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手術から10年。MECFSから8年。

2014年12月9日8時間の手術を終え、39針の傷と矯正された背骨が誕生した。おめでとう背骨。ハッピーバースデー。

一瞬でも動くと、お尻から頭まで突き上げるような激痛。フェンタニルも使っていてもおさまることがない痛みは想像を絶し寝返りも首をあげることも、びくともしない体。

介助で起き上がったときの自分の体の重さは、今まで経験したどのアトラクションのGよりはるかに重く、ここまで手術の影響が強いのかと衝撃をくらった……。

10年たった今でも手術の衝撃は記憶に残っている。
あれから10年。昔々のようで、この前のような、腐るほどいろいろあったけど「濃厚なのに時間が止まっていた」そんな不思議な10年だった。


1年目

1年たったときに書いた日記を読むと今でも涙が出てくる。

1日で何もできない体になって、這い上がるしかなかった。

何を失い、何が足りないのか。
何ができるようになれば元の自分に戻るのか。

気が狂いそうにならないように、ACIDMANのライブまでに回復するぞと歩くのもままならないのにチケットをとり、目標をたてながら動き続け8ヶ月後に仕事復帰までこじつけた。

一つ一つの回復にうれしくなる日々。

2年目

少しずつ体力も戻り、仕事もフルで働き、キャンプしたり、ドライブに行ったり遊びの幅もどんどん広がっていった。
体が動くことが、楽しくて仕方がなかった。

3年目

生活がすべて戻ってきたところで原因不明の病気を発症。
なんなんだこの体……と謎でしかなかった。
心が無になりながらも、楽しそうって思ったことを楽しいに変え、心がすり減りながらも自分と向き合い、右往左往しまくった。

腐らないように我武者羅に生きていた。

4年目

数ヶ月休んで回復しても1日で元に戻ってしまう現実。

もう無理か…と看護師を退職した。
個人で何かできないか、今の自分の病気は何なのか模索しながら動きまくった。
が……立ちつづけると下肢の痛みが出現する。
自分のペースを守るだけで難しく、少しずつ症状は悪化していった。

何かできることはないか。
どこまで無理はできるのか。
ここまでしかできないのか。

不安と希望との繰り返し。
それでも、未来の自分を信じてすごしていた。

この一年で歩ける距離は半分になり、
無理して出かけると、
2~3日ほとんど横になって過ごさなければ回復しなくなってきた。
こんな酷い状態の自分を人に見せたくはないし、
家族にさえも心配をかけたくない。

人、物、場所、仕事、やりたいこと
いろんなものへの縁は
人や自らの想いを大事にすることから
繋がっていくなと再認識した一年

まだ踏ん張りはきくし
まだ頑張れるはずと自分を信じて
少しずつでも、進んでいこうと思う。
今の自分に何ができるのか巡る日々は続く。
想像を越える未来を楽しみに。

5年目

雪道で転倒し大腿骨頸部骨折で入院。症状が強いのに無理して動くからそっちじゃないと神様に言われてるかのような時間。
落ち着いて今をみて、もっとできることはないか考え富山に行ったり、骨折したことで繋がって1年半ぶりに看護師として再就職もできた。

「私は障害者なのか?」
見た目では何も分からない自分と、自分は普通じゃない感覚。
自分はなんなんだろう……その問いがずっとあった。

この病気で前例はなく難しいとされている障害年金。
「無理なのか……でも、こんなに辛いのにとれないほうがおかしい」
やってやろうじゃないか精神と通ればラッキーくらいの勢いで申請。

この申請が通れば、同じ病気の人のためにもなると希望もこめて。
きっと、多分、大丈夫!そう思いながら挑んだ障害年金を取得できた。

富山の医師からは「十分、障害者ですよ」と伝えられ、障害者手帳を申請できたのも含めて公的に認めてもらえたと安堵した。

9人もの医師にかかりながら診断されず、治療もない。症状で苦しんでるのに、あなたは病気じゃないと強く手を握りながら言われたあの医師の言葉から私はやっと救われた。

無理すると悪化することから、頑張らないことを頑張るを忘れずに、好奇心と探求心を大切に、今できることをやっていった。

6年、7年、8年、9年……

症状が徐々に悪化。長く立てなくなり、光や音、他愛もない会話でも体調が悪化し、低気圧や潮汐力の変化でも寝込むことが多くなった。

好きな音楽も、日常も奪われていく。

コロナ禍となり、すべてが止まった。
みんなが私の時間と同じになった。

その時間があったことで、私は逆に自分を保っていられたのかもしれない。
今思うと、音が少なくなった世界は私の体に優しかった。

やっぱりいつ何が起こるか分からない、動かないで後悔はしたくない。
ないことばかりに目がいくし、悪くなるのも怖いけど、ある意味今ならできるんじゃないか。今あることに目を向けて、できないことは、どうしたらできるかを考え向き合った。そして、そんな自分にワクワクした。

「いつか」を待っていたら私の「いつか」は無いかもしれない

行くことをあきらめていたライブに行ったり、公認心理師を受験したり、楽しそうだしやってみようと文字起こしや校正の仕事を手伝ったり、それが自信となり在宅での仕事に繋がった。

頑張らないことを頑張るって目標にしていたけど、頑張らないってめっちゃ無理して頑張ってたと気がついた。

「あるがままの自分で今を楽しんで面白がって生きる」をモットーに、無理はしない、けど今できそうなことへのチャレンジは繰り返し続けた。

そして、10年目

側弯症の手術から、何事も前にすすめば次に繋がっていくことを。
3年目からは、周りではなく自分の弱さと強さに向き合うことができた。

側弯症の後遺症として、背中のしびれも重さも変わらず、まだまだ疲れやすく日々のメンテナンスは必要だけど、毎日かかさなかった痛み止めは飲まなくなり、歩いているときの急な鋭い痛みが走ることもなくなった。

ここ1〜2年、体調のコントロールが前と変化し難しくなり看護師を退職し在宅の仕事も体力に合わせた働き方に変えた。人ともほぼ会わず、好きな情報からも意図的に離れ、負担になる要因を極力減らした。

思いっきり自分のからだのためにかじをきってすごしてみると、体調の波があるのは変わらないが、寝込んで数週間すごすことがなくなった。

いろんな情報から生活を抑えたことで、やっと今までの生き方はからだに無理をしていたんだと気がついた。

日々をこなして、できるが増えて、生きる範囲も広がっていくと、また悪くなるんじゃないかと怯えがでてくる。

起きた瞬間、吐き気と痛みと倦怠感に襲われ、スマホも見れば眩暈が悪化し、座っていることもままならない、そんな絶望ではじまる日々が、またくるんじゃないかって怖かった。

人と集まっていろんな話をするのが大好きだった。いろんな人が行き交い、混ざり、新たな何かが生まれるような、そんな人との繋がる楽しさをたくさん経験してきた。部活も職場も側弯症の手術後も私はそういう大勢の輪の中のひとりとしていることが多かった。

それは掛け替えのない思い出で、だからこそ、人と話すことで消耗し、情報が脳みそで処理しきれなくなり、その場にいることが耐えられなくなって、倦怠感と痛みでただ横になって生きるしかない、自分が自分じゃなくなっていく恐怖はずっと拭えなかった。

やっと気づけた。

今の自分はとてつもなくHPも少なく、変化にも弱く、回復も遅く、からだも脳みその負担も、ちょうどいいバランスで生きることが本当に大事なんだと、やっとこさ自覚できた。

珈琲を豆から淹れる時間。
料理ができる喜び。
花を飾り植物に水をあげるひととき。
ときどき好きなバンドのライブに行ける。

好きなことができる喜び。

そんな当たり前のことができなかった。
花に水をあげる余裕も、私には難しかった……。
コントロールできていれば、今を楽しく生きられる。
できるようになった今の自分がとても愛しい。

10年間、私は動けなかろうが、痛みがあろうが、眩暈があろうが、倦怠感でヘロヘロでも迷い悩みもがきながら、余白を大事に、ゆらいでもいいから中庸で中道に穏やかに生きようって意識しながらも、「今」そして「未来」に我武者羅だった。読んだだけでも全然穏やかじゃなかったw

まだまだ、もっともっとって、無理したくなる自分もいる。自分でコントロールできなくなる前に、申し訳ないと苦しくなりながら、人や情報と距離を取り体調を整えるけど、このバランスをとる行動は他人にとって我儘や不快とされ理解しがたい態度を取られたこともある……。

だけど、自分が頑張ればいいってずっと人のために生きてきて、病気になっても無理をして、やっと自分のことを考えて、自分を卑下せず褒めてあげられる自分になれた。

そんな、今の自分が心地よいし、そんな自分でこれからもすごしたい。

10年間たくさんの人と出会った。
そして、人や場所との繋がりがあるから今の私がいる。

偶然なのか運命なのか、あの日がなければ今はないと思えることが人生にはつまってる。それは悲しい出来事でも、何かに繋がっていく感じが面白い。

笑ったり泣いたり怒ったりあきらめたり、出会いと別れを繰り返しながら「あの瞬間、同じ時間をすごせたの最高だったなー」って思い出をこれからもたくさんつくりたい。

関わる人たちが健やかに笑って今をすごしてほしい。

そこに自分が少しでも関われるように、できることをやっていきたい。

これからも
人や場所と出会い、思い出を増やそう。
いろんな感情になる自分を面白がろう。

楽しみながら面白がって人生思い出づくりをしていこう。
今の自分のかたちで。

また、10年後。
ああー私の人生面白いって思えるように。

10年たって大事にしていること

・「ない」ことよりも「ある」ことに目を向ける
・自分を否定しない、いろんな自分も自分だと受けとめる
・自分も他人もジャッジしない 
・違和感を大切に、自分の感覚を信じる
・人生は分からない不思議な世界でできている、
 だからこそ面白がってなんぼで生きる
・その時々をちゃんと感じて、問い続け、動き続けることが生きること


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