届け #1
『操作されていない素直な気持ちを、相手のキャッチャーミットど真ん中に目がげて投げる』
これが難しい。いくら訓練しても、どれだけ心掛けても、簡単にはいかない。結局、周りにどう思われているか気になるし、発声の仕方、内容で、その人の知能指数が分かる。
一見シンプルで簡単そうなこの行動は、僕にとって、ケジャンを食べる事より難しい。
そうだと言うのに『人目も憚らず大きな声を上げる人』をたまに見かける。全く恥ずかしい。
僕には、一生出来る気がしない。
その日、僕はインドネシアのバリ島にいた。
中央アジアの赤道直下に位置するこの国で、あまりの日差しの強さに項垂れている。
この旅は、僕にとって初めての海外だ。
豪雪地帯に生まれた育った僕にとって、この日差しは、まさに地獄。釜茹でにあった石川五右衛門はこういう気持ちだったのか、と思う。
初めての外国は、波打ち際で大はしゃぎする様なものではなく、南国の狂気を痛感する旅となった。
僕は、インドネシア語を1つも知らない。その上、英語も1mmも喋れない。5分前に習った英単語も忘れる、どうしようもない鳥頭を携えている。
そのくせに『流暢に英語を話す人』への憧れが一丁前にあり、何度もオンライン英会話を契約した。そして、日本語の補助が無い授業に戦慄し、二度とアプリを起動しない、と言う生活を繰り返している。
そんな中、知人が現地の日本語ガイドを紹介してくれる事になったので、今回も英語の勉強を一切せず、自己紹介すらマトモに出来ない状態で、ここにいると言う次第である。
厄介なのは、挨拶もろくすっぽ出来ないのに『わけわかんない穴場に行きたい欲』が強い。あと『ツアーに参加したくない欲』も強い。とにかく海外では、開放されたいのである。
欲だけ主張するこの生物に、一緒に来ている嫁も、ほとほと呆れている事だろう。
今回の旅は、バリ島に数日間滞在し、その後『レンボンガン島』と言う島に行く予定である。
レンボンガン島は、バリ島の南東に位置する、人口約5000人程の小さな島だ。島には、手付かずの自然が多く残り、美しい珊瑚礁やマングローブの森など、大自然ならではの冒険が出来る島だ。
穴場、大自然、冒険。堪らない単語が並んでいるが、何より『レンボンガン』と言う響きが凄い。
日本に生まれて31年、『ン』の3連発は、前半で知った『アンパンマン』のみだ。極上の響きである。
僕は、耳心地でレンボンガン島に行くのだ。
レンボンガン島へは、紹介して貰ったガイドの『アモさん』が連れてってくれる。
彼は、日本語が流暢で、眉毛と瞼の距離が近く、所謂イケオジってやつだ。そして何より驚くべきは、その毛量である。彼の毛量の多さは、まさに80年代のハリウッドスターを彷彿とさせる。アモさんを形成するほとんどが、フルハウス シーズン1の時のジョン・ステイサムである。人生のバイブルが『フルハウス』である僕としては、ジョーイおいたんに会えたようで、少し感動している。
おいたんが言うには、バリ島東側の『サヌール』と言う街から、10人乗りの小さなボートで、約40分移動すれば、島に到着するらしい。
しかし、非常に残念な事がある。
島に到着して、シュノーケリングやマングローブの森の探索を心から楽しんではいる。非常に興奮もしている。ニモ的な魚を見たり、でっかいマングローブは、僕を感動に導いてくれている。おいたんも良い人だし、やっぱり毛量が凄いので大好きである。
でも、同じく行動する集団の中に、別の日本人がいる。そして、この日本人の若い女は、よく喋る。
これは非常に困った。彼女たちは、心から楽しんでいる様子なのは、見てて気持ちが良い。それは良いのだが、にしても、喋りすぎである。マングローブの森の中で、息継ぎ無しで喋っている。ライフジャケットが似合う似合わないの話から、気付けば『彼氏の飯の食い方が気に食わない』などの悪口で、大盛り上がりである。せめて、息継ぎはした方がいい。なぜ、僕たちも同席している船で、大自然に囲まれて、このボリュームが出せる。さすがにマングローブの神もキレると思う。
ああ、ドラゴンタトゥーの女くらい無口な人が良かった。
あっという間に、この日の予定は終わった。陽が落ちて来た頃、僕たちは、帰りの船があるビーチに向かった。
この後、僕はレンボンガン島に一泊することにしている。ジェシーおいたんと、ドラゴンタトゥーじゃない女たちは、バリ島に帰るようだ。やっと解放される。ここからが、本当の旅である。
一泊してから帰る事を、ジェシーおいたんに伝えると『この島に日本語が話せる人は1人もいない』と注意を受けた。これは『=何かあったら死ぬ』と言う事である。
あんなに偉そうに語っておきながら、正直、気が気じゃない。マジで怖い。
おいたんは、『何かあったら連絡して』とLINEを教えてくれた。電話する様な『緊急事態』がない事を祈る。
この後は、自由に行動できるが、小さい島でありながらも歩きで移動するのは厳しい。別れ際、おいたんに相談すると『バイクが借りれる』と教えてくれた。そして、レンタルショップの店員を紹介して貰った。
どうやら、おいたんが紹介してくれたこの大男は、堅気じゃないようだ。これは絶対に違うようだ。
ディアドロップのサングラス、焼けた肌、屈強な体、白髪パンチパーマ。もう、デンゼルワシントンである。
死んだ。
ジェシーおいたんと彼が話している間、観察してみたのだが、この男、尋常じゃない殺気を放っている。まだ名前も何も知らないが、只者じゃない事だけはわかる。
どうやらバイクだけじゃなく、明日の帰りの船や、ホテルまでの送迎なども、この男が手配してくれるらしい。ダメだ、終わった。
恐怖しながらも、喋れない英語で『僕の名前は遠藤。あなたは?』と聞いてみた。デンゼルワシントンは、コチラを鋭い眼光で睨みながら無視を決めている。すんごい不機嫌そうである。
マングローブの森で騒いでいた事が、彼の癇に障った可能性が高い。でも違うんです。騒いでいたのはアイツらです。アイツらが『彼氏の箸の持ち方、クワマンじゃん』とかで盛り上がってたんです。僕じゃないです。
クソ、アイツらのせいで目をつけられた。
どうやら、流れ的にギリ、バイクは借りれそうな雰囲気ではある。最悪、バイクで日本に帰ろう。
そして、頼みの綱のジェシーおいたんは、ボートで帰っていった。
ああ、心細い。
よく見るとこの船着場も、密輸船だらけに見えてきた。船から降ろしているその木箱はなんだ。何をそんなに大量に降ろしている。なぜ、この辺りに子供が居ない。大男だらけじゃないか。
帰りたい。平和な日本の公園でジャングルジムとかしたい。
僕は、無口のデンゼルワシントンに連れられて、レンタルバイクのある駐輪場に来た。彼は今だに何も喋らない。バイクの操作方法も、ジェスチャーのみである。
確かに、マングローブの森で、無口な人を求めたのは僕だが、流石に無口すぎる。説明が異常に丁寧なのも、逆に怖い。あぁ、ドラゴンタトゥーじゃない女たちに会いたくなって来た。めちゃくちゃ怖い。
バイクの説明が終わった後、少しでも距離を縮めたくて、再度名前を尋ねた。
しかし、デンゼルワシントンは、何も言わず港の方へ消えていった。
一度、ホテルに行き、チェックインをしよう。
気になる事もある。
この島、何かがおかしい。