届け #2
この島、何かがおかしい。
デンゼルワシントンからバイクを借りた後、真っ先にホテルに向かった。
ホテルまでの道中、海が見えた。人口的な香りの無いこの島で見る夕日と、日本で見る夕日は、全てが違うものだった。
メインストリートをバイクで走行していると、至る所から視線を感じた。
僕たちが、島にいる唯一の外国人だからか、この島に馴染めていないようだった。それだけではなく、島中が僕たちの行動を監視している様な気がしてならない。
僕の、気のせいなら良いのだが。
ホテルの部屋に着いて荷物を下ろした。窓からも海が見える。電気を付けても、部屋は仄暗く、自分たちから発せられる音意外、何も聞こえなかった。
僕は、ベットに座り、インターネットで島の事を調べた。
この違和感の正体が知りたい。
しばらく調べて分かったことがある。
レンボンガン島、隣のチュニガン島、そしてさらに東にあるぺニダ島の3島は、かつて、バリ島とは異なる王国だったようだ。
王国同士は領土の奪い合いを、幾度となく繰り返した。
そして、長い争いの末、バリ島にある1つの王国が勝利した。
その王国の名前は『ゲルゲル王国』。
ゲルゲル王国が政権を握ったあとも、ペニダの王は、何度も反旗を翻し、独立を試みた。しかし、ゲルゲル王国は強大な力を持っており、その度に制圧された。
苦渋を舐め続けたペニダの王は、ついに黒魔術を使い、ゲルゲル王国に『病気』を送った。
そして、敵国の人々を苦しませた。
ゲルゲルの民は、ペニダ島を恐れ『魔物の巣窟だ』と忌み嫌った。
そして、この島は罪人たちの『島流し』先となった。
この伝説が、今からたった20年前まで信じられており、バリで育った若者たちは、今でも近づき難い島らしい。
そして、3島の内、このレンボンガン島には、もう一つ、信仰がある。
『マングローブの森には主がいる』
マングローブの森に、許可なく侵入したり、森に害をもたらすと、罰が下るという。
ある夜、若者たちがマングローブの森に侵入し、酒を持ち込み、馬鹿騒ぎを始めた。そして酒に酔った1人の男が、マングローブの木を切ってしまった。
その若者たちは『大きな影』に襲われ、誰1人、帰って来る事はなかったという。
マングローブの森の主は、レンボンガン島の人々に、こう呼ばれている。
『白いワニ』と。
かつて、ゲルゲル王国の民が恐れた『悪魔』と、何か関係があるのかもしれない。
やはり、僕の違和感は当たっていた。
この島で感じた不気味さは本物で、この島は、ただの島じゃ無い。
一度、深呼吸をし、情報を整理しよう。
まず、ビーチに到着した時に、大男たちが船から降ろしていた木箱は、ゲルゲルの罪人たちが詰められ、島流しになった結果である可能性が、高い。
そして、僕たちはマングローブの森に侵入した。そして奇しくも『彼氏の箸の持ち方』でクソ騒ぎしていた船に乗り合わせて居た。それが、白いワニの癇に障り、島中の監視の対象になっている可能性が、高い。
そして、デンゼルワシントンは白髪。そして、人間の言葉が通じない。と言うことは、森の主で、白いワニ。よし、帰ろう。『バイク 海 渡る方法』 ダメだ、終わった。
僕は、一睡も出来なかった。
バイクで海を渡れない以上、この島から出る方法は、白いワニの船に乗るしかない。心配である。
帰りの船は。16時。それまでずっと、ホテルに閉じ籠っている訳にもいかないので、僕は島の探索をする事にした。
日が昇る時間帯に島を周って見ると、夕べとは違った景色が鮮明に見えて来た。
やはり、王国時代や島流し時代の名残があるのだろう。人が住むようになってから、それほど時間が経っていなさそうだ。道路も、その殆どが砂利道である。船着場から約3km程のメインストリートとされる部分しか、舗装がされていないし、店という店もなさそうだ。電線も所々にしか張られていない。
島にあるコンビニは、1軒だけ。そのコンビニも、コンビニエンスと呼べるような建物ではなく、客の殆どが島の住人のようだ。あるのは生活必需品のみだった。
島の外周を周っていると、森に囲まれて、少し開けた静かな場所に出た。辺りに人工物はなく、人影も見えない。ここで一服しよう。
落ち着いて深呼吸も出来ない道を来た為、酷く疲れた。
一時停止し、買っておいたペットボトルの水を飲んだ。
その時、一匹の野良犬が寄って来た。汚れたその犬は、腹が減っているのだろう。しかし『狂犬病』の危険性が、脳裏をよぎる。犬が可哀想に見えたが、ここを離れるべきだと思った。僕は、先に進もうとペダルに足を掛けた。
ヘルメットの顎紐を締め、顔を上げ、走り出すと、目の前には、20数頭の大型犬が、僕を囲い始めていた。
これはまずい、囲まれた。間違いない。これは、白いワニの手先だ!
僕たちを、マングローブの主への生贄にすべく、捉えに来たのだ!すぐ逃げないと、殺される!
限界までアクセルを回し、なんとか振り解いて、ホテルに戻って来た。なんだあの数、ほぼウィードじゃないか。
帰りの船まで少し時間があるが、さすがにこれ以上の調査は危険と判断した。
僕たちは、ホテルで静かに過ごす事にした。
『帰りは、ホテルの駐輪場にバイクを止め、彼がバスで迎えに来てくれる』
ジェシーおいたんが、帰る前に教えてくれていた。
15:15。ベッドに横になると、ウトウトしていたようだ。気付けば帰りの時間が、近づいていた。昨晩寝れなかったのと、ウィードに追いかけ回されて、疲れていたのだろう。
15:20。重たい体を持ち上げ、ホテルの駐輪場にバイクを停めた。
15:25。そろそろ迎えが来る時間だ。ホテルのチェックアウトを済ませ、メインストリートの端に座って、待つ事にした。
15:30。来ない。
何かしらのトラブルか?まあ、海外では、時間が守られないのが常識だと聞いている。今更、不安になっても仕方がない。あとは船に乗るだけで、この危険な島とは、おさらばだ。落ち着いていこう。
15:35。来ない。
16時の船。ホテルから船着場まで、車なら5分で着く。まだ大丈夫。何とでもなる。しかし、気持ちとは裏腹に、鼓動が早くなっているのを感じた。
15:45。来ない。
ダメだ、白いワニへの生贄にされるんだ。どうしよう。今、歩いて船着場に行けば間に合うか?でも、道中で奴らに捕まったりしないか?もし、この船を逃したらどうなるんだ?僕たちは無事に日本に帰れるのか?やっぱりマングローブの森で騒いだからなのか?騒いだのは俺じゃないぞ?実は、この島に来た事が、すでに島流しだったのか?
パニックである。
『何かあったら連絡して』
そうだ!こんな時こそ、ジェシーおいたんに電話だ!まさにエマージェンシーコールだった。生贄へのカウントダウンの恐怖で、指が震えた。僕は、必死に指を制し、スマホを操作した。おいたんは、コールして、すぐに出てくれた。
急いで状況を説明し、ワニに連絡取ってもらう事になった。僕は『マングローブの森で、あの女たちが騒いだ所為で』とか、『森でウィードに囲まれたからもう死ぬ』とかも説明しそうになったが、取り急ぎやめておいた。
そして、おいたんの折り返しをソワソワしながら待っていると、向こうから、土煙を立てた、猛スピードのバスが来た。
運転席をよく見ると、ワニが運転している。
おいたんの連絡がついて、急いで迎えに来たのだ。
なんだ、良かった。アイツは、白いワニなんかじゃなかったんだ。安心した。ん?でもワニじゃないってことは、僕らを乗せるのを、シンプルに忘れていたって事か?何やってんだアイツ。恐怖がだんだんと怒りに変わっていた。そもそも、名乗りもしないで、人のこと散々無視して、挙げ句の果て、迎えに来るのも忘れるって、どうなってんだ。ふざけやがって。
まぁ、とりあえず何とか間に合いそうだ。
呆れながらバスに乗り込もうと、道路に近づくと、ワニは猛スピードで通り過ぎで行った。
…なんで?
どゆこと?飛び乗らないと帰れないって事?無理だろ。70は出てたぞ。無理です。情報の処理が追いつきません。怖いです。
結局、船に間に合わないの?日本に帰れないの?やっぱり生贄になるって事?今からマングローブの森に行って、悪魔の集団を連れてくるって事?怒りがだんだん恐怖に変わって来た。
震えながら5分ほど、呆然としていると、バスが戻ってきた。
バスの後ろには、謎のインドネシア人がパンパンに乗せられている。ダメだ、やっぱり殺されるんだ。
僕たちの目の前に、バスが停車した。
運転席の窓が下がり、タバコを咥えたワニがコチラを睨みつけている。彼は、親指で『乗れよ』と言って来た。何だコイツ。
大変不服ではあるが、指示通りバスの後ろに乗り込んだ。暴れ気味のバスで、大量のインドネシア人に囲まれて、船着場に向かった。
16:15。船着場に着いた。
窓から覗くと、僕たちを乗せる船は、まだ港に停泊しているようだ。よかった。これで、無事に帰れそうだ。
バスを降りる際、意味不明な行動ばかり取るワニに、イライラしていた僕は、適当に『どうも』と礼だけをして、船に向かった。
船へと向かっている時、ジェシーおいたんから電話かかって来た。
ワニの愚痴でも溢そうとしていた時、
『バタつかせてごめんね、間に合った?』
とジェシーおいたんは謝ってくれた。逆に、コチラが気を遣わせてしまったみたいで申し訳ない。おいたんは、何も悪くない。どう考えても、ワニが全部悪い。
初の海外で、これだけ怖い思いをして、何一つ思い通りにいかないワニへの怒りが、心の奥で煮え沸っているのがわかった。でも、どうする事も出来ない感情だったので、仕舞い込むことにした。
ジェシーおいたんは、続けてこう言った。
『なんか、君たちが乗る1つ前の船の乗客が全然来なくて、彼が島中探し回ってたんだって。それで遅れたらしい。』
…ふーん。アイツにも事情があったのね、でも僕は悪くないし。
『そして、君たちが待っているだろうと心配になって、ホテルに連絡したらしいんだけど、ホテルの従業員が君たちに伝えてなかったらしいんだよね、ちゃんと伝えられなくて、ごめん。だってさ』
…ん?てことは、ワニは俺たちの為に動いてくれたって事?
…なんだろう、この気持ちは?
『彼さ、英語も日本語も全く喋れないし、無愛想に見えたでしょ?いろいろ大変だったよね?説明しておけばよかったね、ごめんね』
…え?てことは挨拶の英語すら、伝わってなかっただけなの?
あれ?どうしよう。なんか泣きそうになって来た。
船のエンジンが掛かった。
おいたんの電話を切ってから、しばらく動けなかった。
こちらが思い込んでただけで、最後は何も言わず、無愛想に別れてしまった。お礼すら言っていない。謝りたい事もたくさんある。勝手に、白いワニに仕立て上げて、ごめん。マングローブの森で騒いでごめん。俺じゃないけど、ドラゴンタトゥーじゃない女たちが、ごめん。
どうしよう、名前だけでも聞きたい。本当にすまない。
船に、乗客全員が乗り終えた。
僕は、この島に忘れ物をする事になった。
その時、ワニがコチラに走って来た。
荒い息づかいで、船の上にいる僕を見ている。
僕は、英語もインドネシア語も話せない。なんて伝えて良いかわからない。伝えたい事がたくさんあるのに、何も言葉が出てこない。この時ほど、自分の無知を呪った事はない。
僕は、とにかく顔で訴えかけた。
『ありがとう、ありがとう』と。
そして『僕は遠藤!遠藤だよ!貴方は?』と、必死に、必死に伝えた。
その時、ワニが口を開いた。
『ノーマン』
え?何?名前?ノーマン?ノーマンって名前なの?ノーマンで合ってんの?
彼は、静かに頷いている。
ついに、船が動き出した。
ノーマンは、少し恥ずかしそうに、手降ってくれていた。
僕は涙が止まらなかった。
彼に何も返せなかった。あらぬ疑いをかけた。僕は、彼の思いを踏み躙ったんだ。
ごめん、ノーマン。ありがとう。
気付けば僕は、人目も憚らず、離れて行く岸に向かって叫んでいた。
『ノーマぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁン!!!!また来るよぉぉぉぉ!ノーマぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁン!!!!』
届け、届け。
ノーマンに届け。
気持ちを伝えるのは、難しい。
ただでさえ、難しいのに、言語の壁は、感情の表現の選択肢を減らしてしまうという事だ。
何も伝えられなかった僕は、後悔した。
僕は、日本に帰ってすぐに英語の勉強を始めた。
オンライン英会話を契約し、猛勉強を始めた。新しいオンライン英会話の授業には、日本語の補助が無い。僕は戦慄し、アプリを二度と開かなくなった。
コレが、ペニダ王の黒魔術か。