スーパーアイドルを応援してたら、諦めてた人生まるごと変わってた
やりたいやりたい!と言っていたことが、ひとつ叶った。
ずっと好きでずっと応援している、わたしにとってのスーパーアイドル・江田剛くんに関する記事をお仕事として書いて、メディアで公開していただいた。
これを書きながら「やりたいやりたいって言い続けていれば、絶対叶うから」って言ったその子の顔が浮かんでくる。ほんとだね、やったよ!
そもそもわたしはエンタメについて書けるような立場でも、ライターでもなかった。地方で休日なしの長時間労働に押しつぶされてぺちゃんこ状態。でも脱出方法も分からず、仕事を辞めたら死ぬなと思っていて「もう諦めて来世に期待するしかない」と本気で考えていたような女だ。
応援している間に彼からいろんなものをもらって、少しずつ少しずつ、できることを増やしてきた。
異動希望を出して土日を手に入れ、引越した。延々残業していた生活から、「わたし、定時で帰ります。 」を地で行く毎日に。その後転職、さらに引越し。その後も彼を通して世界を見ながら、いろいろと視野を広げて経験してあれこれ考えてきた結果、転職した会社もやめてしまい、フリーランスのライターをしている今に至っている。
それだって、エンタメを自分が仕事で書くなんて想像できないことだった。ずっと誰かのファンの人生を送ってきたわたしにとって、「エンターテインメントを文章で表現すること」は特別だった。
音楽や映画、舞台、アイドルの専門誌を子どもの頃から何百冊も手に取って、そこに並ぶ文字が描く世界に思いを馳せてきた。自分が知らない彼・彼女の思いを知り「好き」の沼により深く沈んだこともあったし、同じ会場にいたはずのコンサートのレポート記事では、「最高」「尊い」「死んじゃう」くらいしか言えない思いをあざやかに言葉にして保存し、より素晴らしいものに感じさせてくれるものと出会うこともあった。「まんま本人がしゃべっているみたい!泣」という特集記事に出会い、無限の感謝を込めてお礼状を書いたこともあったっけ。
これは、選ばれし人の仕事。そう思っていたはずなのに、わたしもやりたい!と思うようになってしまったのは、今から約半年前のこと。あまりに素晴らしい彼の初ソロコンサートを見てしまったからだった。
所属事務所を辞め、2021年7月から個人で活動を始めた彼が、オリジナルのソロ曲を歌って踊る。そのステージもセットリストも演出も、すべて彼がつくったもの。曲、演出、あいさつ、そのほか会場内の空気すべてで、未知の世界に出てこれから実現しようとしている世界観や、そこにかける思いを伝えてくれた。
この先もこの人がつくるものをずっと見ていきたいと思ったし、これだけのものが作れる人がいることはもっと世界に見つかるべきだと思った。何より、彼がやりたいことは、悲しいけれどわたしが一人で今の100倍応援したって叶わない。でも、わたしはそれを叶える彼がみたい。だとしたら、彼のつくるあったかくて優しい世界のすばらしさを広めるお手伝いがしたい。わたしはここまでに彼から既に一生分以上のものを受け取っている。どんなにささやかでも、もらった分のお返しをしたい思いも強くもっていた。
「今回のステージは、このパートを、こんな思いを伝えるために、こんな工夫をしたんです」という風に、どれだけの思いを込めてつくってくれたのかを一から十まですべて解説してくれたらいいのに。
そう思うことが、何度もある。こんなにこだわって作ってくれたものを、客席にいる人たちはどれだけ受け取ったんだろう。全部を受け取って帰りたい気持ちで臨むけれど、あまりの量に手から記憶から零れ落ちるものきっとが大半で。半分も受け取れずに見落としてしまったんだろうなと思うと惜しくてたまらない。「かっこよかった」「素敵だった」で済ませてしまうなんてもったいない。見に来られなかった人にだって、もっともっと自慢したい。
だからと言って、彼が自分のしたことをぜーんぶ並べて自慢するような人じゃないことはよく分かっている。見た人が、好きに受け取ってくれればそれでいいよと言ってくれるだろう。過剰に自慢するなんてことは、彼はしない。そういう謙虚な姿勢の彼だから、わたしはずっと好きなんだ。
書評家の三宅香帆さんが、推しを伝える文章について「作品の意味は、受け取り側が決めるもの」という話をしていたのが忘れられない。そう聞いて、「わたしはこういう風に受け取りました」でいいんだと思えたとき、自分の感想を伝えることを許された気がした。正解の解釈が決まっていて、間違っていたらいけないと思っていたけれど、きっとそんなことはない。逆にわたしが作り手だとしたら、自分でも意図していない解釈があることを受け取ってくれた人の感想で知れたら視野が広がってうれしく思うだろう。
ライターの古賀史健さんは、ライターの教科書『取材・執筆・推敲』のなかで「ライターとは取材者で、取材社にとって原稿は『返事』である」と言っていた。全部が分からなくてもいい。分かろうとして、一生懸命に調べて受け取る。そのうち理解できた分を、「わたしはこんな風に受け取っています」と受け取れたことへの感謝をこめて書けばいい。
そういう思いで書いた、お仕事とは初の江田剛記事を掲載してくれたのがcinemas PLUSだった。
cinemas PLUS編集部が、偏愛しか書けないわたしをライターとして拾ってくれたことには感謝してもしきれない。
文章を書くとき支えになっているのは、入ってすぐにもらった言葉たち。
編集長だったヤギシタさんの「主観で書いて大丈夫。こんなに書いていいのかなっていうのは大抵いいって言うので」は、ずっとお守りで。ブログやnoteで好きに書いてきたのとは伝わる規模や責任が違うので、怖くて何にも書けないと固まっていたところを救われたと思っている。
「ライターさんが書いてくれた記事は、すべてcinemasで自信をもって出せるものなので」っておっしゃってたのは副編集長のタニグチさん。なかなか言えることではないので、聞いた時から尊敬しかない。今回江田さんの記事も編集してくださって、ほんともう感謝しかもってない。
お仕事として最初の江田さん記事を、ライターさんたちが自身の心から好きなものを愛をこめて書いているから以前から好きだったメディア・cinemas PULSで書けてよかったなぁと思っている。だってあの記事、主観のかたまりでしかないんだもん。きっとほかでは掲載いただけなかったと思うんだ。こんな風に役立つなんて想像もしなかったけれど、ブログとかnoteとかで「好き」を自由に書き続けてきてよかったな。
わたしが江田さんをいかに好きかを何年間も聞いて見守ってきてくれたあゆみさんに「趣味:江田剛 が、ついに仕事になりました!」と報告したところ、次のメッセージが返ってきた。
さすがよくわかっていらっしゃる。そうなの、すごいのは江田さんなのだ。
彼を好きだというだけで、気づけば仕事も、住む場所も変わっていたし、生活全部が以前とは100%違っている。
今回のことだって、応援しているうちに自主的に必要に迫られて、絶対に無理だと思っていたエンタメライターになり、愛だけ込めた記事づくりが仕事になってしまった。
エンターテインメントと江田剛さんにずっと支えてもらってきた人生なので、この先は、今やっている誰でも屋さんなインタビューライターのお仕事と合わせてエンタメ関係のお仕事をもっと増やしていくつもり。これだけのものをもらっているので、少しはお返しさせていただきたい所存。
この先もずっとわたしのお手本であり、憧れであり、ずっとついていけたらと思っている江田さんは、どんな大きな「やりたい!」も1mmだって諦めない人なのだ。2014年に言い出した「コンサートを各地でやりたい」という夢だって、何年も時間はかかったけれど今年自力で叶えてしまったんだから。「やりたいって言い続けていれば叶うって、証明にもなったかな」って言った姿は、かっこよすぎてきっと一生忘れられない。
これからも江田さんについて彼の「やりたい!」を全力応援しつつ、自分の「やりたい!」もひとつずつ叶えていけたらいいなと思っている。
「やりたいやりたいって言い続けていれば、いつか絶対叶うから」
江田さんが言うんだから、きっと間違いないだろう。
▲ここから、愛だけ込めてかいた記事読んでくれたらうれしいです^^