クリティカルシンキングの本質論
最近のnoteを見ると、文が長い。
なので、今回は短めする努力をします。頑張ります('◇')ゞ
本日のテーマは
”批判的思考”について。
冒頭に私のスタンスを
前置きとして、クリティカルシンキングという名称は、
思考法の一つとしては、”あり”ですが、
実践法としては、”なし”に近いスタンスです。
特に、私は
教育現場の指導において、クリティカルシンキングの指導や研修は、
基本的に”不要”としてます。
やるならば、
企業研修での、中堅・チームリーダー・経営層対象あたりと
対象も狭くていいと考えます。
定義と本音
メリットとしては、
・別視点から物事を見ることによって、考えの癖・偏りを軽減させること
・表面上の解釈にとらわれず、物事を深く本質的に見る力をつけられる
などでしょう。
このメリットはとても大きいです。
本質的には極めて良好な思考法です。
ぜひ、誰もがやれるようになってほしいのです!本音を言うと。ただ…
勘違いされている「クリティカルシンキング」
日本語では「批判的思考」と訳されてしまっている。
ここに、この思考法が変に独り歩きしてしまう危うさがまぎれています。
人は言葉によって、イメージを膨らませ、推断することがあります。
(だからこそ広告・言葉の力は強い(と思っています)。)
だからこそ、一度立ち止まり、
🔴「批判的」のフレーズに引っ張られてませんか?🔴
を投げかけますよ!
クリティカルシンキングのHow to系のサイトや本でも、
電化製品の注意書きのように、途中で
など書かれます。これは正しい。
しかし、皆さん
説明書はきっちり読みますか?
参考になる部分だけ読んだりましせんか?
それで正しく使えているように思い込んでいませんか?
なのです。※私もiPhoneの機能をどれだけ使いこなせているやら…(^^;
批判だけが先をいく現実
事例を通して、さらに考えてみましょう。
『学校での携帯電話は一切使用禁止のため、下校時まで学校が預かる』
という校則があったとします。これについて、
クリティカルシンキングの基本は
・なぜ使用禁止としているのか?
・なぜ学校側が預かるのか?
などの疑問点を抽出して、それに対して良い点・悪い点、さらにはなぜこの校則ができたのかなどの背景を考えていく…というところです。
これは実際の話らしいのですが(知人より)
・学校側が独自に決めたルールに従わせるのはおかしい!
・預かってるときに何かが起こった時はどう責任取るんですか?
こうした苦情や批判が、教職員内で、たくさん出てきたようです。
内容自体は否定しません。
でもクリティカルシンキングを実践できる人は、もう一歩踏み込み、
・その伝え方で、本当にいいたいことが正しく伝わるのか?
・その表現の仕方で、現状の問題点を検討したり、解決に繋がるのか?
と考え、行動します。
悲しいことに、第一段階のところで「クリティカルできてる!」と思い込み、終了してしまっている事例が多いのが現実です。
まずは名前を変えてみよう。
改めて「クリティカルシンキング」を見る
そうすると、日本語訳として「批判的思考」に直結するのは仕方ない。
では本質を捉えた名前を変えればいいじゃないか。
例えば、
分析的思考とか、本質追究型思考とかどうでしょうね。
物事の本質を見抜く、深堀をしていくことに焦点が当たればよいのです。
※アメリカの教育学から由来しているものだからこそ、
言語の違いによる、解釈の違い、印象の違いが生まれるのは当然ですから、日本らしく日本語で定義しても良いと思いますけどね。
最後に。…あ、そうなんだ…。
最後に、この内容を考えていた時に出てきた衝撃をご紹介。
まだまだ知らないことが多いな…と反省とともに、
そもそもの教育関連法の文言を、熟慮するのがいいですね。
”批判”はあまり適さない表現ではないか?とは思いますけどね
「いい意味で」をつければ大丈夫!のような雰囲気がある条項だなと。
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