
25.上昇感(1) - i
イタリア・ルネサンス最大の「上昇感」と言えばこの作品!という、ヴェネツィアの巨大な祭壇画をご紹介いたします。
1.見る
まずは、眺めます。
全体図です。
部分図です。
(★、筆者によるトリミング加工あり)
「上昇感」を、お感じになっていただけたでしょうか。
わたしたちには、なぜこんなに、
マリア様がダイナミックに上方へ飛んでいくように見えるのでしょうか。
そんなことを考えてみたいと思います。
2.考える
主題は「聖母被昇天」です。
この主題についてはすでに「18.余白(1)主役の明示 - i 」でお話しいたしました。簡単に言うと、マリア様が昇天するシーンです。
さて。わたしたちには、なぜこんなに、マリア様が上方へ飛んでいくように見えるのでしょうか。
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先に答えを申し上げてしまうと、「上昇感」の正体は、視線とポーズです。
(1)上昇感:聖母マリア
人物の視線、人物のポーズが上方を向いている時、上へのベクトル(方向性)=「上昇感」が生まれます。
・「まなざし」とはよく言ったもので、目(まな)は何か対象物を「指す(指示する)」ことができます(眼差しは「目指し」とも書くそうです)。
・ポーズには、顔の向き、体幹の方向、四肢それぞれの方向などが含まれ、とりわけ顕著に用いられるのは、「指差し」や「腕の振り上げ」です。
そしてポーズは方向を指すばかりか、強度を表すこともできます。一般的に身振りが大仰なほど、その動性(ダイナミズム)や迫力、勢いが増します。
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下の図1をご覧ください。
(モチーフを識別しやすくするため、以下、図1~図7の図版は、色を明るめに処理してあります)。
図1(★、筆者による加工あり)
まず聖母マリアです。
聖母マリアの天を仰ぐような顔の向きと視線が、上へのベクトル(方向性の矢印)を作りだしています。また、大きく開かれた両腕は、肘から先が上方へ向かっています(白色矢印)。まず彼女の「上昇感」において何より大きな要素がこれらです。
上方を見ながら身体を斜めにしている聖母マリアは、私たちには「動いている最中である」ように見えます。この動性は、さきほどの視線や腕の印象に引っ張られて、結果「上へ」動いているように見えます。(青色矢印)。
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次に、マリアの周りです。図2をご覧ください。
聖母マリアの「上昇感」は彼女一人で作り出しているわけではなく、周りから無数の援護があって成り立っています。
プットたち(有翼の赤ちゃん天使たち、時に絵画内で「イワシの大群」的存在)のたくさんの視線とポーズは、上への方向性、あるいはマリアへ向かう求心的な方向性を示しています。
例えば、
・黄色点線矢印は、視線、まなざしによる方向性です。
・黄色実線矢印は、ポーズ(腕、指、翼)によって作られた方向性です。
・赤色実線矢印の三人(図2では、右下角にいる三人目は一部のみですが)は、目線こそ外していますが、その身体においては斜めのマリア向きの大きめの方向性を確かに作っています。特に、下の二人(P1、P2)がその身体で作る、マリアへ向かう斜めのベクトルは、全体図を見ても視認しうる、存在感ある大きさです。
本当は雲の中には無数の顔(天使たちの顔)があって、その視線はマリアへ向かっています(図2のP2の上あたりをよく見ると、まるで心霊写真のように顔がたくさん浮かんで見えてくると思います)。
(2)上昇感:下の人々
飛んでいくマリア様を下から見上げる使徒たちです。
図3 (★、筆者によるトリミングと色調加工あり)
「上昇感」を表す上向きのベクトルは、どれでしょうか。
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たくさんあります。
以下、確認していきます。
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図4をご覧ください。
まず、視線と手です。
たくさんの細かなベクトルが上を向いています。
・黄色点線矢印は、視線、まなざしによる方向性です。ほとんどの人が上を見上げています。
・白色中抜き矢印は、手のポーズ(腕、手、指)によって作られた方向性です。身を乗り出す、腕を大きく振り上げるなど、大仰な身振りが目立ちます。
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図5をご覧ください。
前景に位置する四人は身体を斜めにしており、画面下部におけるマリアへ向かう上方かつ求心的な方向性を決定付けています(黄色矢印と黄緑矢印)。
この集団の中で最も大きい面積で描かれ、また身振りにおいても最も目立っているのは、右側の赤衣の使徒です(黄緑色矢印)。
彼のポーズを真似てみて下さい。
何か気付かれたことはあるでしょうか。
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実は、あなたは今、聖母マリアと同じポーズをしています。
あなたは今、聖母マリアと、ほぼ同じポーズをしているはずです。
両腕を上げ、手のひらを広げ、顔は上を見上げます。右足は後ろに残し、左足が一歩前へ出るようなポーズです。
画家は意図的にこの使徒に聖母マリアと同じポーズをさせており、しかも、前後が逆になっていてまるでマリアの「裏返し」のように描かれています(聖母が前から見た姿、使徒は後ろから見た姿)。
・・・余談ですが、彼の左足のすぐ横に、ティツィアーノの署名「TICIANVS」があります(この時代の署名の「U」は、ほぼすべて「V」で記されます)。マリアのお墓の石に彫られているかのようにして、描き込まれています(図6)。
図6(★、筆者による加工あり)
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黄緑色矢印の赤衣の使徒は肘をのばしていて、その点は聖母マリアとは異なるのですが、一方で、彼の周囲の何人もの人たちは肘を曲げています(図7、緑色の楕円)。
図7(★、筆者による加工あり)
聖母マリアの肘を曲げるポーズは、このように別の使徒たちによって繰り返されています。これらは、画面の上下を呼応させる役割を果たすと同時に、作品全体にリズミカルな動きを与えています。
とりわけ緑色点線楕円の腕(図8)は、画面の中心軸上にあり、マリアの真下で、青白い空を背景にして黒々しい輪郭をいっそう際立たせつつ、その形をこれ見よがしに繰り返しています。
図8(★、筆者によるトリミング加工あり。オリジナルの色調。)
3.「構図」の工夫を知る
上昇感を生み出す仕掛けは意外と普通というか、「な~んだ意外と単純だな」と、思われるようなものだったかも知れません。
しかし、その効果を最大限に発揮させるために、さまざまな構図上の工夫があります。
構図が、幾何学的図形の性質を用いて、極力シンプルに仕上げられているため、これまで見てきたような一つ一つの細やかな「上方ベクトル」が全体として大きな効果を生み出しています。
以下、構図の工夫を紹介いたします。
(1)円と四角形
図9をご覧ください。
構図としては、まず、上の円と下の四角形の二分法が認められます。
上にあるのは大きな円で、聖なる世界、天界を表します。自然界の青空を照らす太陽光ではない、黄金色のまばゆい特別の光が輝く世界です。
天上界の父なる神、聖母マリア、プットたちがいます。
円の中心にあたる位置には、ちょうど聖母マリアの顔があります。マリア一人が円の中で特別に際立っています。
下にあるのは横長の長方形で、その幅は画面全体の横幅と同じです。
世俗の世界、地上の世界を表します。
人物たちの顔やポーズは多くが逆光のように暗い影になっています。
ここに集うのは使徒たちです。四角形は彼ら群衆の一団で作られています。
このように二つの世界が対比的に描かれています。
その間にあるのは地上の空とつなぎモチーフ(赤衣の男の振り上げた腕、一番下にいるプットの足)のみです。
この作品は、教会の主祭壇に設置される巨大な祭壇画(縦7m弱)なので、遠くからでもその意味内容が明瞭に判別できることが期待されていました。
円と四角形という単純な幾何学図形を用いて、上下に分けられた、聖母マリアの際立つ、シンプルな構図が選択されているのは、その方が、遠くからでも分かりやすく、視認しやすいからです。
そしてまた、このように構図全体をシンプルに仕上げておくと、「上昇感」を伝えるための細やかな仕掛けに目が届きやすくなります。簡潔な構図の方が、観者の側に、それらを仔細に観察する余裕が生まれるからです。
この単純明快な構図は、「上昇感」をしめす無数の小さな演出が効果的に力を発揮できるように下支えをしています。
(2)赤の三角形
再び全体図です。
構図上、大きな三角形があります。
どこでしょう。
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↓
↓
答えです。
赤を繋ぐと、大きな三角形が現れます。
円と四角形で完全に断絶していた二つの世界を繋ぐ、重要性の高い三角形です。かなり縦長の三角形です。そしてその三角形の指し示す先に、聖母マリアの最終目的地となる「父なる神」がいます。
縦長のこの二等辺三角形も、上へ向かうベクトルを作り「上昇感」に貢献しています。これは、指摘されないと気付かないほど目立たないかもしれません。しかし画面の中心にどっしりと置かれている、全体を統括する大きな「上昇感」です。
4.まとめ
まとめます。
聖母マリアが天空に上昇してゆく「上昇感」をつくっているのは、聖母マリア、プットたち、下にいる群衆たちなど、さまざまな人たちの、視線とポーズでした。
そのたくさんの小さな「上昇感」モチーフ効果を最大限発揮させるため、作品全体としては簡潔な幾何学的構図が選ばれていました。
また、赤の色彩を用いた、隠された「大きな縦長の三角形」も、上昇感を作り出すことに貢献していました。
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最後に、ティツィアーノ工房作の、別の聖母被昇天作品と比較してみます。
ティツィアーノ本人が左、ティツィアーノ工房(あるいは単なる追随者・模作者)が右です。
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「模倣しているけど・・・。え、なんか全然違う。。。」と、
感じることが出来ると思います。
全体構成も、一つ一つのモチーフも、かなり模倣しています。
しかしながら、上向きの視線とポーズをたくさん入れ込んだからといって、素晴らしい上昇感が自動的に生まれるわけではない、という例です。右の作品には、入念に考え抜かれた「構図」による下支えがありません。
全体的に見て、左側のティツィアーノ本人の方が「構図がカチッと決まっている」「巧みである」、右側の方が「なんかユルい」「稚拙である」と感じることが出来たら、かなり構図の見方が出来てきていると思います。
(好き嫌いは、また別の話です。)
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。