ティッシュ配りのお兄さんに一目ぼれしたら数学の偏差値20上がった
昔々、あるところに、数学のできない女子高生がいました。
彼女は、中学校を卒業するまでは数学が得意だったのです。
が、高校に入学したと同時に、数学の先生が何の話をしているのか、さっぱり分からなくなってしまいました。
「きっと入学したてで、先生のやり方になれていないだけ。中学のときはテストでいつも95点とか100点とか取れてたんだから、大丈夫!」
そう信じて授業を受けること1か月、2か月……数学の授業はますます分からなくなる一方。毎週末出される問題集を解いてくる課題は、どんなに一生懸命考えても分からなかったので、答えを写してくるしかありませんでした。
数か月がたったある朝。
部活の朝練のため、彼女は始発列車で登校しました。
いつもより早い時間なので、同じ電車に乗っている生徒は、ボウズ頭の野球部ばかり。
野球部の男子はトレーニングを兼ねて電車が到着すると同時に学校まで歩いて20分の坂道を駆けていきます。その時間についた同じ高校の生徒はそれですべてだったので、彼女は朝の静かな通学路を歩いて一人学校まで向かいました。
7時頃。学校が近づいてくると、校門のところに見慣れない人が立っていることに気が付きました。
さらに近づいてみると、それはスーツ姿の男の人だと分かりました。
「あぁ、予備校の先生か」
彼女の高校の校門前には、ときどき予備校の先生が登校時に立っていて、生徒勧誘のためのチラシなどを配っていることがあったのです。
いつもはもっと遅い時間に登校しているため、長い行列の一部になって通学していますが、今日は彼女ひとり。知らんぷりして通り過ぎることはできなそうです。
「おはようございます」
下を向いたまま通り過ぎようと思ったところに声をかけられて顔をあげて、ハッとしました。
そこにいたのは、ポケットティッシュ二個を彼女に差し出しながら爽やかにほほえむイケメンだったのです。
予想外のことにキュンとしたまま、目の前に出されたティッシュを受け取って校門のなかへ。
「東進、かぁ…」
あれ、そういえば挨拶返したっけ、と思いながらも、ティッシュをぎゅっと握って部室に急ぎました。
季節が過ぎ、冬になりました。
進級に向けて、放課後に担任との二者面談が行われます。
「理系クラスでいいのか? 医学部…まだ時間はあるけど、今の成績だと数学が足りないし、医学部も難しいな」
テストの結果を見て自覚はしていたけれど、先生からはっきりと数学ができていないことを告げられるのはショックでした。
(だって、数学の時間だけ、先生何言ってるのかすら分かんないんだもん……)
泣きそうな心で部活を終え、20分くらい坂道を下って、電車に乗って、家に帰りました。夕飯を取りながら、彼女はタイミングを見て言いました。
「ねぇお母さん。わたし、予備校に行ってみようかと思うんだけど」
彼女は三姉妹の長女で、母親からは「妹が二人もいるんだから、浪人はしないでね」と何度も言われてきました。現役合格するために、今から予備校に通いたいと伝えると、母親も納得してくれたのです。
これまで考えたこともなかったけれど、通うと決まったら、予備校の候補は一つしかありませんでした。そう、あの日ティッシュを受け取ったあそこです。
(ちょうど駅と学校の間にあるし、同じ学年から何人も通ってるって聞いてるし。)
通える範囲にはほかにもいつくか予備校や塾はありましたが、自分の中で納得できる理由をつけて、すぐに体験授業を受けてみることにしました。
次の日の学校帰り。ちょうど部活が休みだったので、授業が終わるとそのまま予備校へ向かいました。入口の前まできて、呼吸を整えてからドアを開けます。
「こんにちは!」
その場にいた何人かの大人のうち、さっと立って目の前に来てくれたのは、あの日ティッシュを渡してくれたお兄さんでした。
体験授業を受けに来たことを伝えると、そのまま担当になったお兄さんは、わたしを面談用の小部屋に案内してくれました。
数学ができなくなったこと。
面談で担任から言われたこと。
それを受けて、予備校に通おうかと思っていること。
どきどきしながら伝えると、お兄さん改め先生は、メモを取りながらあの日の朝と同じようにほほえんで、すぐに手続きをしてくれました。
学校帰りに毎日立ち寄って、「こんにちは」とあの笑顔に迎えられ、そのままDVDの授業を受ける日々が続きます。
体験期間は1週間。あっという間に最終日がやってきました。
今日で最後だから、と、2帖ほどしかない例の小さな面談部屋に入ると、彼女に一週間の感想を求めました。この距離で、この顔と向かい合うだけでどきどきします。
「授業は、とても分かりやすかったです。こんな授業だったら、続けているうちにできるようになるかもしれないって思いました。
でも、わたし、本当に数学ができないんです。DVDの授業だと直接質問はでいないってことだったから、結局できないままになっちゃうんじゃないかって心配してます」
彼女は正直に言いました。すると先生は、答えました。
「確かに、そこが衛星のむずかしいところだよね。
俺、理学部の数学科だったから、数学の質問がある子には個別に教えたりもしてるんだよね。だから、質問あったらいつでも持ってきていいよ。
一緒に頑張りたいって思うし」
一緒に頑張りたいって思うし。
よく聞くありふれた言葉だけれど、彼女の心を動かすには十分でした。
そのまま入塾の手続きをしてもらい、両親にそのまま通いたいとお願いし、予備校通いを始めました。
得意だと思っていた数学がまったくできなくなり、どん底の気分で長い間過ごしてきた彼女にとって、一緒に頑張りたいと言ってくれる先生の存在はどれだけ心強かったか。
家で、学校で、予備校のテキストを予習し、DVDの授業を受ける。一通り終えると、テキストとノートをもって先生のもとへ。
「先生、この問題おしえてください」
すると要らないコピー用紙を数枚手にとってあの小部屋のドアを開け、問題文を一緒によむところから始めてくれるんです。
どんなに忙しそうでも嫌な顔ひとつしなかったし、他の生徒が質問していても「15分だけ待ってもう一回来て」と、必ずその日のうちに対応してくれました。
「まず、この式がでてくるじゃん?」と言われても、最初からさっぱり分からないわたしに愛想を尽かすこともなく、「これは分かる?」「これはどう?」と、一つずつ教えてくれる。
それがうれしくて、家でも学校でも毎日数学の問題を解いては、その日の質問を用意する日々。
そんな生活を2か月、3か月と続けているうちに、偏差値48だった数学は、68になりました。先生に会いたい、あのお部屋で一対一で教えてほしい。その気持ちだけで向き合っていた数学を、たった3か月で偏差値20も上げてくれた先生には、感謝してもしきれません。
今思えば、先生の影響を少なからず受けていたんだなぁって思うのですが。
高校時代、数学が絶望的にできなかった彼女は、進路を変えて医学部ではなく教育学部に進学しました。もちろん現役で。
高校3年のある日先生は、予備校を去りました。何の前触れもなく。
ほかの先生に理由を尋ねたところ、「ご家族の都合で急に」とのことでした。これが本当かどうかは当時も今も分かりません。
先生に数学を毎日教えてもらっていた間は高い偏差値をキープできていたけれど、「先生」がモチベーションだった彼女は、そこから数学が手につかなくなり、成績はふたたび急降下。付け焼き刃だったもん、しかたないですよね。
代わりに、先生が受講を進めてくれた生物の成績がグンとあがり、大学では理科を専攻することに。中学校・高校の理科と、小学校(全教科)の教員免許をとって、大学を卒業することができました。
高校時代は、教えてもらうことにしか楽しさを見いだせなかった数学も、小学校で学年をまたいで算数を教えているうちに、自分が児童だった頃にはまったく分からなかった教科のなかでのつながりが見えるようになりました。気づくのにかなり時間はかかったけれど、算数って、数学って、面白い教科だなぁと感じるようになりました。
定規とものさしのちがい。
単位どうしの関係性。
3年生の割り算が、分数にも単位量当たりの大きさにもつながっていること。
g/Lとか、なんてわかりやすい単位だったんだという発見。
先生には敵わないけれど、彼女なりに見つけた算数の面白さを、何百人かのお子さんに伝えることができました。
彼女も、「先生のおかげで算数が好きになりました」「できなかった算数が、できるようになりました」と、教えた子のうち何人かから言ってもらうことができました。
あのとき先生に伝えたかった、伝えられなかった「ありがとう」を、少しは形にできたでしょうか。
先生。
あのとき「一緒に頑張りたいと思うし」って言ってくれてありがとうございました。
本当に一緒に頑張ってくれて、救われました。
「一緒に頑張りたいと思うし」は、今でもわたしの特別です。
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