「自分を好きになろう」と頑張るのをお休みしてみた。
こんにちは!ライターのひらふくです。
最近何回かつづけて「セルフラブ」という言葉を耳にしました。
意味は「ありのままの自分を認めて愛すること」。2021年に化粧品メーカーの「THE BODY SHOP」がキャンペーンをしたことで日本でも広く知られはじめたそうです。
でも、この「ありのままの自分を認めて愛する」ということって難しくないでしょうか?
本屋さんに行くとそのテーマの本が何百冊と並んでいますよね。私も中学校のころから今まで何冊も読みました。「自分を好きになる」を新年の目標に掲げたこともありました。
なのに、いまだに自己嫌悪で落ちこみがち。今日は自炊をしたぞ!と自分をほめる日よりも、今日は本を読まずにスマホばっかり見ていたな…なんて後悔する日のほうが多いです。
これでは「私のことが好き!」なんて到底言えません。自分を好きでいたいのに、それを目指すからこそ好きになれない自分が目についてしまうのです。
今回はそんなジレンマに疲れていた私が「自分を好きになろう」をやめてみたお話です。どうなったのか、ぜひお付き合いください。
きっかけはエラマの対話
エラマプロジェクトのテーマのひとつに「自分を見つめること」があります。マイタイムという自分のための時間をとったり、オンライン講座で気づきをもらったり。
エラマメンバー同士の対話でも固定観念が変わることがあって、今回もそんな出会いでした。
「自分に対して、好きとか嫌いとかないんですよね」
この言葉が飛び出したのは、本筋からはなれた雑談のなかで自己肯定感の話題になったときでした。
自己肯定感という言葉はいろんなとらえかたがありますよね。私にとっては「自己肯定感=自分を好きな気持ち」だったので、そもそも自分を好き/嫌いという発想がないということは、根本からちゃぶ台返しにあったような驚きでした。
「自分を見るときは、『こんなとき自分はこうするんだ。へ~おもしろい』とおもしろがってます」
自分に対して好き/嫌いではなくて、おもしろいかどうか。
そんな見方なんてしたことがありませんでした。好き嫌い論に疲れていた私は新たな希望を感じたのです。
かばんを置いて街に出よう
とはいえ、日常の忙しさの中では発想を変えられるような心の余裕なんてありません。そこで、日曜日に3時間だけ散歩にでて、非日常の中で、自分をおもしろいと感じられるか試してみることにしました。
そこで、自分でもびっくりしたのですが、ふと「かばんって要らないな」と思ったのです。
携帯電話と家のカギとお財布があれば最低限は大丈夫。最近は電子決済がふえたのでお財布も薄くなってコートのポケットに入ります。かばんは一切もたず電車に30分乗って遠出しました。
お財布ひとつで歩いている男性を見たことはありますが、私自身は今までかばんを持たずに出かけたことがありませんでした。
人生の数十年目にして初めて知った自分。そこで、「私って実はかばんがなくても出かけられる人なんだ。意外とおもしろいな」と思えました。
散歩の中では、自分の行動をおもしろいなと思えることがいくつかありました。
コンビニに並ぶ商品の名前にちょっとテンションが上がること、実はかなり空を見上げていること、家の前の植木鉢に赤い南天の実がなっていると足が止まること。
そういうところに反応するんだ、おもしろいな。きっと私は、変わった言葉遣いや大きな自然、日常のささやかな優しさが好きなんだろうな。
そんな自分に対して、好きや嫌いのような強い感情ではないけれど、「おもしろいな」と少し心が浮き立ちます。それはちょっと離れて自分を見ているような感覚でした。
自分との距離感はときには「近所の大人」
自分を好きになろうと頑張って、好きになり切れなくて落ち込む。
でも、少し自分と距離をおいてみたら、私自身をおもしろいと思える瞬間がたくさんありました。
もしかしたら、私は自分を好きになろうと必死で自分と距離を詰めすぎていたのかもしれません。
近くにいる人のことって良い意味でも悪い意味でも必要以上に気になります。
例えば、親は子どもに「宿題やったの?」とついつい聞いてしまうことがあります。同じように、私も自分に対して「スマホばっかり見て!もっとがんばる自分じゃないと好きになれないよ」と言っていました。
それはどちらも相手のことが心配だから。周りからの目を考えたり、本人のためになるようにと思っての忠告です。
でも、子どもからしたら「今やろうと思ってたのに!」と反発心や悲しい気持ちを感じることもあります。私もそれに似て、忠告は正しいからこそ、できていない自分に落ち込みました。
でも、わたしたちは、自分を大切にしようと思っているからこそ心配しています。
「好きになれない自分」に敏感なのも、実は私を想う心配からきていると考えるとそんなに悪いことではない気がします。
ただ、自分への適切な距離感は人によってそれぞれ。好きになれないことでしんどくなるときは、むしろ距離を置いてもいいのかもしれません。
「おもしろいな」は密着した親子よりは少し離れるからこそ持てる視点でした。
それはまるで子どもを見守る「近所の大人」のような距離感。今日も元気だなあと普段は微笑ましく見つつも、危ないことや最低限の礼儀については叱れる人です。
そんなふうに時には距離をとって。
心配しながらも、大きなケガをしなきゃいいよと笑ってあげたい。
誰より近くにいる「私」との、大切な距離感。
あなたはどんなかたちでしょうか?
Text by ひらふく(おとな教育の実践人事)