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多様性、何事もないように平然と笑顔で耐え抜く生き方。

多様性って言葉を最近耳にする。
みんな違って当たり前。理解できないのも当たり前。
理解できる人が理解してあげればいい話。

【多様性とは】

様々な社会、民族背景、異なる性別、性的指向など、それぞれの人々が持つ多種多様なバックグラウンドのこと。
個人の違いを認め合い、尊重し合うことも指し、一言で定義するのは難しいとされている。

【私が考える多様性】

社会では大きな違いだけクローズアップされて問題にされがちだが、この世の中は異なるものだらけで自分と同じ人間なんて誰一人としていないのだから、認め合えなくて尊重できなくて当然っちゃ当然である。

人間は個人の好き嫌い、正しいか誤りか、損か得かで物事を考えて判断する。
この個人の趣味嗜好を変えるのなんて無理なのだから、自分で同じようなバックグラウンドを持った人達を探して繋がるか、自分で居場所を作るかしかないと思う。

むしろ社会で取り上げられている多様性の人達は分かりやすく主張してるから仲間を見つけやすいと思う。仲間とデモもできて、強気に市や県や国に訴訟も起こせる。自分の正しいや趣味嗜好を拒否されたら「人権が〜」「多様性が〜」って。

私は世間では分かりにくい社会不適合者だ。
周りには明るいキャラでいるが、蓋を開けてみたら機能不全のアダルトチルドレン、ADHD、友人の自死、性的被害にたくさんあって男性不信、社会では女性から虐められて女性不信で長年生きてきた。
心の安全基地がどこにもないのだ。孤独だった。

自分と同じ経験をし、同じ傷を持ってる人を見つけるのなんて至難の技だ。
理解してくれる人や居場所がないと感じたから自分で作るしか道はないと思った。みんな何かしら違いや生きづらさを抱えて生きている。
そんなもんだ。

今まで一人だけ私の闇に気づいて助けてくれた人がいた。
よく分かったなって思う。
私は殆どの人から明るく笑ってて悩みなさそうと思われがちなのに私のバックグラウンドを汲み取って私が一番ほしい言葉をかけてくれた。
そんな人と出会えた喜びは凄まじい。神様かと思った。

主張せず何事もないかのように平然と笑顔で耐えて生きている人もいる。
私はそう生きていきたいし、そんな人のバックグラウンドに気づける人でありたい。

血を流さないと倒れないと泣かないとその人の心の痛みに気づかない鈍感な人が多い中、血を流す前に倒れる前に泣く前に気づいてそっと傷を癒せる人になりたい。





#多様性を考える

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