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評価1には、分かりにくい愛と期待が込められている

口コミは大抵、すっごく好き! か、すっごく嫌! であふれている。


わたしファン心理にめちゃくちゃ関心があって。

人の「好き!」の気持ちのでき方はもちろん、「嫌い!」もすごく面白いなって思うんです。

それがよく感じられるのが、例えば口コミ。



星5つ!の評価は理解できる。

「買ってみたら、すっごくよかった」
「素敵な商品だったから、よい評価つけて応援したい」

そんな気持ちが感じられる。


不思議なのは、わざわざ星1の評価を書くことだ。

しかも、文章が長いことが多い。

ネガティブを積極的に取り入れたいなんて趣味はないけれど、彼らの意見も読んでみると興味深いよ。




評価してレビューを書くって、なかなか面倒なことだよね。

わたし自身は、知り合いが関係しているか、お値段以上の商品をつくってくれた人に行き場のみつけられない気持ちを書いて伝える場にするかのどちらか。


おすすめできないもののために、わざわざ時間を割いて、熱心に詳しく書くのか。



それはきっと、近くて親しい距離にいたからだ。


本でも音楽でもタレントでも、どんなコンテンツも、コンテンツの周りには「大好き!」と言ってくれる人が集まってくる。

そして「大好き!」の人の層の外側には、「まぁ好き」ではなく、「嫌い」という人が層を成している。


その人たちのコメントには、

「以前は〇〇だったのに、最近は✕✕になってしまった」
「こういう意見を言っている人がいるのに、ちゃんと対応してくれない」

など、やたらに詳しかったりする。

よく見てみると、元は大好き!の層にいた人だったということも多い。

「大好き!」にいたからこそ、「嫌い!」となってしまったときのエネルギーも大きい。



わたしが「嫌い!」といってネガティブなコメントを書き込んでいる人のことを嫌いにはなれないのは、裏にはもっと〇〇してよ!という気持ちが透けてみえるから。

本当に嫌ならそのコンテンツのことは頭から追い出して、二度と触れないようにすることだって選べるはずだ。

なのに、嫌だ嫌いだと思いながら彼は、彼女は、嫌いなコンテンツのことを人一倍調べて、ネガティブポイントを発信している。

本当は、誰よりそれを、好きでいたいと願っている人なんだ。本人も気づいていないかもしれないけれど。



わるい評価をわざわざつけちゃうとき。

SNSについネガティブなコメントをしちゃうとき。

本当に伝えたいのはきっと、「すっごく好きでいいなと思ったのに、傷つきました」ということなのかも。


こういうエネルギーの高い人って、ちょっとしたきっかけで大好きゾーンに入ってくれる可能性も高い人。

「傷つけたことはごめんね、少しずつでもよくしようと頑張ってるよ」って聞けるだけで、一番の味方になってくれることも。オセロみたいに黒が一瞬で裏返ることもあるからね。

ネガティブな意見に触れると心が痛むけど、自分に余裕があるときは、ちょっと耳を傾けたい。






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