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あなたの個性より大切な、あなたの言葉。

「私の個性って何、と悩む前に考えるべきこと。」


さてさて、本日のnoteでは人の個性について考えてみたいと思います。
個性とかオンリーワンとか、そういった言葉が重宝される時代です。

自分らしく生きよう。とか、
あなたらしさを失わずに。とか。

本Noteでは敢えて、新書として僕が人生で初めて購入した本。
養老孟司氏の『バカの壁』の力を借りながら、

個性主義、個人主義的な考え方に疑問を呈してみようと思います。

“個性よりも、あなたらしさよりも、大切なこと”

について考えてみたいと思います。


■個性と情報

「私らしさって何。」
「自分のアイデンティティがわからない。」

就職活動を前にして、僕らは自己分析という名の壁にぶちあたる。

「就職活動で大事なのは、自己分析。」
「自分のやりがいと、会社の理念を結びつけるのが大事。」

と、大概尊敬する先輩に言われるからだ。

自分の歴史を振り返りながら、

あの時の自分はこうだったな。
あの時の挫折が私を変えた。

なんてことを、自分でもコジつけてるんじゃなかいと思えるくらい、無理矢理、自分に納得させようとする。

いや、納得させなければならない。
そりゃそうだろう。

いざ、就職活動の面接に行けば、

「あなたの強みは何ですか??」

というお決まりの質問に答えなければならない。
その質問は、

「あなたの個性は何ですか??」

と聞かれているようなもんだ。

その前提は、誰しも、人は何か不変で変わらぬモノを持ち合わせている。

という前提がある。

一方で、情報化社会を生きる僕らは、最新版の情報、アップデートされる情報を、貪るかのように欲している。

就活だって履歴書の書き方から、面接の受け答え等々、僕らは、最も良く、最も新しい情報を欲する。

情報は常に、刻々と変化するという根底の考え方がある。



逆なんです。

本当は、


万物流転、情報不変。


つまり、人は変わる。


「個性的であれ。」
なんて、僕らは自らに問う必要はない。


■人は、刻々と変わる。

“私は、私ではない”

人は、刻々と変わる存在である。
この意味を考えてみましょう。


想像してください、あなたはお医者さんに

「末期がん、ステージ4です。長くて、あと半年です。」

と、宣告された。

翌朝、夜は一睡もすることができず、今日と同じような朝を迎え、
今日と同じように、ベランダから入る日差しの日の出で目がさめる。

あなたは、その日差しを今日と同じように感じることができるだろうか。

そして、今日と同じように家の前に立ち尽くす、
紅葉で黄色がかったイチョウの木を感じることができるだろうか。

一年前の同じ日に、あなたが日の出と紅葉をどのように感じたか思い出すことはできるだろうか。

日差しが、イチョウが変わったわけではない。


変わったのは、あなた自身だ。


『論語』には、以下のような言葉があるそうです。

“朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり”


道を知る、学問を学ぶ。
死すとも可なり、死ぬのと一緒だ。

要は、何かを知ることで、人は変わり続ける。
昨日の自分は、既に死んでいる。

という意味です。

そもそも、明治時代前までは「元服」という儀式の下、
幼少期の名前から、成人の名前に自らの名前を改名していたわけです。

名前を変えるくらいだから、昔の人たちは、
“人は変わるもの”

そういったことを認識していました。

それが、明治時代になって西欧から個人主義の考え方を輸入したために、
アイデンティティ、個人、個性という言葉が使われるようになった。

個人や個性なんて概念は、昔の人は持たなくとも、生きていた。

そう考えた時に、個性を不変のモノとして追い求めたり、神聖視することに、あまり意味なんてないのかもしれない。


■個性より大切な、情報。そして言葉。

人は変わる、個人は変わる。
人は刻々と変わっていく。

一方で、昔の人たちが大切にしていたのは、

情報、そして言葉だ。

「武士に二言はない」

“武士は下手な約束をして守れなかったら命に関る”

それくらい、一人の人の言葉、そして情報が重んじられていた。

僕も小さいころは、指切りげんまをして友達と約束したものである。
でも、最近のこどもたちが指切りげんまをするのを見たことがない。

そこには、言葉や情報は不変という前提があった。
だからこそ、昔の人たちは大切にしてきた。言霊とはよく言ったものである。

では、現代の僕たちはどうだろう。

政治家の選挙の公約がコロコロ変わる。
その言葉を、どれだけの人が信じているだろうか。

SNSの炎上で、人が人を平気で侮蔑することがある。
その言葉の重みを、どれだけの人が理解しているのだろうか。


そしてなぜそんな世界になってしまったとか。

“人間は変わらないという誤った大前提が置かれている点、そしてあまりにも無自覚な点”

それが、バカの壁である。

なぜ、政治家が公約をコロコロ変えるのか。

それは、自分の発する情報、言葉の価値よりも、当選する不変の自分が大事だからだ。


なぜ、SNSで炎上が起こるのか、

それは、自分が発する言葉の影響よりも、変われない自分に対す苛立ちや、変わらない相手に対する嫉妬の方が大事だからだ。

SNSで誰かを批判する人は、相手を不変のものとしてみている。不変の攻撃対象として。
その人は、もし相手が余命宣告をされたとしても、攻撃するのだろうか。

どんなに尊敬され、富と名声を手にした人でさえ、明日はどうなるかわからない。

人は変わるもの。

そう考えれば、もう少し穏やかになれるはずである。
そして、

言葉は変わらない。


そう考えれば、僕たちは自分の発する言葉に責任を持てるようになるはずである。


そう、僕らが自分の個性に悩む前に考えるべきこと。

それは、言葉だ。

■まとめ

本日のNOTEでは、

“個性よりも、あなたらしさよりも、大切なこと”

について考えてみました。
僕たちは、自分の個性や特徴に悩む前、情報、そして言葉をもっと大切にするべきだ。

「余命半年です。」

この一言で、今日と明日のあなたは間違いなく変わる。
それくらい、情報、言葉というのは不変であり、本質であったりする。


言葉を大切にする。


それは、どういう意味か。


人の気持ちを考える。


ということである。
この世界に僕らが一人しか存在しないのであれば、言葉なんていらない。

でも、僕らは70億人を超える人たちとこの地球で互い協力し、依存しながら生きている。
だから、言葉を発する。

「個性を大事にしろ。」
「自分らしく生きろ。」

と、若い人たちに訴えかける前に、大人の僕らが考え、伝えなければならないのは、
言葉を大切にし、相手を大切にすることである。

70憶の人たちと支え合いながら生きている。

そう考えた時に、自分の個性やアイデンティティで悩むことが、
ちっぽけなことに思えるのは僕だけだろうか。
自己同一性を持つことは、人生においてそんなに重要な価値を持つのだろうか。


僕は、そんなことよりも、

自分の言葉、つまり相手に何かを伝えるということ。
そのために、相手の気持ちを考えるということ。

その方が、遥かに重要なことのような気がしてならない。


明日のあなたは、今日のあなたとは違う。


ただ、


今日のnoteは、明日になっても同じである。


その意味を考えるようになると、僕たちのnoteに対する向き合い方も、
変わるかもしれない。



ではでは、本日はここまでです。

また、明日のnoteでお逢いしましょう。


P.S 明日は川ノ森さんから受けたバトン、チェンナーさん企画の【よみがえる遺産】に乗っかります。僕のバトン渡す、相手の方。どうしよーかなー笑


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