「名前」がもたらす幸福感と魔力
万葉集の時代には、名前は夫婦になるときにしか明かさなかったという話を聞いたことがある。
逆に、名前を口にしないように「例のあの人」みたいな呼び名を使うエンタメ作品を見たこともある。
名前は魂に相当するものとされていたし、呼ばれたら心を掴まれてしまうからだろう。
最近になってあらためて、「名前」の強さを痛感しているところだ。
最近応援しているアーティストの子が、ほんの数回で名前を覚えて、口にしてくれるようになった。
自分の名前を口にして笑ってくれた。
名乗らなくても、覚えてくれていた。
驚きと、あとからじわじわ湧いてくるよろこび。
認知されたいみたいな軸と近いところにあるのかもしれない。
名前を呼ぶことには「あなたのことちゃんと覚えてるよ」って伝えるのに絶大な効果を発揮する。
「いつも応援してくれるよね、ありがとうー」みたいな、誰にでも当てはまるような返しが多い世界。そこで、「みんな」じゃない「わたし」を覚えてくれることの尊さったらないなぁと思うのだ。
ファンなんて大抵いつも不安な生き物。自分のすきな気持ちと応援をまるごと受け取ってくれたようで、わたしも応援していて大丈夫なんだ!と思える安心感ったら半端じゃない。
かくいうわたしも、彼には及ばないと思うけれど人の名前を覚えるのは得意な方。
勤めていた小学校を離任する時、わたしのエピソードとして全校児童の名前を覚えていたことを挙げてくれた。
最後の一年は担任をもたずにいろんなクラスにお邪魔する立場だったから、全校生600名ほどの名前と、性格や兄弟関係、授業でどう関わるのがプラスになるかなどなどを掴んでいた。
と言っても特別な工夫はなく、直接話をしたり、授業中に机間指導でまわったりしているうちに、自然と覚えている状態。
今思えば、人への関心が強いから名前はもちろん、一人ずつをそれぞれの特徴とセットで記憶していたんだろうと思う。
中には名前を覚えるのが苦手な先生もたくさんいて、学年主任に「下の名前だと分からないから苗字で話して」と言われたことがあるし、「ほらあの子、なんだっけ」と自分の担当学級のお子さんの名前すら出てこない先輩にもやもやしたりした。
しかし、名前を覚えるのが得意だったわたしはこんなに効果的な力をうまく使えていたのかといえば、決してそうではない。
教頭先生からのエピソードを聞いたあと、「先生、わたしの名前わかる?」と直接尋ねてくる子が何人もいた。当然、「○○ちゃんでしょ、覚えてるよ」と即答する。それでようやく初めて、「本当にわたしのことも覚えてたんだ!」と笑ってくれる。そんな世界。
えぇぇあの算数の問題いっしょにやったじゃん!
休み時間走りながらあの話してくれたじゃん!
そんなの当然覚えてるに決まってるでしょ!
と思っていたけれど、直接言葉にしないと伝わらないものなんだと思い知らされた。
こんな風にまとめると円滑なコミュニケーションテクニック的な感じでいやだけど、覚えているなら名前をもっと呼ぼう。
「わたし、あなたのことちゃんと覚えています」と伝える。
それだけで呼ばれる側には安心感を分けられる。呼ぶ側には「あなたなこと好いてます」と間接的に告白しているくらいの力がある。
「ゆうこ」って口にしてくれる度たまらない気持ちになって好きが増すので、これはきっと間違いない。名前の威力、おそるべし。
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