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我が人生は瀑布のごとく

いかに清廉潔白に、いかに努力を惜しまず生きていても、ものごとが良くない方向に進んでゆく一方であると感じられる時期がある。そのような時期をなんとか生き抜かれて来た経験が、皆様にもあるのでは、と想像する。

私にとってはこの数か月が特にそのような時期であった。そのような日常に囲炉裏のような温かさを下さったのはNoteで交流をさせて下さっている方がたであった。そのNote友の数名の方々に「随分更新をしていないようですが病気ですか?」、とお気遣いを頂き、大変有難くも、心苦しく感じている。

というわけで、生存報告も兼ねて、最近通過した町の写真を投稿させて頂くことにした。

この国の人口において、8番目に大きく、路面電車の残る数少ない町の一つである。私の好むインダストリアルデザインを町全体で実装されているような雰囲気であった。

労働記念館 時間があれば見学をしてみたかった


黄色、黄土色、明るい色調の建造物が多い。他の国の工業都市はどのような色彩なのであろう


運河の水量が上昇したら地下室へ水が流入してしまうのだろうか、と訝わざるを得ない。この水量は30年ぶりのものだそうである。通常よりも多い降雪量も寄与していると言われる


以前鑑賞したベニスが舞台の映画を髣髴させる。もっともベニスの空と水の色は鼠色ではないはずであるが


この町は17世紀頃は製糸工業、テキスタイル工業で栄えたが、近年は戦闘用飛行機の製造が主な産業であった


帰途に立ち寄っただけの町であったが、昼食をとる場所として、このビルの高層階のレストランを候補としていた。街の景色を見下ろしながら魚のスープを堪能という完璧な昼食プランであった


しかし、急ぎの帰路にて焦っていたため、そのことをコロッと忘れてしまった。その代わりに、製造系の工場と隣接する奇妙な社員食堂に入ってしまった。そこでは作業服を着た男性達がこってりとした昼食を平らげていた。こちらの写真食堂の一例として参考までに


ふたたび瀧へ。写真ではわかりにくいが、今は動画を投稿する時間もないため想像して頂くしかないが、とにかく轟音が恐ろしい


それでも何とか橋を渡り終え、脇から噴き出す濁流を側面から恐る恐る眺めてみた。ナイアガラ、あるいはブラジルのイグアスの瀧から落下した場合、助かる可能性は低いが、こちらの瀧の場合はいかなるものであろうか


チーズとデリカテッセン、モダンなカフェであるはずであるが、店の名前のフォントは産業が盛んであった頃の名残を残している

インダストリアル時代の雰囲気は街の要所要所で見掛けた


街中にて見掛けたお菓子屋さん、反対側には大人のお菓子、すなわち、噛み煙草(スヌース)が夥しい数にて陳列していた


街中にて見掛けた路面電車の線路の一部。この日は、この国の冬に似つかわしいどんよりした日であった。英国のどんよりさと良い勝負であろうか、向こう様ほど、こちらの降雨量は多くないが


この産業地区で見掛けたブロンズの女性。この女性が誰であるのかに対する情報は見つけられなかった。街の中心には女性小説家のブロンズ像が立っていたが、その女性の母親が工場の一つで働いていたということである


と、いうことで生存報告を兼ねて地方都市のレポートをさせて頂いた。

ものごとが落ち着く(予定の)秋までは更新のスピードは落ちるかもしれないが、Noteを去る予定はなく、皆様のところにも、遅くなっても出来るだけお伺いさせて頂きたい。

ただ今は、

激しく降下する冷たい瀑布の中を必死に這い上がろうと努力をしている真っ最中なのである。人間、逆境に嵌まってしまったら、開運することを待ったり、誰かが助けてくれることを期待せずに、自分から行動を起こさなければならないことを改めて実感した。

それでも皆様のことは頻繁に思い出しております。皆様には、お元気に幸せで長生きをして頂きたいと望んでおります。

二月二十日のどんより空のNorrköpingの記憶から。