『Eigoこれまでの人生』 その1 (幼少期編)
「本気で生き始めて3年
やっと物心がついてきたくらい」
by Eigo
今年で25歳のEigo。四半世紀生きた。
自分を持たず、なんとなく生きていた22歳までと、
とあるアーティストとの出会いで『普通の人生』を外れ
出会いと別れを繰り返し、アーティストシンガーを
目指し本気で生き始めた人生を1から振り返る。
『Eigoという人間~これまでの人生~』その1
1995年 6月15日 僕は岩手県盛岡市に生まれた。
Eigoは父母が名付けてくれた。
周りを田んぼに囲まれた田舎でケーキ屋を営むパティシエの父と、優しい母、厳格な祖父といつも面倒を見てくれてた祖母、と一緒に暮らしていた。3人兄弟の長男。
幼い頃から周りから当たり前のように優しさと愛情を受けて育った。
the反抗期というものはなかったと思う。
小さな頃好きだった遊びは、ダンボールを切って貼って工作すること。トランスフォーマーの変形するロボットが好きだったので、ダンボールで変形できるように作った。だいぶ器用だったと思う。
とにかく時間があればずっとやっていて、出来上がったものを大人や妹弟達に見せて、「すごいねぇ」と言ってもらうことや、驚かせるのが好きだった。
また、今思い返すとかなり独特だなと思うのだが、絵本に出てきた地下にあるモグラのお家に憧れて、祖父の畑の一角を借りて片手サイズの小さなスコップで日が暮れるまで穴を掘っていた遊び。直立した体がすっぽり入るほどの穴を掘っていた。
冬は東北岩手なので、雪でひたすら遊んだ。
毎年毎年ケーキ屋の駐車場の雪をかき集めては巨大な雪山をつくって、『巨大なかまくら』を作って遊んだ。腕力はそこで鍛えられた。
僕の祖母は近隣の農家さん達と共同で産直を営んでいて、よくアルバイトといって僕も収穫や袋詰めなどやってお駄賃をもらっていた。
どんなに頑張っても幼い自分は500円稼ぐのがやっと。今思えばお小遣い制ではなかった僕にとってお金に対する感覚の根幹になっていると思う。
小中学生時代はかなりの人見知りだったのと、自分が変なやつだと思われたら実家に迷惑がかかると思っていたのでやんちゃなことせず。いい子でいようと真面目で大人しいキャラで過ごした。ほんとは腕っ節は一番強かったけどね。みんなが知らないところで年上の友達たちと取っ組み合いの遊びをしてたんだ。
小学校は全校100人前後で僕の学年は20人で多い方。距離感が近く仲が良かったので学校が終わると、毎日のように友達と遊んだ。
ルールや何かを制限されるのが大嫌いだったので小学生時代は習い事を一切せず。サッカーのスポ少に誘われたがお断り。今でもその選択は自分にとっては正しかったと思う。
そう今の僕も何かに縛られるのは大っ嫌いだからさ。
⇨『その2中学生編に続く』