私は小説を読めない。
私は、小説を読み進められない。
それなのに、図書館司書の資格を持ち、一日一冊は本を読み、日々、書評を書いている。なんなら、選書サービスをこれから始めようとしている。量でいえば、それなりに多読家だ。
にも関わらず、小説はほとんど読まない。読めないのだ。
子どもの頃から学生時代、20代の前半はむしろ熱心に小説を読んだ。夏目漱石や芥川龍之介、向田邦子、吉本ばなな、江國香織にはかなり夢中になった。
しかし、ある時期から、小説をぱったり読まなくなってしまった。
理由は単純で、社会人になって数年たち、仕事が猛烈に忙しくなったからだ。
現実世界をどうにかしなくてはならない状況により、ビジネス書やエッセイに救いをもとめた。
それ以来、ほぼまったく小説を読まなくなった。
とはいえ、食が好きだから、小川糸は読んだ。
本当にそのくらいだ。
独立したある日、書評案件で小説に関する依頼が来た。久しぶりに、期待をこめて、とある大きな賞をとった小説を読み始めた。
ところが、全然進まない。
それはびっくりするくらい、読み進めることができなかった。
興味がわかないのだ。わかないから、読めない。読めないのだ。
これは本を扱うものとして、致命的ではないかと悩んだが、仕方がない。
それからは、潔く小説はお断りして、基本的に実用書中心の書評のみを書かせてもらっている。
かといって、ファンタジーや絵本は読める。むしろ進むし、好きだ。
そして、虚構の世界とはいえ、ドラマや映画は、また少しニュアンスが違う。演者の性格や人生が、役と一緒に味わえるから、これはまた別の話だ。
つまり、文字で追うところの日常的な世界観をベースとした、小説の世界がすっかりだめになってしまったのだ。
世の中には、おもしろい小説が絶対あるはずだ。過去に、何度もめぐりあった。でも、人にはそれぞれ、生きているタイミングでできた軸や、興味のポイントというものがある。
40歳を過ぎた私は、どうやら現実世界と、いまを生きる人や物事に興味があるらしい。
いま、現在をどうするのか、どうなのか、どう生きているのか。
私はそういう本を偏愛している。
だからこそ、オールジャンル完全なる多読家ではない、同じような傾向を持つ人たちに向けた選書サービスを、もうじきスタートする予定だ。
※【女性限定】「働く女性のための選書サービス」“季節の本屋さん”を、3/10より開始します。詳細は、HPのServiceをご覧ください。