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学校について|そこだけがすべてじゃない。
「今日休んでいい??」
「学校行きたくない」
最近こんな言葉が頻繁に出てくるようになった子ども。
何かあったのかな?と思い、よくよく話を聞いたけれど、いじめに遭っているとかそういうことではなさそう。
学校に部活に塾。
体力的にも疲れてしまうよね。
さらにそこには思春期特有の人間関係の難しさ。
友達や先輩、親との関係。
心も体も大きく成長する時期ゆえの大変さ。
自分で自分の成長スピードについていけない部分もあるんだろうと思う。
「お母さん、仕事だけど休んでもいいよ。
決めたら学校に連絡するからLINEして〜。」
と言うと、
「え?いいの!?」
なんて言いつつ、準備してちゃんと行っている模様。
(私の方が先に出勤する)
GPSで確認すると学校の位置でピコンとしていると、頑張って気持ち切り替えたんだなぁと思う。
大人だって仕事に行きたくない日はある。
なんなら有給を使って友達とランチに行ったり、ひとりの時間を確保したりする。
子どもにも有給があったらいいのにと思う。
年10日くらい。自由に使える休み。
それで救われる子ってけっこういるんじゃないだろうか?
友人たちの子どもも不登校だったり、保健室登校だったり。
みんな悩んでいる。
うちの子はたまたま学校に通えているだけ、そんなふうに私は考えている。
この先、どうしても行きたくないとなったら、私はその選択を受け入れようと思っている。
というか、受け入れるしかない気がしている。
もちろん葛藤はあるだろうが。
やりたいことを見つけられたら素敵だし、
やりたいことを見つけられなくても、
最終的に自立できたらそれも素敵だ。
ひとつだけ思うのは、
学ぶことをやめないでほしいということ。
はじめのうちはエネルギーがからっぽだろう。
傷ついてかなしくて。
心がとても疲れてしまった時は、何も興味が湧いてこないと思うし、好きなこともわからないと思う。
だから、エネルギーが回復するまでしっかり休んで、ちょっとでも元気になってきたら、なんでもいいから学んでほしい。
この学ぶっていうのは、
国語、数学、英語みたいな学校の勉強だけを指すんじゃなくて、なんでも。
本を読んでもいいし、好きなことでもいいし、興味のあることでもいい。
「学ぶことは選択肢を増やすこと」
私自身はそう考えていて。
まだまだ学歴重視の社会だし、学歴があるというのはそれだけ勉強を頑張ったひとつの証でもあると思う。
そんな中で学校に行かないという選択をわが子がした時、今の社会で生きている親にとってはものすごく大きな動揺と不安が沸き起こるだろう。
実際にママ友と話しているとその不安がひしひしと伝わってくる。
もっとひとつの箱に押し込めないで、子どもが自由に勉強したり安心して過ごせる環境になったらなぁなんて。
小学校高学年になったら、大学みたいにクラス単位で過ごさないとか。
行事面とかで問題が出てくるのだろうけど…。
私自身、小中と学校が大嫌いだった。
みんなで同じことをしないといけないことや人間関係の微妙な緊張感、息苦しくてしかたなかった。
それでも通い続けられたのは、当時は不登校なんて概念はほとんどなく、具合も悪くないのに休むなんて許されなかったからというだけに過ぎない。
子どもの頃は学校が生きていくすべての世界のように思っていた。
でも、本当はそこは小さな小さな箱で、そこ以外にも生きていく場所はある。
それを自分の子どもにもよく話す。
「そこだけがすべてじゃないんだよ」って。
すべてのこどもが幸せに生きてほしいなぁと思う。
誰かに故意に傷つけられたりせず、自由に教育が受けられたらと願っている。