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【映画】歓喜!〈午前十時の映画祭14〉に『フェーム』がやってくる…一生劇場で観られないと思っていた理由と、名作なのにイマイチ無名な理由


青春と芸術が凝縮された4年間!
【フェーム】(1980年/アメリカ/監督アラン・パーカー)

■ジャンル/青春、ミュージカル、学園
■誰でも楽しめる度/★★★☆☆(ドキュメンタリータッチOKな人、ミュージカル好きな人に)
■後味の良さ/★★★☆☆(音楽と映像の魅力を堪能できれば感動的)
 
 
(個人の感想です)


『フェーム』の若者たちにとって近くて遠い場所(イメージ)



※以下、個人的な体験のあとで映画の内容にふれます


******************



(1)「ラストの卒業公演のシーン」を特にスクリーンで観たかった!


 ――その日は、突然やってきた。

 2024年4月某日、子どもたちを連れて『名探偵コナン』を観に映画館へ足を運んだ私は、チラシコーナーで今年度の〈午前十時の映画祭〉の情報を、なにげなく手に取った。

私「・・・ぎゃあ~~~!」
子どもたち「ママ、どうしたの⁉ 大丈夫?」

「・・・ふぇ、ふぇ、『フェーム』が・・・スクリーンで・・・観られるって・・・」
子どもたち「へぇ・・・そうなんだ」

 理解できないながらも何かを察した長女は、「よかったね」とひと言。

 ーーそう、『フェーム』をスクリーンで観ることは私の長年の夢だった。


 1980年公開のこの映画を、私がレンタルビデオで観たのは高校生のとき。
 マンハッタンの芸術学校で学び、スターを目指す若者たちの青春の日々に加え、ラスト5分間で描く卒業公演の素晴らしさに、すっかり心を奪われた。
 いままで、全編通しては10回くらい、ラストシーンだけなら100回は観ている

 そして社会人になった私は、当時住んでいた街の名画座の支配人にお願いしてみた。

「支配人、こんど『フェーム』かけてくださいよ!」
 すると支配人は、ちょっと困ったように
「あぁ・・・あれはねぇ、フィルムが手に入らないんだよ」
「あぁ・・・そう・・・なんですか・・・」


 ――私は深く沈んだ。

 今にして思えば、支配人の言葉は「なかなか手に入らない」「いまは手に入らない」「うちでは手に入らない」・・・というニュアンスだったのかもしれない。けれども私は勝手に、「アメリカと日本の配給会社のなんらかの事情で、もう二度と日本で上映はできない」という重い意味に解釈してしまったのだ(なんで・・・)。


 私は、人生でベスト3に入るかもしれないくらい好きなシーンを、いちどもスクリーンで観ることなく死ぬんだと思った。
 そしてこれまでの〈午前十時の映画祭〉や各種リバイバル上映の情報に触れるたび、「どうせ『フェーム』は観られない。あぁ、スクリーンで観られたら死んでもいい・・・とは言わないけど、寿命が3日くらい縮んでもいいのに・・・ちぇっ、もういいよ!」と、ひとりでダークサイドに落ちたりしていた。

 ーーところがあれから二十数年が経ち、突如として私の前に〈午前十時の映画祭14〉が舞い降りたのである。

 〈午前十時の映画祭14 デジタルで甦る永遠の名作〉『フェーム』

 デデーン。

 そう、『フェーム』は名作だ。でも、身近な知り合いはもちろん、けっこうな映画好きの人と話をしても、『フェーム』についてよく知っている人はあんまりいない


 残念だけどその理由については、心当たりがある。

 

明日のスターを目指す若者たちの物語(イメージ)



(2)よほどの映画好きじゃないとタイトルすら知らない・・・名作『フェーム』がイマイチ無名な理由

 
 
 以下、作品の内容にふれます。

 そう、『フェーム』は1980年代アメリカの青春ミュージカル系映画のなかでも、『フラッシュダンス』や『フットルース』や『ダーティダンシング』ほどには知られていない。

 アメリカではテレビドラマやリメイク版があったり、日本でも舞台版が製作されたりしているけれど、たとえば『コーラスライン』みたいに有名かと言われれば、そうではない。

 ーー理由は、たぶんこう。


 『フェーム』はメインキャラクターである男女8人の学校生活を、入学試験から卒業公演まで淡々と追いかけた、ドキュメンタリータッチの演出が特徴なのだ。

 ネタバレになるかもしれないけれど、この8人のうち最終的に誰が名声をつかむのか、つかまないのか、一切描かれない


 映画はあくまで、音楽やダンスや演技のレッスンに打ち込む4年間の日々を、観る側に提示するだけだ。

 ――で、「そういう映画」とわかって観る分にはいいのだけど、人によっては

「結局誰が主人公だったの?」
「最後まで誰が誰か覚えられなかった」
「結局誰かはスターになるの?」
「誰かひとりに感情移入できる話のほうが好き」
「卒業公演が終わったら、急に映画が終わるけど、これであってる?」

 ・・・という感想になってしまう(しかも改めて確認したら133分ある。これは作品の全体像を理解してない人には少々キツいかも)。

 じつは私も初見のときは似たような感想だった。
 でも、卒業公演の5分間があまりに素晴らしいので、「この映画のことを
もっと知りたい!」
という情熱にかられて二度三度と観るうちに、腑に落ちた。


 ――この映画はこれでいい。いや、これだからいいんだ

 誰がスターになるかなんて、そういうのを知りたい奴は、よそへ行ってくれ・・・(失礼なことを言ってすみません)。 

 青春に答えはない。そして、みんなが主人公。

 そう思って観れば観るほど、これ以上の演出はないし、足すものも引くものもない。

 繰り返すけれど、「そういう映画」とわかって観れば彼らの4年間(2時間)は、ほぼ芸術科目という濃すぎる授業風景、日々感じる希望と失望ひた向きさと自意識のぶつかり合いが、極上のエンタメに感じられる。


彼らが闊歩するマンハッタンの街並みも見どころのひとつ(イメージ)

 

ココ役のアイリーン・キャラが劇中で弾き語りをするバラードも素敵(イメージ)



(3)エモすぎる卒業公演ーラストの5分間ーってどんなシーン?


 さて、私が魅了され続けている「ラストの5分間」がどういうものか、ちょっと書いておきたい。


 それは彼らの最終学年(4年生)が終わるころ、映画が始まってゆうに2時間を過ぎたあとで、唐突にはじまるーー『I SING THE BODY ELECTRIC』という名曲にのって。

『I SING THE BODY ELECTRIC』の冒頭はピアノから(イメージ)

 ピアノとオーケストラの演奏ではじまるイントロは、クラシック音楽のように格調高く、何かが始まりそうな少しの緊張感を会場に響かせるーーが、次第にミディアムテンポのポップソングのような曲調へ移行し、ソリストたちが美しいメロディラインにのせて、未来への希望を歌いあげる。

 次第に曲調は盛り上がり、中盤はエレキギターとドラムがメインのロック調へ。

劇中では特に役名がなかったドラマーもカッコイイ(イメージ)

 
 すると舞台の主役はダンス科へバトンタッチ、10人ほどによる躍動感あふれるダンスが繰り広げられる。

 続くクライマックスは、残りの卒業生たちの大合唱。この、クラシックとポップスを融合したような『I SING THE BODY ELECTRIC』という曲は、感動的な声の重なりで幕を閉じる。


 映画本編では目立たなかった生徒の顔も1人ひとり映し出され、全員が力強く、リズミカルに「私達はみんなスター」と歌い、盛り上がりは最高潮に。
(この、ちょっと歌っているだけでも溢れ出すグルーヴ感というか、リズム感の良さ・・・真似できない)

 多彩なジャンルの音楽やダンス、コーラスの魅力が融合されたこの楽曲、わずか5分間の舞台芸術に、この時代のアメリカのエンタメの底力を見せつけられた気にもなる。

 『I SING THE BODY ELECTRIC』は人生賛歌であり、青春賛歌ともいえる素晴らしい楽曲だ。

 『フェーム』は映画全体として1981年のアカデミー作曲賞を受賞。シンガーを目指すココ役で出演も果たしたアイリーン・キャラによる主題歌『フェーム』は、単体でアカデミー歌曲賞を受賞した。
 ・・・ということもあり、その曲『フェーム』や、生徒たちが校舎を飛び出して車道で踊りまくる(!)『ホット・ランチ・ジャム』という曲に関してはけっこう知られている感があるのだけど、それらに比べると、どうも『I SING THE BODY ELECTRIC』の知名度は低い。私はそれが、残念でたまらない。


 ーーでも、仕方がないとも思う。

 なぜなら。


(4)映像と一体化して真価を発揮する人生賛歌 『I SING THE BODY ELECTRIC』



 私はサントラも持っているが、サウンドだけで『I SING THE BODY ELECTRIC』の魅力を全部伝えるのは難しい。それはそもそも「卒業公演の曲」として作られているからだ。だから映像と一体化してはじめて100%の魅力を発揮するし、そしてその5分間のシーンだって、そこだけ切り取って観た人が感動できるかどうかはわからない。

 やっぱり、2時間彼らの青春を体験してから観てナンボだと思う。

 なんかもう、それでいい。

 もっと上手に説明できる人もいると思う。
 でも『フェーム』は私にとってこういう、魅力を語るのにちょっと時間を要する映画だ。とにかく観てもらうしかないのに、よほど「そういうのが好き」な人以外はたぶん満足してくれない(家で〝ながら観〟や二倍速をしても、到底良さがわかる映画じゃない)。


 私はこの夏、極上の映画体験をするだろう。
 スクリーンから溢れ出るであろう彼らのパッションを、五感ぜんぶで受けとめたいと思う。あぁ楽しみ。

 私は時折、こんな体験をするために、けっこう長年映画好きをやっているのだと思う。いやぁ、生きてるって楽しいね。

 2024年7月、とある街の映画館の片隅で、上映が終わった昼頃、泣いている人がいたらそれは私(かも)です。

 〈午前十時の映画祭14〉作品選定委員さま、『フェーム』を選んでくださってありがとうございます


彼らはこれを浴びることに人生をかけ(イメージ)
そして幕が上がるまでの出来事を私たちは知らない(イメージ)



(5)おまけ・・・ 『フェーム』のメインキャラ8人を紹介

 追記になりますが、この先『フェーム』を観ようと思っている方、映画の理解が少しでも深まりますように、メインキャラ8人について紹介します。

映画『フェーム』のメインキャラクターたち

〈女性陣〉
ココ・・・黒人とラテン系の利発な少女で、圧倒的な美声の持ち主(演じるのはアイリーン・キャラ。彼女はこの映画で注目され、数年後『フラッシュダンス』の主題歌『What a feeling』を歌うことに)

ドリス・・・ブルックリン出身の内気なユダヤ系少女。過保護な母親と暮らすが、在学中に女性としても女優としても成長していく

リサ・・・ダンサー志望だが、情緒不安定なおしゃべり娘でもあり、そのせいで壁にぶつかる

ヒラリー・・・2年次から登場する、裕福な家庭で育った美しく高慢なバレリーナ。リロイは彼女に夢中に

〈男性陣〉
リロイ・・・スラム街で育った黒人の青年。反逆的な性格だがダンスの才能は抜群。英語の女教師と衝突する

モンゴメリィ・・・俳優志望の繊細な若者。内気な性格同士、ドリスと意気投合。在学中に皆の前でゲイであることを告白する

ブルーノ・・・内気なイタリア青年で、ピアノにもシンセサイザーにも秀でた才能を持つが、前衛的な音楽が古風な教師になかなか理解されない

ラルフ・・・喜劇役者を目指すプエルトリコの青年。貧しい家庭環境から心に傷を負っている。在学中にドリスとモンゴメリィと友人に

MGM映画『フェーム』オリジナルサウンドトラック 解説文を参考に一部抜粋




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