想像力も貼り付けられていたお薬手帳
自分の子供に、どんなふうに育ってほしいか?
親のエゴだと承知で、たくさん出てくる。心身とも健康な子、やさしい子、自力で納得しながら生きていくのに必要な賢さを十分に身につけられる子、明るく元気な気持ちをもっている子、セロトニンが足りている子、毎日を楽しく過ごせる子。
私、欲張りだなあ。
先日、勝手な願望がまた一つ追加された。できたら想像力のある子に育ってほしいな、と。
ささやかだけれど、想像力ってやっぱり大切だなと思わされることがあったから。
初めて行く薬局で、息子の薬をいただいたときのこと。
「お薬手帳、持っていますか?」
「あ、薬は前にも飲んだことがあるんですけど、お薬手帳はまだ持ってないです」
「じゃ、きょう作られますか?この中からお好きなのを選んでください」
子供向けのイラストが表紙に描かれたお薬手帳が5種類ぐらい。たれぱんだが描かれたものを選んで、薬剤師さんに手渡した。
薬を準備してもらっている間、息子のほっぺたをツンツンしたりしながら椅子に座ってのほほんと待っていた。
「お待たせしました〜こちらにおかけくださいー」
薬剤師さんに呼ばれて薬の説明を聞く。マスクの上からのぞく目が、やさしい感じ。
「かわいいお子さんですね。そのスタイ、私も持ってました〜」
やさしいだけでなく、お薬の説明も丁寧にしてくださった。こちらの理解度に合わせた言葉を選んでくれた。
帰宅。お薬手帳を確認すると、お薬シールを貼り付けるページの1ページ目が真っ白だった。2ページ目に、その日いただいたお薬のシールが貼られている。
「あ、最初に私が”薬は前にも飲んだことがあるんですけど”って言ったから、それのために1ページ目は空けてくれたのか」
実際、以前もらった薬のシールを「今度お薬手帳つくったら貼ろう」と保管していたので、空白の1ページ目に貼り付けることができた。
ありがたかった。
そういう「気遣い」って、プロとして当たり前と言われればそれまでなのかもしれない。
けれど、もし患者を匿名的に捉えていたとしたらできない「気遣い」だと思う。
「この人は、前にもらった薬のシールをこのお薬手帳に貼りたいかもしれない。1ページ目は空けておこう」
と、一歩先を瞬時に想像して、ページをわざわざめくってくれたのだ。
想像力を傾けてもらうって、その分、尊重してもらえている気持ちになる。
大袈裟なことじゃなくていいから、目の前の人にそういう想像力を向けられること。大切にしたいなぁと思った。
ささやかなことって、忙しない日常のなかですぐ過去になって上書きされていくけれど、
ちょっとでも大切にしてもらった感覚って知らず知らずに体に積もっていく。で、健やかな気持ちでぐっすり眠るのを助けたりする。で、自然と人に対して同じように接したくなる。
そういう巡り合わせのなかに身をおけたら、きっと明日も明後日も両足でしっかり歩いていける気がする。
息子にもそうやって歩いていってほしいから、つい「こうなってほしい」をまた増やしてしまった。
まずは親からよな。伸びしろありまくりな現状から、歩いていくよー。