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好きな服を着ること、服で自分を表現すること
友達からアンケートが回ってきた。
その友達は衣服についてコミュニュケーションの観点から考察する卒論を書いている。
私も興味があるから、そういう観点で卒論を書けばよかったなあなんて思いながらアンケートに答えていた。
たった数分で終わるアンケートだったけれど、回答しながらいろいろ考えされられた。だから、考えたことを少しだけ書いてみようと思う。
好きな服を自由に選んで着れてる?
それは私にとって当たり前のようで、当たり前ではないことだ。きっと多くの人がそうだと思う。
私は服が大好きで、ネットで服を見る時間も、店で服を見る時間も、その日のコーディネイトをあれこれ考える時間も、好きな服を着て出かける時間も、どれもワクワクする。
だけど、いつでもどこでも好きな服を着れるわけではない。
お金がなくて好きな服を買えないこともあるし、体型のコンプレックスがあって好きな服を着れないこともあるし、相手や場所によって好きな服を着ることを控えることもある。
好きな服を選んで着れる、それって決して当たり前ではないし、一見自由に思える服を選んで着るという行為は、きっといろんな制限を受けているのだろう。
中でも私が一番不自由に感じるのは、他の人からどう見られるかを気にしなければならない時だ。
私はストリートファッションが好きで、オーバーサイズのだぼっとした服を好んでよく着るのだけれど、そうした服はだらしない印象を与えやすい。母からは「だらしなく見えるからもっとサイズの合った服を着れば?」と言われることが多い。以前元彼に、「太すぎるパンツはあんまり似合わないよ」と指摘されたこともある。
好きで着ているだけなのに誰かに何か言われることは、私にとってすごく苦痛だった。だから、私の普段のファッションを知らない人や理解がない人に会う時には、できるだけ綺麗めな女の子らしい服を着るようになった。
そうやって、誰かの目を気にして好きな服を着ることを諦める自分が少し嫌いだ。
ファッションで自己表現?
私はファッションを通して自分らしさや個性を表現したいという思いが比較的強くある。昔から人と同じことをすることが嫌いだったことがファッションにも表れているのかなと思う。
でも、みんながみんな私のようにファッションで自己表現をしたいと思っているわけではないのではないか、と考えるようになった。
服に興味や関心がない人たちは、ファッションを自己表現の手段とは考えていないのかもしれない。
みんなと同じでありたい人や目立ちたくない人たちは、意識的に自分らしさを出さないファッションをしているのかもしれない。あるいは、周囲と同じような服を身につけることが、その人たちにとっての自己表現なのかもしれない。
私は服で人を判断してしまう悪い癖が以前からあったけれど、こうして考えるようになってからは随分と意識が変わった。
「なんでみんなして同じような服を着ているのだろう。」
「なんでもっと自分らしさを出さないのだろう。」
大学で似たような服を着ている人たちを見るたびにそう思っていたけれど、そうじゃなかった。
みんなと同じような服を着ることも立派な自己表現だ。周りと違う服を着ることだけが自己表現ではない。
みんなと同じような服を着ているからって、個性がない、こだわりがない、そうやって決めつけていた私は、人と同じことが嫌だという自分の考え方を、正当化したかっただけだったのだろう。
好きな服を着よう。それがみんなと同じような服だって、全く違う服だって、自分が良ければそれでいいんだ。
友達の卒論のアンケートでこれほど考えさせられるとは思っていなかったから、友達には感謝している。
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