淘汰されるということは満ちていると言うこと。
無慈悲だと思う人もいるかも知れないし、そんな事はないと思う人もいるかも知れない。
私が言いたいことは、たとえそれらは淘汰されゆくものであったとしても、それでもそれらは生命であり光であり、かけがえのない歴史だということ。
貴方も私も、誰もが皆、歴史だということ。たとえばそれは物語、はじめから終わりまで。生命とつくのは人間ばかりでは無いと思えばそれはもう、原子の物語とも言えるだろう。
原子の歴史を刻み続けている。私達は皆、ひとつも欠けることなく。淘汰されるということは、実は満ちているとも言えるのだ。
ありのままに、ありのままに。