フィンランドの先生にならって“クリエイティブに”Zoom新人研修をやってみたら、働く目的が見つかった話。
「クリエイティブ」という言葉からイメージする職業はなんでしょうか。
アーティスト?デザイナー?モノを作る人?
「先生!」と答えたあなたは私と固く握手をしましょう。
今回は先生という仕事に関する体験談と、それによって自分の仕事観が少し楽になったお話をしたいと思います。
「先生はクリエイティブ」なフィンランド教育
ある本を読んでいたら目にとまった一文。
「仕事の中で好きなことは?」
「(中略)この仕事は自由が利くでしょ。自由に自分の教えたいやり方で教えられること。自分のやり方次第でいかようにもクリエイティブでいられることが一番好きなところじゃないかしら」
そう答えた彼女の職業はフィンランドの学校の先生でした。
私の母親は中学校の国語教師でした。親戚も小学校の先生や校長先生ばかりという教員一族。みんな、生徒の成長という大きなやりがいを持って働いていました。
でも一方では、家に帰ってからも授業の準備があり土日は部活顧問やPTAとのお付き合いの日々。横から見ていて「自由度の少ない仕事なのかも」と感じていました。
どんな縁なのか、今は私も企業で社員教育を担っています。
そこで耳にするのは、「社会人ならこれを知っておかないと」という言葉。論理的思考力、プログラミング、相手に伝える力、マネジメント力…、大人になっても「学ばないといけないこと」が課せられています。
「先生」が教えるべきことは定められていて、自分の創造性を入れる余地は少ないと思っていました。
そんな私にとって、フィンランドの先生が「クリエイティブでいられる」という表現は目から鱗。フィンランドでは、教育のガイドラインは国が定めていますが、教え方や教科書の選定まですべてその学校や教師の裁量に任せているそうです。
そして2021年の春、私は自社の新人研修を任されることになりました。
このチャンスに私は試してみることにしたのです。
先生は本当にクリエイティブになれるのかを。
新しい教え方!オンライン80人でのコミュニケーション研修
今年の4月の新人研修はただでさえ前代未聞の状況でした。例年のように集合ができないので、80人の新人を11拠点に分け、Zoomをつないで数日間おこなうことになったのです。
特にコミュニケーションの教え方に悩みました。挨拶・敬語・報連相といった対面ならではのスキルをオンラインでどう教えればいいのか。
今までの対面での教えかたは通用せず、新しい教えかたを「創造」しなければいけません。
「新人たちが配属先の人たちと上手くやれるようにするためには…?しかもできたら楽しく学んでほしい…」私は2カ月にわたり試行錯誤しました。
最終的には、各拠点に1名ずつ社員を置き、こちらからのオンライン研修とその会場でのオフライン研修を組み合わせることに。例えば挨拶の研修は4つのステップでおこないました。
1.動画で間違い探し
まず動画で挨拶のNGシーンを見せて間違いを探させます。声を掛けられるまで挨拶しない、指摘されると言い訳するなど「新人あるある」な場面です。ここで正しい挨拶の知識を再確認します。
2.実際にやってみる
次に、動画のシチュエーションで自分ならどう挨拶するのか、会場にいる社員に向かって挨拶してもらいました。動画に対しては指摘できても自分がやるとなると話は別。新人たちは緊張の面持ちで、でもしっかりと声を出して「おはようございます!」と挨拶していました。11拠点でそれぞれ挨拶している様子がZoomの画面いっぱいに映し出され、おたがいの様子に新人は興味津々です。
3.社員からアドバイス
新人の挨拶に対して社員がフィードバックをします。「その大きさはいいね」「実際の現場ではみんなマスクをしているから声で表情を出そう」。配属先で良い第一印象を与えられるようにとリアルな助言をします。
4.全国の同期とシェア
最後はオンラインを通じて感想を全体でシェア。関東の人はハキハキ話すタイプですが、九州ではゆっくり話す方が受け入れられやすいなど、話し方には土地柄も関係しているようでした。
私たちは「学びは大変」「仕事はしんどい」に慣れ切っている
この研修中は、新人たちは緊張もあれども最後は笑顔も見えていました。
私も、オンラインとオフラインの組み合わせに挑戦し、「教え方を考えるの楽しかった!少しはクリエイティブな仕事ができたかな」とうれしくなったり。
社員からも好意的な感想が寄せられましたが、ただ、気になった意見もありました。
「もっと難しいことを教えたほうがいいんじゃないか」
NGシーンの動画は従来の対面学習ではなかった要素でした。それが簡単すぎたりゲーム感覚のように捉えられたようです。
でも、難しい知識をいくら教えてもコミュニケーションは実践できなければ意味がありません。実践しようと思えるには、受講者にとって研修が楽しかった経験として残るのが一番です。楽しかったからこそやってみようと思えます。
「大変」「難しい」ことが良いとは限らないじゃないかと苛立ちさえしました。
でも、ふと「仕事でも同じかも?」と気づきました。
私は「仕事がしんどい」「やることが多い」と不満を言いつつも、でもなんだかその働き方が正しい気がして「仕事はしんどいものだ」と納得してなかっただろうか、と。
本当は豊かで幸せに生きたいのに、目の前のしんどい仕事を当然として受け止めている。これはなんという矛盾でしょうか。
目的と手段を入れ替えない。手段さえ楽しく
この矛盾はどこからくるのか?先日、エラマプロジェクトのオンラインサロンで参加者と話をしていた時、ある人がこう言いました。
「日本の教育は目的と手段が入れ替わってるよね」
それです!!
私は「新人が配属先の人と仲良くなれる」を目的として研修を組みました。その目的にたどり着くにはNGシーン動画が効果的だと考えたし、そこに「難しいことを教えなければ」という思考は入りませんでした。目的さえズレなければ手段は楽しくていいと思ったのです。
でも、日本の学校で教えられたことや今の社員教育では「目的はともかく知っておくべき」という手段ばかりが先行しているように感じます。その結果、目的がはっきりしない不安を「学ぶことは大変なものだ」とすり替えているのかもしれません。
子どもが「何のために勉強するの?」と尋ねるのは、勉強が手段にすぎないことをちゃんと感じ取っているのではと思います。
私も目的を定めず働いている不安を「仕事はしんどいものだ」と正当化していたかもしれません。もしも今、「何のために働くの?」と聞かれたら。
「現実には自分にはどうしようもない大きな流れがある。でもその中でも、自分らしく豊かで幸せに生きていけるようになるためだよ」と言いたいです。
そしてこの目的を忘れずに、目の前の仕事も自分の幸せに続く道にしていきたいと思うのです。
今回は、従来の社員研修に、オンラインという新要素が入ってきたことで今までの当たり前を見直しました。そこで得た「手段と目的の入れ替わり」という気づき。これは、私の仕事観をも見直すきっかけになりました。
実は、フィンランドにもDoingよりBeingを大切にするという考えかたがあります。何をするか(=手段)より、どういたいのか(=目的)ということ。何度も耳にしていましたが、ようやく本当の意味で少し分かりかけてきたのかもしれません。
そして最初に持っていた「本当に先生はクリエイティブになれるのか」というクエスチョン。今は「なれる。なりたい」と答えます。
私にとって先生とは、学びによって人がより幸せになるお手伝いをする人。
そして先生の創造性とは、その目的をずらさず、従来のやり方に縛られず、より楽しく身につく学びかたを生み出すこと。
生き方においても「こう生きたい」を忘れない。そして、そのための「やらないといけないこと」さえ楽しくなるよう工夫できる人になりたい。そう思います。
「なんで勉強するの?」
「なんで働くの?」
こう聞かれたらあなたはなんと答えますか?
今までの自分の答えを見直す時かもしれません。
自分にとって学ぶ目的や働く目的とはなんなのか?その先にあなたらしい幸せな生き方があることを願って。
Text by ひらふく(おとな教育の実践人事)