「幸福度No.1」以外の魅力って?私にとってのフィンランドを考える
こんにちは、丹波フィンランド大使のpieniです。
私が初めてフィンランドに行ったのは2007年の夏。
当時勤めていた会社がフィンランドと関わりがあり、フィンランドへの研修に参加したことがきっかけでした。
私pieniは、現在「丹波フィンランド大使」と名のってフィンランドのお菓子を販売したり、地域の食材でフィンランド料理をつくり食べてもらうなど、自分の好きなフィンランドを知ってもらう活動を始めています。
しかし当初はフィンランドという国名を聞いたことがあるくらいで、どこにあるのか、何があるのか、何が有名なのかも知りませんでした。
正直に言ってしまうと、なんとなく素敵そうな国だけれどそんなに興味は持っていなかったのです。
ただ海外に行けるのが嬉しい。それぐらいの位置づけでした。
じゃあどうしてこんなにフィンランドが好きだと感じるようになったんだろう?
なぜ「何かつながりができるように取り組んでみよう」と動き出してしまうほど惹かれてしまったのだろう?
今回「フィンランド」というテーマで記事を書く機会をもらったので、ちょっと立ち止まって考えてみました。
初めて出会ったフィンランドは森とベリーとデザインにときめいた
2007年の夏、関空から空の旅をすること約9時間。白夜と呼ばれる季節にフィンランドの首都ヘルシンキにあるヴァンター空港に降り立ちました。
飛行機から降りて一番初めに感じたのは「空が広い、気持ちいい」でした。
ヘルシンキには日本のような山が無く、視界が開けていたのでそう感じたのかもしれません。
そこから落ちないか心配になってしまうようなプロペラ機に乗って、ラップランド地方の「ロヴァニエミ」へ。
ホテルにチェックインした後、第二次世界大戦で被害を受けたロヴァニエミの都市計画を行った、世界的な建築家「アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)」の建築物見学に行きました。
いま改めて記憶を思い出しながら調べてみると、ロヴァニエミはアアルトの『トナカイの枝角都市計画』という計画のもと、その地域で暮らす人とかかわりの深いトナカイの頭部をモチーフにした街づくりを行っているそうです。
見学したラッピアホールは、外観が波やラップランドの山並みのような流線形になっていたり、図書館は厳しい冬でも自然の光がたっぷり入る設計になっていました。それは、ロヴァニエミに住む人々の暮らしになじみが深く、自然を感じられるデザインになっているのだと教えてもらいました。
研修のメインの取り組みは、森でビルベリー(北欧のブルーベリー)を摘むことでした。
森に入ってみると、日本のブルーベリーよりはるかに小さい実が付いた低木の森が広がっていて、かがみながらベリーピッカーという道具でせっせと収穫するのです。
なんだか子どものころに、実家の田んぼで経験した田植えを思い出すような作業。
蚊がやたら多くて刺されるし、腰はいたくなるし疲れるのですが、終わった後の充実感が半端ない。
夜になっても沈み切らない太陽に照らされる穏やかな湖の風景を見ながら、サマーコテージで収穫したベリーを使ってジャムやパイを作って食べるという、今考えてもラッキーな研修でした。
このベリーに関しては「取りすぎない」「節度を守り譲り合う」「絶滅危惧種もしくは保護されている品種は採ってはならない」というルールを守れば、森に自生するものを自由に摘んで食べてもいいという「自然享受権」があると聞きました。
日本だと怒られてしまう(ヘタすると逮捕される)ことが権利としてあるのも、自然と近い暮らしができる理由の一つなのかなと感じました。
首都ヘルシンキでは再びアアルトデザインのカフェや、マーケット(市場)にスーパー、雑貨屋を見学しました。そこではおしゃれなんだけどなんとなくなじみやすい、どこか懐かしい、暮らしの中に溶け込みやすいデザインにふつふつとトキメキを感じたのでした。
仕事でふれるフィンランドは文化活動と教育に熱い国だった
日本に帰ってからも、会社が取り組む日本とフィンランドの友好を深めるプロジェクトのスタッフとして時々イベントに参加していました。
フィンランド・ロヴァニエミのサンタクロース村からやって来るサンタクロースに、京都や兵庫(丹波)の子ども達に出会ってもらう取り組みや、ラップランドに暮らす先住民族の「ヨイク」という伝統的な音楽と日本の伝統的な音楽のコラボレーションコンサートなど。
これらのイベントの手伝いをする中で、フィンランドでは自然と結びつきの深い文化活動が大切にされているんだと感じました。
また、フィンランドの教育についても講演を聞く機会があり、当時は日本で受ける教育とかなり違いがあったことに驚きました。
例えば、集中力をあげるために1週間海賊になりきって(服も海賊になりきる!)授業をするなど「そんなのもありなんだ!私も受けてみたいな〜」と思うような楽しさを感じました。
再び訪れたフィンランドは時間が経つのが遅く感じる国だった
2回目のフィンランド訪問は2015年のこと。今度は観光目的でヘルシンキを訪れました。
夏至の時期だったので、遅い時間まで外が明るく、カフェのオープンテラスでゆっくりコーヒーを楽しむ人々を見て「優雅だな」なんて思った記憶があります。
この旅ではスウェーデン、エストニアとフィンランドの3か国を巡ったので、フィンランドに滞在するのは2日間だけでした。行きたいところを詰め込んだので慌ただしい旅になるかなと思いきや、予想以上にゆっくりとした時間を過ごせたのが今でも不思議です。
マーケットでにぎわう広場からフェリーに乗って約15分。世界遺産の「スオメンリンナの要塞」はさびれた大砲が点在しつつも、生き生きとした緑がまぶしい草木の中に、菜の花のような黄色い花があちこちに咲いていて「天空の城ラピュタの世界に来たの?」と思うほど。不思議だけど穏やかな時間が流れていました。
子ども達が要塞の穴の中で絵をかいていたり、海辺で日向ぼっこをしている人がいたり、そんな風景を見ているといつの間にか自分たちも草むらに座り、何を話すでもなくただぼーっと海を眺めてゆっくりしていました。
観光スポットとして有名な、天然の岩をくり抜いてつくられた教会「テンペリアウキオ教会」へ行ったときもそう。
観光客は多かったのですが、自然の岩がそうさせているのか、教会という雰囲気がそうさせているのか(はたまたその両方か)ここでも静かにゆっくりとした時間が流れていました。
スオメンリンナの時とおなじくぼーっと過ごしてしまう。
マーケットもにぎわってはいたけれど、京都の錦市場や金沢の近江町市場のような商売熱気にあふれる感じではなく「気になったら見て行ってちょうだい」と、いい意味でほっておいてくれる雰囲気が心地よかったです。
総合的に、何に惹かれたんだろう?
短い期間でも現地を体験してみたり、日本でフィンランドの文化に触れてみたり。その中で惹かれていったものはどこにあったのだろう?
世界遺産紀行で見かけるヨーロッパの教会にみられるステンドグラスのような華やかさでもなく、ラスベガスや香港の輝くネオンのようなきらびやかさでもない。
ただただ広い空の下に緑の芝や草の絨毯が広がっている。
実は遅い時間なんだけれど、子どもや犬と散歩をしている人や、ベンチに腰掛けて日光浴をする人、アイスクリームを食べている人などを見て、なんだかワクワクする気持ちと嬉しさを感じていました。
そのとき何が嬉しかったのだろう、と考えてみたのです。今言葉にしてみると「え、こんなに縛られなくてもいいの?」という私の中には無かった「自由」を感じていたのかもしれません。
もちろん、フィンランドの人だって仕事も家庭もあるだろうし、厳しい冬の期間だってあります。いやいや日本にいる私たちが思っているほど自由だったり憧れの国じゃないわよということもあると思います。
けれど私の中では、子どものころ何にもない田舎の田んぼの中で遊んだり、祖父母に教えてもらった食べられる野草をかじって酸っぱかったり、つつじの花の蜜を吸って甘〜いと喜んだり。
そんな子ども時代の「無邪気で自由で、心地よかった記憶」と「フィンランドで体験した時間」が強烈にリンクしてしまったのだと思います。
大人になるにつれて忙しくなったり、便利さ、スマートなかっこよさなどに憧れて忘れてしまっていた自然との過ごし方。
フィンランドではサマーコテージで夏を過ごしたり、森に入ってベリーを摘んで食べたり、デザインや建築にまで自然の心地よさが取り込まれていたりと、自然とともに生きている感覚が身近にあることが「うらやましかった」のかもしれません。
または自然と生きていいんだよと「許されている」と感じたのかもしれません。
自分の「好き」を感じる気持ちを深堀してみると見えるもの
今回「なぜフィンランドに惹かれたの?」この気持ちを深堀してじっくりと感じてみました。
私は「子どものころに体験した自然の中で過ごしてワクワクする気持ちを今も感じていたい。」「フィンランドで体感したゆっくりする時間や自由を感じている時間を作りたい。」
そんなことを求めているのだなと分かりました。
そしてこれは日本でも、今住んでいる場所でも出来ることなので、意識して取り組もうと思っています。
自分の「好き」を感じる気持ちを深堀りしてみると、新たな心に気が付くことがあります。
皆さんの「好き」なことにも、無意識に求めていることが隠されているかもしれません。
それを感じてみると、自分の人生を大切に生きていくきっかけになると思います。
時には少し時間を取って、自分の「好き」にとことん向き合ってみてはいかがでしょう。
Text by pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)