庫側に親父が立っているのを見た。薄暗いオンボロ電球の光の中、母が親父を諌めており「げんかい」という言葉を呟いていた気がする。
内容こそ理解できないが、2人の目線をひどく覚えている。相反する眼差しをしていた2人が、僕の存在に気付くなり、目を合わせ何かを確認し合うように同じ空気を纏い出した。2人が僕の親である証明かのように。
翌日から母がいなくなり、茶の間には親父だけが居た。
今でこそもう何の変哲もないことに思えるが、僕が小中学生の頃は片親しかいない家庭は珍しかったように思う。だからこそ片親の子を見ると抱きしめてしまいたくなるほどの親近感を覚えていた。
しかしその親近感も完全無欠なものではなく、母子家庭はいたものの「父子家庭」というのはいなかった。今思うとだがあの時僕を包んでいたのは、このコミュニティの全てには母親がいて自分にだけ母親がいなく、ただでさえ孤独であるのに、どこにも理解者がいないという何層かに重なった孤独だったのかもしれない。
親の話になるといつも裏腹で分かりにくい気持ちが溜まっている。
話の流れ上仕方なく母親がいないことを話すと、絶妙に「可哀想」と言う空気が流れる。もちろん被害妄想だ自意識過剰だという意見もわかるが、だとしてもどうも流れているように思えてしまう。正直、母親がいなくなったのは2歳か3歳の時なので仮に可哀想と思われても、すでに僕の生活に馴染んでいる事実でしかないので、哀れみの思いにピントが合わない。
ただそれと同時に、決して哀れまれたいわけじゃないのに、可哀想な目でみられないと、それはそれでムカつく気持ちがあるのも確かなのだ。
ここが非常にわかりにくい所。
誤解を恐れずに言えば、この感情は茶の間に残ってゴルフ中継ばかり見てる親父のせいである。
母親がいなくなった後、その代役として僕と姉貴の心のケアをしっかりとしておけばよかったものの、長距離トラックの運転手をしていたこともあり、月の殆どを家で過ごさない。爺さん婆さんが死んでからは姉弟2人のみで生活。その結果、今だに親父には心を開いておらず絶妙な距離感である。
まぁ遠くに働きに出る事でなんとか金を工面し、育ててくれた事に変わりはないので恨みこそしていないが、物理的な距離ゆえにうちの家族には何か大きな欠落があるんだと、心苦しくなる日もあった。また他人との違いが露呈したときその原因は、発育途中で満たされない何かがあったからだと家族のせいにしたくなる思いもあった。
とはいえ、この特殊な環境下で育った事の特別感があったのもまた事実。学校の行事に家族が来た試しがないだの、運動会で腹が減っても食うものが無いので友達の家の飯を食い周っていたなど、思い出したくないけど、その稀有な片親貧乏エピソードで人を笑わせて有頂天になった事があるのも事実なのだ。
親父の金がないと死ぬ。寂しさを表現したらどうにかなる問題じゃない事を知っている。でも、そもそも我儘を言えば振り向いてくれる距離にいない。
学問と部活動に加え生活のためにバイトをし、夜、家に帰り洗濯を回し晩飯を作り、食い、明日のおにぎりを握り、寝て、起き、朝練に行く。
育ち盛りにこんな生活を強いられているというのに、でも普段から明るく気丈に振る舞える自分を誇りに思っている。でも、これでよかったと手放しに思った事は一度もない。でも、ずっと辛いかって言われたらそうでもないし、でも、でも。
この折り合いがつかない気持ちが溜まってくると、家族という存在の輪郭をはっきりさせたくなくなり、向き合うことを避け、自分の心を守る手段の1つとして、家族に期待することをやめ「そうだ、家族とはSFなのである」と思うようになるのだ。
全く、分かりにくい。
新幹線から見える光景に、自分の家族を重ねていた。インドでは、線路の上に家族の生活ある。
インド人の多さにはたびたび圧倒される。「人間の森」とはよく言ったもので、確かに木でもなければ林でもない。誰かに触れなければ通り抜ける事さえ出来ないその隙間の無さや、その種類の豊富さがまさに「森」を連想させる。
新幹線のホームはまさに森そのものだった。
初めは車両の連結部に立とうとしたのだが、次から次へと乗り込んでくる人の波に飲まれ、あれよあれよと車両のど真ん中に到着。逆側の入り口から押し込まれてきた人間とぶつかりそこに滞留した。
日本でも見慣れた3列シートの車両。一瞬で通路が人間で埋め尽くされ、ついにはシートの中に逃げるしかなくなった。そうだというのにまだ詰められるのか。流れの1部になってみて適当な事を思いついたのだが、ソーセージというのはこのような気持ちなのかもしれない。
遅れて乗り込んできた乗客の1人が、大きな荷物を頭の上にかかげ、何やら大声で叫んでいる。様子を見ていると中央付近に指定席があるようだ。そんな大きなバッグを持っていたら絶対に通れない、諦めた方がいい。
しかし彼は強引に進もうとする。そして煩わしさに限界が来たのか、ここでまさかの全員強制参加のバケツリレーが始まった。彼は強制的に隣の人に荷物を渡し、そしてその人がまた隣の人に強制的に渡した。そこに僕も参加することになる。目的の席に到着した事を大声で知らせ、最後の人が頭上の荷物置き場に乗せた。
僕は面白半分、驚き半分で見ていた。このような光景を日本で見かけないのは、迷惑がかかるから?でもここでは、誰も迷惑そうにしていない。知らない人に荷物を持たせるのが怖いから?でもここでは、誰も疑っていない。ここにいると感覚がおかしくなる。
程なくして、ある少年が腰あたりをツンツンしてきた。
「どうした?」
何だろう、この子からとてつもない魔力を感じる。膝を折り、彼の目線に合わせると、汚れひとつないその大きな瞳でこちらを見ている。その目には何だか分からないが神さま的な力が宿っているように思える。吸い込まれそうな感覚に陥り、耳を傾けずにはいられなくなった。
新幹線の車両の真ん中に、日本人とインド人の少年。その突如現れた異色な光景を一目見たいのか、数十人の大人たちが集まってきた。
その感じを見るに親戚の集まりか何かだろう。ディワリの時期だからかもしれないが、それにしても大家族である。ビッグダディの影に見たあの大家族さながら迷惑をかけあう姿、気兼ねない姿。良い家族である。
少年の話を聞くと、まだ日本という国を知らないらしい。僕は地図を広げ距離と方角を教えた。地理に興味があるからなのか、それともただ耳馴染みのない下手くそな英語だからなのか、そのどちらかは分からなかったが、彼もまた傾聴してくれているのが伝わる。ありがたい。感謝の思いを込め「いつかおいで」と伝えると、下唇を軽く噛みながら振り返り、恥ずかしそうに父親の顔を見ていた。
少年の恥じらいを見て周りにいる数十人の大人たちが一斉に微笑んだ。幸せに包まれた空間。
うまく答えられない少年をここにいる全員が親のような目で見ている。育てようとしている。先程まで僕に興味津々だった大人たちの目には新たな光が灯り、この子しか写っていない様にみうける。
僕は、あの日、目を合わせ何かを確認し合うように同じ空気を纏い出した2人の事を思い出した。親子とは、そうあるべきだと少しだけ悔しくなった。
「これから家族みんなでお祝いですか?」と尋ねた。するとまさかの、ここからここまでは家族で、ここは家族じゃないしなんならまったく知らないと言っている。
嘘だ。さっき膝の上に荷物を持たせていたり、騒ぐ子供を躾け、食い物を分け与えていたのを見たぞ。子供が大人に反抗する態度もみた。向ける目見守る目の奥にある信頼や安心、どう見ても家族、いや理想の家族にすら思えたのに。
おれには「有るのにない家族」、でもここには「無いのにある家族」。
ややこしくてまた動かなくなってきた。
高校でのある日の事、友達が弁当に入っていた卵焼きを「まずい」と言い、窓の外へと投げ捨てた。
もちろんそれが突拍子もないことをして、おれを笑わせようとしてくれた事だと今なら判断出来るが、当時の僕は「なんでそんな事をするんだ」と強い怒りに苛まれた。そんな一方通行な重たい思いなど、笑わせようとしたひょうきんな男子高校生に伝わるわけもなく、向けられた怒りに戸惑いながら「家族なんだから普通だろ」と言っていた。
僕の場合、反抗も我儘もましてや本音すらも言った覚えがなかったので、親に「まずい」と言える関係が普通と言われ、なんだか分からず不思議な感覚になった。
そういえば家族に、どこまで自分を見せる事ができるのだろうか。
まず感情を見せるのは無理だとして、簡単に言えば裸、あるいは家の中でパンツ1丁で歩くことさえした事がないように思える。
社員寮での生活をし始めた頃、1日が終わったのに家に誰かがいるという環境に非常に強いストレスを覚えた。
それは、自分の生活の底にある何かを、誰かに見せたことがなかった為、そもそも見せるものだともすら思っていなかったからに思う。これは見せたくないやましいものがあるから見せないのではなく、そもそも見せる必要がないのと、見せないものがあるのが人間だと思っていたからだ。
何の不自然も感じることなく寝る前には「じゃ」と手を振り、部屋の扉の鍵を閉めた。しかし齢18歳の若い男たちが共同生活を始めるともちろんデリカシーなんかは育っていはずもなく、鍵を外からあけ部屋に入って来た。
これが気が狂いそうなほどのストレスだったのだが、次第に全てを隠し通すことはこのジャングルでは不可能である事を悟り、この生活を受けいてれていき、同時に隠したいものが全て露わになっていった。
そこで自分に起きた変化には特別驚いた。
隠して来たはずの自分の根底を見られ、これまで退かれる物だとばかり思っていたものが自然と受け入れられていき、あるいはそれが普通であるとしてくれたことが、居心地の良さに変わっていった。
いつしか、この人たちみたいな関係の事を「家族」というのかもしれないという錯覚に陥ったのをよく覚えている。
迷惑をかけられる人が出来た事が嬉しかった。
家族じゃないのに、家族。家族とはなんなのだろうか?
以下が家族の意味らしい。
うーん。いまいちピンとこない。
聞くところによるとインド人の結婚観というのは「個々人の結婚」というよりも「家族と家族の結婚」といった方が近いらしい。
とても伝統的な国、人は一定の年齢になったら社会の中で認められるために結婚するのが当たり前で、子孫を残すことが一族として、あるいは国という組織の一員としての責任になり、それらを多くの人が重んじる。
結婚相手を恋愛で選ぶ事が出来るのはごく一部の人間のみで、その相手にはカーストと宗教が大いに影響するというのに、その上、働ける人間が、理由があって働けない人間の分まで稼ぎ、その対象は結婚した相手の一族全てにも及ぶというのだ。
それら全てがある種の義務になっていて、その義務の重さゆえに、耐えきれない人もいるのだという。
家族という義務。状況は違えど、わかる気がする。
この家族という結びつきはくせもので、どれほど上手い関係が構築されていなかったとしても、世間体や血縁がそれを「拒絶してはいけない」と言っているようで、どの角度から見ても義務感を孕んでいる。その結び目が義務であるというのならせめて、選択出来る大人側がどうにかしろよ、と思ってしまう。
やがて、消化することもできず、吐き出すこともできず、抱えきれないほどの気持ちに膨れあがり、いっその事、捨てられるのであれば捨ててしまいたいとさえ思う事もある。
人が接する「自分の家族との距離感」を不思議に見ている。
僕が結婚した時、嫁が自分の家族と接するのを間近で見た。事前に「尋常じゃないほどの喧嘩する」と聞いていたので身構えていたのだが、いざ目の前にするとそれは想像する何倍も強い喧嘩で、遂には胸ぐらを掴み押し倒すのを見た時「今日でこの家族は終わりだ」とドキドキしたのを覚えている。
ある時、お母さんに「冷蔵庫から麦茶とマヨネーズを取って」と頼まれた。非常に個人的な事なのだがこれは由々しき問題で、ある種迎え入れられているとも取れるが、なにせ小2の時、人の家の冷蔵庫を勝手に開けた事があり
、大雑把に言えばぶっ殺されるんじゃないかと思うほど怒鳴られた経験がある。そのトラウマが冷蔵庫の扉を重くした。
家族団欒、ご飯を食べている最中に空気を壊す事のほうが罪だと判断し、ビクビクしながら取り出したのだが、裏で嫁に「頼むからおれに冷蔵庫を開けさせないでくれ」と酷くキレた。それが嫌だったのか仕返しにそれら全てのやり取りを両親に報告していた。信じれないデリカシーの無さ。どういう顔をすればいいのだ。
しかし帰り際、お母さんはお構いなしといった具合に、玄関先で僕を抱きしめ「お母さんと思って甘えていいんだからね」と言った。
僕はフリーズした。
経験のない事に、何がお母さんに甘えていいんだからねと言わせたのか勘繰る。しかしそれよりも抱きしめられて返ってくる体温が、家族という義務の何かを壊した気がした。
嬉しかった。これは「母ができた」とかそういう単純な感情とは違い、家族の一員として受け入れてくれた事が嬉しく、長らく欠落していた部分だったため「それでも構わない」という態度から、勝手に家族の愛情を感じたのだ。
その後、嫁には今更抱きつかない。嬉しさと同時に蚊帳の外から見る景色が実際の家族じゃないとも思わせた。
家族の不思議な距離感。
何度も言うが、同情されたいのではないので、切望ではない事を分かって欲しい。
*
さて、ごねごね考えたが結論、家族とは不思議である。
不思議?不思議なのか?答えは出ているのに、口をついて不思議と紡いでしまうのは、どういう事なのか。
家族として受け入れられる不安と、家族として受け入れられない不安。
でもそれだけ無作為な状態の自分を受け入れてくれる存在がいたのだとしたら、感謝がないわけもなく、その相手がどんな人間であろうがその存在を受け入れ、ただただ安寧を祈り健やかでいてほしいと思えてしまう。
そんな人を、家族という愛情の形で表現したい。
家族だから受容するのではなく、受容こそが家族の形と思いたい。
迷っていたはずなのに、不思議と家族というものを定義している自分に気付く。
既存の家族の形はそれぞれにある。よってこれは決して、論じ、結論づけ、何かを誰かに伝えるという高尚なものではなく、自分の中で腑に落ちる家族という言葉の意味でしかない。
「だからね、さっきの家族を見ておれが思うのは、君と家族の関係を見て、家族って不思議なもなんだなと、定義したのよ」
「はあ」
鬼のくびをとったかのように、急に喋りまくったもので、戸籍上一番近い家族であるはずの嫁が、なぜか気圧されている。思えば嫁には「家族なんだから」と傲慢な態度をとることもしばしば、そしてどれほどまでにも迷惑をかけてもいいと思ってる節がある。
もう1人、戸籍上近い家族、ゴルフ中継ばかり見る親父。
あれは、おれに取ってなんなのか、今だに分からない。
親父の事を関係のない人と片付けてしまうのは容易い。もう一方で都合のいい場合のみ血縁者なのだと利用することも容易い。
今思うのは諦めに近いのか、自分の中に明確な答えこそないが、そのどちらにも偏らずにすむように、分かりづらい関係のままそこに留まっていたい。
分かりにくさはめんどくさい。でもそう思うという事は、結局わかりにくさが好きなのかもしれない。
分かりにくさを決して分かりやすくするのではなく、分かりにくい事は分かりにくい事のままその存在を受け入れることで「このままどこまでいけるんだろうか」という光が生まれるのだ。
そんな事を考えていたら、スタバを通り過ぎてしまった。