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欲望は際限が無いが、取り合えず目標を設定するとそれに向かって進むことで他のどうでも良い悩みが透明化する。 AIの発展 これによって様々な創作家が苦悩している、その一方で今までその圧倒的なやり込みによってでしか出来なかったものがある程度楽をしながら創作活動が可能になりつつある。しかし、これの意味するところも結局、その専門性の技術をある程度知り、そうしてそれに挑戦し、AIを教育しなければまだ実現しない。 例えば漫画は同一キャラクターを動かすにはあらゆるAIアプリなどを活用し
何もないと思わしき場からビックバンが発生し、各惑星や太陽、そういった確率的に低い調和の取れた世界が確立され、そうして生命が誕生したこの世界におけるこれらの存在が肯定される確率は天文学的数字によって発生している。 大数仮説 ポール・ディラックによって提唱されたこの仮説は、いくつかの基礎物理定数から求められる無次元数に10の40乗という値が現れることを根拠にしている、しかしこの仮説は肯定も否定もされずに議論はまだ本格的とまでされていない。 物理定数 この世界における法則は
サイコパスやソシオパス、様々な関わってはいけないとされている人が居るが、その中でも最も関わっていはいけないのがカバートアグレッションであり、それは国民性として現在日本では確立されてしまっている。 自覚が無いのが特徴的である。 他人に関心がある 基本的に人なんてどうでもいい筈だが、そこに固執するのは自分に自信が無いからこそ相手に求めるようになる。その中でも特徴的なのがあれをしろこれをやめろという言動、そういう人物は最も関わってはいけない。 それを善意だと当人は本気で信じ
時間的にも空間的にも我々人間は不完全な存在。 真理を知るには荷が重い どれだけ歩みを進めようが私達には限界がある、瞬く間に時間という概念は過ぎ去っていき、そうしていつかは老いて死ぬ。その途中で何かに殺される可能性もあり、如何に注意を払おうとも突然の不幸には抗うことは出来ない。 そんな有限な存在が真理を知るなんておこがましくもあり、まして知っているとするには人間は余りにも愚かだ。 その根源を知っているのは我々人間を遥かに超越した存在にしかわかり得ない、その存在とは我々で
2024年のパリオリンピックでは、性の多様性とLGBTQ+の選手たちの活躍が注目され、それは失敗のように見えた。しかし、そうして問題視されたその多様性もその当事者らは解放を望む、そうして自由を手にする。 失敗の歴史 これからAIの発達によってAGIやASIが人知を超えるとされていて、そうなれば人は知や理では語れないようになってくる。それは今後ではなくもうすでにその兆候というか、それは現在進行形で始まっている。 失敗というのはどうも不誠実に見えるようで、というのも新しい、
「今の時代調べれば何でもわかる」というのはそれそのものが誤解であり、無気力を生んでいる。 無気力 無というのは全ての事をやっていて全てを知っていて初めて無になる、知った気になっていると全てを知っていると誤解しては有であるはずの意識が無になってしまう。 その意識は行動にも表れる。 宗教改革 無気力の歴史は繰り返されている。 その無気力から解放を望んだ。 宗教は知った気になれる 人やネット等々での話や情報に関心したときに生じる知った気になれるという現象によって、俺
神教はその制限をかけて苦を持って楽をする為のもの、と同時に社会は逃れられない最も大規模で強制的に入信させられる宗教である。その中でも、信じることを疑わない、信じないことを疑わない"信狂"は危うい。 生きているという制限 視覚。 人には目がある、目があることによって確認が出来るがそれを目にすることで悩みが増えることもあれば明確に出来たと振る舞えるもので、これはひとつの機能から視るという制限がかかることで発生する。 聴覚。 聞ける為にそれによって判断が鈍ったり確認が出来
世界の奥底には生きたいとする根源的な意思がある。 人体 目があるから見たいと思うし、手があるから手を使いたいと思う訳で、足があるから足を使いたいと思う訳だ、これはあらゆる生物には予め備わっている意思が存在すると考えて自然だ。 元々備わっているのだからその意思は用意されたものであって、ある種そこに自由意思は存在せず、生まれた瞬間からこれをしたいあれをしたいと欲求が高まっていく。 見聞き 見たい聞きたい読みたいという欲求はその目があるから、その耳があるから、その口がある
理だけを重視すると相手の感情が理解出来ない、感情を重視すると相手の理が理解出来ない、理のみを使用する説得も感情を優先した相手に対する思いやりも、相手側が壁を設置してはその理を感情を攻撃だと認識する。 その壁は互いに見えないようになっている。 感情の壁 感情に支配されると理がとてもチープに感じ、人の心を持っていないとして憤怒しては感情の壁を設置する。相手の気持ちに立てば通常理攻めすれば傷つくに決まっているとして敵視される。 理は感情に支配されている者には理解出来ない、寧
その情報はネットの検索や論文、便利なAI検索機能などを利用してまず調べてみるという癖が必要だとされているが、勿論それも重要だがそれよりも最も必要なのは想像したり思考することにある。 コンビニの卵 普段よくコンビニを利用する層からすると、卵サンドはタンパク質もそれなりにあるし、ちょっとした昼食や軽食には欠かせないものでしょう。 これ単体だと栄養価に偏りがあるが、ここにサラダなど加えればそれは立派な食事として成立する。 しかし、その卵サンドには黄身が入っていない商品が多く
理に適っているようで適っていないが、理に適っている。 多数決 仮にA、B、Cがいたとして、そこに10票の投票権があったとする、そうして投票の結果、Aに4票、Bに3票、Cに3票となった場合、一見して数値的にAが最もらしく見えるが、ここでさらに追加で不人気投票を行ったとする。 その結果、Aに6票、Bに4票、Cに0票となった場合は、一番人気だった筈のAは一番不人気という結果となり、寧ろ票という数値に置き換えれば、人気投票では4票、不人気投票では6票となり、数的に見てもおかしく
古代哲学というのは残されたものは書物しかなく、その解釈が人によって変わり、そのオリジナルは生存していない為に確認が出来ない。 これは生成AIにも似た原理が働き、複製されたものが本物に影響を与えて意味合いを強くしたり弱くしたり、無い要素が付け加えられたりもするが、生存しているオリジナルがその要素を利用できるのでその元となっている存在にも影響を与える。 レビュー 本の書評や映画のレビューなど、作者の意図では無い解釈をされても、その解釈がその作者にも影響を与えることがある。そ
人は似たような人で溢れている、そこから脱却しようとすると必ず異質な存在として忌み嫌われるが、それに従っていては現状維持という意味合いに留まってしまう。 その現状を嫌っているのに、そこから抜け出そうとしている当人であってもその者を嫌う。 弱い猿 猿から進化したであろう私達は嘘つきで、どうしようもない力の差は噂を広めることでその強者を排除して生き抜いてきた。裏を返せば弱いからそうするしかなかったのであって、知能も無く、力も無い猿は自身の存在を脅かす存在に恐怖する。 それは
進化という定義は強くなるという意味合いではない、かといってその環境に合わせたとも言い難い、その個体が集団となってただ単純に生き残ったから残っている。 更にいえば人はその進化の瞬間を目撃出来ないことから明らかにすることは難しい。 突然変異から自然淘汰される 偶然にも何度かの遺伝子の組み合わせから新しい個体が産まれる、それはエラーとも取れるし、ゲームでいうところのバグのようなもの。 そうしてその産まれた環境に耐えきれなければその個体は死滅する、これはその環境で優位に立てな