ウィル・スミス平手打ち事件考察⑷~もしピンケット本人がクリスにビンタしていたら?~
こんにちは、シンガーソングライターのエミーです。
普段芸能人のゴシップとかは全く興味ないのですが、「ウィル・スミスさんのビンタ事件」はアメリカと日本の文化の違いだったり、対人コミュニケーションの在り方について非常に考えさせられるトピックだったので、取り上げて考察しています。そのため【どちらが正しいか】を裁くための記事ではありません。
前回はクリス・ロックの「ジョーク」と「言葉の暴力」に焦点を当てて、考察しました。
奥様は守られる必要があるほど弱いのか?
この事件で、私がもう一つ、引っかかっている大きな石がありました。
ウィル擁護派の人たちが賞賛するときに使う
「侮辱された妻の尊厳を守った男らしい姿」
という表現。
アメリカ人よりも日本人にこの賞賛の声が多いのは、日本人のほうが「女は3歩下がって男に守ってもらうべき存在」という"男女観"がまだまだ根強いのかなと感じました。かくいう私も、ピンケットの病気のことを知ったときは「奥様の気持ちを代弁してあげたなんて、ウィルやるじゃん!」と思っていました。
しかし、考察シリーズ2で書いたように、彼らの背景を知れば知るほど、
「果たしてピンケットは、ウィルから守って(しかも暴力で)もらわなければならなかったほど、弱い存在なのだろうか?」
という疑問が私には湧き始めました。
過剰に守られたことによって、かえって彼女の尊厳は低く見なされてしまった気がするのです。(このニュアンス文章で伝わるかな…)
日本ではあまりよく知られていない、普段の自由奔放なピンケットの振る舞いを見る限りでは、
繊細でやさしいウィルよりも、明らかに神経が図太くて強い女性ように見えます(^^;)
彼女なら、自らステージに登壇して、ピシャリ!とクリスの頬を叩いてもおかしくなかったはずです。
例え、そういった彼女の強気な性格を差し引いたとしても、彼女はもう十分な立派な大人です。わざわざウィルが出てくる幕はなかったのでは?と感じるのは、私だけでしょうか。
実際に、私が感じたような考えを持つ人もいるようです。
"男女平等"についても考えさせられる
さらに、こんなクエスチョンも、浮かびました。
「もしも、ピンケット本人がクリスにビンタして、あの放送禁止用語を吐き捨ていたら、どうなっていたのだろう?」
または
「ウィルが病気を揶揄されて、夫の屈辱を晴らすためにピンケットがクリスにビンタしていたら、どうなっていたのだろう?」
これは完全に私の想像の範疇になるけれど、きっとウィルほど「暴力事件」として扱われなかったのではないかなと。前回の記事で書いたように「言葉の暴力から心を守る正当防衛」として、認知されていたのではないでしょうか。
女性のビンタはセーフで、男性のビンタはアウト・・・??
男女では"力加減が違う"かもしれないけど、力加減の問題なの?ビンタはビンタだよね?
クリスは叩かれた後もへらへらとジョークを飛ばしていたくらいなんだから、もしかしたら、ウィルのビンタは女性の本気の一発ビンタより、お手柔らかだった可能性も・・・あるんじゃないの・・・?
「男女平等」って、いったい何なんだろう??
そんなことも私は、考えさせられました。
「男女平等」や「トランスジェンダー」などの考え方が広まっているとはいえ、まだまだ「平等」の実現には程遠いところに私たちはいるんだなと、理想と現実とのギャップをまざまざと感じました。
"有害な男らしさ" vs "真の男らしさ"
今回の事件は、
"いじりジョーク"を放ってしまった無神経なクリスも、
"愛ゆえに"、"男らしさ"を見せつけようとしたウィルも、
どちらもエゴと未熟さからなる"Toxic masculinity"
(有害な男らしさ)が浮彫りになった残念な行為だった
と捉える人もいました。
ここまで色々考察してきましたが、なんだかんだで、私はこの意見に一番近いのかもしれません。
こう言っては難ですが
「この期に及んで、男性たちはまだ"男性らしさ"というものを勘違いしているんだなぁ・・・・・」
と、残念に感じました。
現代に求められている「真の男らしさ」は、腕力を誇示するものではなくて、もっと心優しくて、インテリジェンスなものだと思うのです。
例えば、今回の件なら、ウィルはクリスに平手打ちをする代わりに、
ピンケットをきつく抱きしめ、丸刈り頭にそっとキスをしながら、
「あいつのクソジョークなんて、これっぽっちも気にすることはない。
君はどんな姿でも美しい、僕の世界で一番大事な人なんだから…
クリスには、僕からもあとで厳しく言っておくよ。
僕の愛する妻の名前を二度と口にするんじゃねーってね😉」
と耳元でささやき、クリスをひと睨みして釘を刺すのが
「真の男らしい」振る舞いの正解だったのだよ・・・たぶん。
ハリウッドスターである前に、ひとりの人間
そろそろ、まとめていきます。
考察シリーズ2で書いたように、ウィルは私生活がボロボロで、メンタル崩壊寸前の中、アカデミー賞を受賞するほどの大仕事を成し遂げました…それは、想像を超えるプレッシャーとストレスだったと思います。
あの事件の翌日、彼は自身のインスタグラムで公式にクリスに謝罪をしましたが、その中で、
「自分がジョークのネタにされるのは、仕事の一つととらえていますが、ジェイダの健康状態が揶揄されるのは耐えがたく、感情的になってしまいました」
という述べている一文があります。
「自分がジョークのネタにされるのは仕事の一つとしてとらえている」、それはつまり、普段はそのストレスに耐えて耐えて、怒りを抑圧しているということになります。
「ピンケットのことを言われて耐えきれなくなってしまった」ということですが、この一件は、今まで溜まっていた怒りの爆発スイッチを押すトリガーにすぎなかったのではないでしょうか。
テレビの中では、いつも温厚で、ユーモラスで、フレンドリーだったウィルの変貌ぶりに、全世界中が驚きました。それだけ普段から、"正統派スター"をやってきたウィルですから、輪をかけて、我慢の限界だったのだろうな…と思います。
もちろん、身体的暴力を肯定するわけでは決してありませんが、公私ともにここまでのストレスを抱えながら今日という日までやってきたウィルについては、「仕方なかったんじゃないかな」と、少し同情してしまいます。
人間だもの。
ウィルだけでなく、著名人のメンタルヘルスは絶望的だと聞きます。常に私生活もファンやパパラッチに見張られ、時に多くの誹謗中傷やあることないこと噂され、、、正常なメンタルを保てるほうが難しいのではないでしょうか。著名人はそれらも含めて「仕事」であり、その代償は引き受けるべきだという考えもありますが・・・
彼らもハリウッドスターである前に、私たちと同じ一人の人間です。
ウィル自身だけの問題にせず、私たちやマスコミも、著名人への見方や接し方を見直すべきなんじゃないかなと思います。
だからこそ、「どっちが100%悪い!」と相手を詰め寄るような発言だけは、しないように心がけたいし、この記事を読んでくれた人にも一緒に考えてもらいたいと思い、一生懸命書かせていただきました!!!!
感想などあればぜひコメントください^^