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答えは、好きな本の中に。
今日も朝からじっとりと蒸し暑い日でした。
やっぱり簡単には秋にならない、でも、夏の終わりの寂しさを通り越して秋の始まりへの期待が高まっているのは、仕事柄でしょうか…。
今日は、ホットコーヒーを数えるほどしかドリップしていないような。
でも私はなんだか甘ったるいものが飲みたい気分で、真冬のようなホワイトホットチョコレートを飲んだりしてました。
気付けば、スーパーに並ぶお菓子は栗のフレーバーで、アイスクリームも栗、芋…。
パルムの安納芋味を見つけて即カゴに入れてしまう。去年子どもたちが大絶賛していたので。
今は、昨日近所の次男の友だちが持ってきてくれたデラウェアをプチプチしながら、書いている。
とても甘い。
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最近は、わかりやすく心が揺さぶられるような話を読みたい気分ではなくて、ただ言葉の流れに集中しないと読めないような、考えを巡らさないとわからないような…珍しくそんな本が読みたい気分だった。
昨日、久しぶりに手に取ったのが、堀江敏幸さんの『郊外へ』。
堀江さんの作品は、エッセイであっても小説であっても、文学と、そして古いモノへの愛情と好奇心とで満ちていて、なんだか人に読ませるというより独特な自分自身の世界を彷徨っているようで、それが時に心地よい。
まさにこちらも、その文章の流れにゆらゆらと身を任せる感じ。
そして、お風呂では相変わらず村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を読んでいて、もうすぐ下巻も終わりに差しかかるところ。
もちろん一度読んでいて結末は知っているのだけど…。
今日の私に、なかなかどうにも八方塞がりのような気分の最近の私に、まるで新しく語られるような文章に出会い、驚く。
絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。絶望のない至福なんてものはどこにもない。それが俺の言う自然ということさ。
……しかしそれでも私は舵の曲ったボートみたいに必ず同じ場所に戻ってきてしまうのだ。それは私自身だ。私自身はどこにも行かない。私自身はそこにいて、いつも私が戻ってくるのを待っているのだ。
人はそれを絶望と呼ばねばならないのだろうか?
結局、沈んだときに答えのようなものを、ヒントのようなものを与えてくれるのは、自己啓発本でも、メンタルを保てるような意図をもって書かれた本でもなくて。
小説だったりエッセイだったり、そしてこのnoteの中の何気ない日々の記録だったりするのですね。
自分の好きな作家の作品や、好きな小説。
繰り返し読みたいもの。
それがなぜ好きなのか…という理由。
それはやっぱり、自分にとっての答えやヒント、大切なものを、その中に見つけられるからなのかもしれない。
なんて。
ちょっとカッコつけて書いちゃったけども。
今、思いました。
夏休み、なんとか乗り切りました。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。